◆第五章

第11話 道化師と武器商人

 ──早朝、一人の青年がベリルの前にやってきた。

 この顔は覚えている、用具の準備をしていたなかにいた男だ。体格はあまり良いとは言えないものの、機材を組むのには慣れている様子だった。

 以前、その関係の仕事に就いていたのかもしれない。

「──っあの」

 声を掛けたあと、黙り込む。

「なんだね」

 ベリルは腰を落としたまま、ブラウンの短髪と同じ色の瞳を見上げた。

「あ、の──僕たちは、本当に未来が心配なんです。世界はまとまるどころか、国家間でのいさかいは増えるばかりで、その──」

 すぐに言葉が出てこなくなった。

 考えた末の声かけではなかったのだろう。青年の目には、声を掛けたことに少しの後悔が浮かんでいた。

 それでも、言わずにはいられなかったといったところだろうか。

「あなただって、解っているはずです。ハロルド様の考えが素晴らしいことを」

「お前達にとっては、奴が三百という命を奪ったことも、人類のためだと言うのだろうな」

「もちろんです」

「無意味な虐殺も、必要だったと言えるのか」

 私が目的ならば殺す必要などなかった。復讐というものでさえ、彼らに向けられるものではなかった。

「大義を掲げてさえいれば、全てが正当化されるのか」

 罪を負う責は無いと言うのか。お前達には大義だとしても──

「巻き込まれた者には憎しみでしかない」

 それを受け入れる覚悟はあるのか。それとも、憎しみを持つものを悪と捉えるか。

 静かな口調のなかに、重々しい怒りが満たされている。しかし、威圧されている訳でもない。けれども青年は、ベリルの瞳に言いしれぬ不安を感じた。

「あなたは、きっと、ハロルド様に賛同します。それが人類の未来のためなのです」

 ベリルの言葉を待たずに青年は背中を向けて遠ざかった。



 ──午前十一時を過ぎたころ、トラッドはハロルドに呼ばれてモニタールームを訪れた。

「父さん、どうしたの?」

「トラッド。これを見てくれ」

 示されたディスプレイを覗き込む。

 見たところ、ベリルに向けられている監視カメラの映像だ。

「これはいつの?」

「今朝だ」

 青年とベリルの一連の会話が映し出されている。

 その映像を見つつ、トラッドはハロルドの横顔を一瞥した。その表情には、どこか誇らしげな笑みが浮かんでいる。

「どうだ。彼らは、わたしの教えを心から信じ、積極的に自らベリルを諭そうとしている」

 彼らの言動に、ベリルはきっと心を動かされるだろう。

「そうだね」

 ──これが良いことだとは、僕には思えない。

 これまで父の指示に従うだけだった彼らがどうしていま、こんな行動に出たのだろうか。父さんは彼らの変化に気付いていない。

 仲間たちにばらつきが出始めている。無意識に焦りを感じているのかもしれない。

 そのほとんどを水中で過ごし、話すこともままならない状態だというのに、ベリルの存在は水滴が岩に染みこむように、じわりと僕らのなかに侵入してきている。

 ベリルが来て一ヶ月もしないあいだに、何年にも及び父さんが築き上げてきた結束が乱れ始めている。

 やはり、ベリルは危険だ。

「父さん」

 トラッドは繰り返される映像を視界全体で捉えながら表情を険しくした。

「これから行う方法は、大丈夫だと思う?」

 神妙に問いかけてきた息子を見下ろし眉を寄せる。

「どういう事だ。お前が提案してきたものだろう」

「うん。そうなんだけど」

 ベリルに通用しないだけなら、方法を変えるだけでいい。

 でも、それ以上の効果が出てしまったら──その効果は僕たちに向けられるものだとしたら──そんな恐怖が、僕の全身を這い回る。

「さすが、父さんが選んだ人物だよ」

 こんなに先が見えないことは初めてだ。ごくりと生唾を飲み込む。

「そうだろう」

 ベリルと初めて対面したときの事を、わたしは今でも鮮明に覚えている。

 わたしを見上げる瞳には、これまでにない運命を宿している輝きがありありと照らし出されていた。

 それは、わたしが唱えることを実現する未来に他ならないのだと直感したのだ。

「ベリルなら、人類を託すに値する」

 恍惚と語るハロルドにトラッドは目を細めた。

 父さんの直感なんて信じてはいないけれど、ベリルという存在は確かに凄いのだと痛感している。

「父さん」

 息子の呼びかけに顔を向けた。

「もう少し、待ってくれるかな」

「なんだと?」

 同志たちがいま、準備をしているんだぞ。

「うん、解ってる。でも、このままじゃ──」

 珍しく真剣な面持ちのその横顔にハロルドは口を引き結ぶ。

「解った。お前がそう言うなら、しばらくお前に任せよう」

「ありがとう、父さん」



 ──昼を少し過ぎたころに二枚扉が開き、トラッドが顔を出す。ハロルドの姿がないことにベリルはいぶかしげな表情を浮かべた。

「みんな、ごめん。悪いけど一旦、中止になったから」

 準備をしていた青年たちは怪訝な面持ちで顔を見合わせ、それならとトラッドの指示に従い部屋から出て行く。

 ベリルは突然の中止に目を眇めつつ、近づくトラッドを見やった。

「君が十歳の時に、僕は産まれた」

 トラッドは水槽の前に座り込む。

「僕は早産でさ、結構危なかったみたい」

 唐突に身の上話を語るトラッドの表情は、年相応の青年らしい穏やかな顔つきをしている。

「父さんを看病していた女性との間に、僕は産まれた」

 運良く息を吹き返したけど、瀕死だった父さんはしばらくは歩く事が出来なかった。

「そんな父さんに母さんは母性でも芽生えたのかな」

 気がつけば親密な仲になって僕を身ごもった。

「でも、僕は母さんの顔を知らない」

 トラッドは瞳を曇らせる。

「僕が産まれてすぐに死んだって聞かされた。写真も残ってないし。そう考えたら、君と大して違わないよね」

 小さく笑ったトラッドに、ベリルはただ黙って目を合わせていた。

「君は、生まれ方が違っただけ」

 合わせたベリルの瞳をじっと見つめる。

 なんて不思議な瞳なんだろう。いつもは何を考えているか解らないのに、今は僕に共感してくれている。

 それが、痛いほど伝わってくる。

「君は、休暇にはあちこちに行くけど。それって、施設にいた頃のことが関係しているの?」

 世界への憧れは、決して実現しない場所にいた。

「沢山の風景を目に焼き付けていくんだね」

 永遠に好き勝手に生きていくの?

 とげのある言葉を投げかける。

「人類をまとめるには、排除するものがあると言ったな」

 その一つである多様性の排除は、探究心をはばむものだ。

「探究心?」

 ベリルは何故、そんな話をいまするんだ?

「この世界に、惑星は地球だけだと考えてはいないだろうな」

「──っ!? 君は、宇宙まで視野に入れているの?」

 なんてことだ。

「いつか、人類はこの星を飛び出すだろう」

 私はそれが見たい。

「じゃあ、君が導く者になったら宇宙開発を優先的に進めればいいじゃないか」

 トラッドの言葉にベリルは渋い反応を見せる。

「あれ? 違うの?」

「魅力的な提案だが、そういう事ではない」

 そもそも多様性を排除する時点で奇抜な発想は拒絶され、進歩はごく僅かとなる。

「争いはなくなるんだから、全力で取り組めば僅かでも進むでしょ」

「私は多様性の排除を良しとはしていない」

 その私が何故、お前たちに賛同すると思えるのか。

「多様性はいさかいを生むって言ったでしょ」

 それが人類を滅ぼす一因いちいんなんだ。

「人間であることをやめろと言っているに等しい」

「そんなことないよ」

 多様性だけが人間の証じゃない。

「感情を持つことが──」

 トラッドはそこでハッとする。

「感情を持つことは、多様性ではないのか」

 静かに紡がれたベリルの言葉にトラッドは歯ぎしりした。

 これじゃあ、堂々巡りだ。多様性について解決しない限り、先には進めない。僕たちのなかでは、いつの間にか多様性は排除出来るものだと認識されていた。

「暗い部分を見る事は容易い。しかし、輝く部分にこそ、目を向ける必要があるのではないのか」

 忘れてはならない現実もある。それにとらわれ過ぎてはいないか。

「誰しも不幸になりたくて生きている訳ではない」

 一面だけに気を取られていて、人々の笑顔を守れるだろうか。影の部分があるのなら、輝きで影を薄くすれば良い。

「目の前の不幸の全てを、誰かのせいにしてはいないか」

 真っ直ぐに見つめてくる瞳に、トラッドは思わず視線を外した。

「君だって、みんなが幸せになる理想を抱いているだろう。僕たちは、それを実現出来ると言っているんだよ」

「それは真実か」

 何十、何百と聞かされたが、私にはそうは思えなかった。

「お前には何が見えている」

 ベリルの声がトラッドの耳にこだました。

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