第二章 顔合わせ 2

「なんか用?」

 外見の可愛らしさに反して、親しみのない声音だった。このははたじろぐと、おどおどして小さくなる。

「どうも……」

「珍しいわね。あたしの教室に来るなんて」

「あたしの……?」

 と言ったのは雪人だ。そこそこの広さの部屋に一組しか席がなく、教室と呼んでいることが不思議だった。

 稟果は鼻を鳴らした。

「知らないのね。あたし専用の教室よ。名簿では一年二組所属でも、あたしはここにいんの。あたしと教師が一対一で授業するってわけ」

「よくそんなことできるな……」

「私立校なんだから寄付金が全てよ」

 そう答えてから、彼女は改めて雪人を眺めた。

「で、あんたは誰」

 彼は「桐村雪人」と自己紹介をする。

「六麗の、あー、雑用係」

「あー、あんたの妹に家庭教師すんのね」

 雪人は稟果に近寄ろうと足を進める。だが彼女は片手にカップを持ったまま、もう片方の手を前に突き出した。

「ストップ」

「え?」

「それ以上寄らないで」

 雪人は思わず足を止める。

 稟果はそのままそこにいろとばかり、手を突き出したままにしていた。そしてきょろきょろと、辺りを見回す。

 スプーンを探しているようだ。彼女の手元にはなく、離れたところにあるサイドボードに乗っていた。

 サイドボードは雪人のすぐ側にあったので、彼は取って渡そうとした。

「だから待つの」

 また稟果が制する。彼女は紅茶のカップをガラステーブルに置き、立ち上がった。

 ソファから離れ、ゆっくり下がっていく。

「来なさい」

 雪人は戸惑いつつ、ガラステーブルに近寄った。

 彼が進むたびに稟果は下がる。それを繰り返し、ガラステーブルにたどり着いたときには、彼女はかなり後ろにいた。

「置いたら戻って」

 スプーンを置く。それから元いた場所に戻った。

 稟果は再び座ると、満足げにスプーンで紅茶を掻き混ぜる。雪人は呆れた。

「人間嫌いなのか?」

「違うわよ。他人があたしの三メートル以内に近寄る権利がないだけ」

「なんで」

「人間なんて雑菌の固まりだからよ」

 つまり、自分の近くにいて欲しくないのだ。妙に儀式めいた行動もそのためだったのである。

「三メートルって結構あるぞ」

「短すぎるくらいよ」

 雪人は室内を見回した。

「……ひょっとして、この教室は」

「ようやく理解したみたいね」

 稟果は何故か自慢げになった。

「他の生徒に近寄って欲しくないから、特別の教室を用意させたのよ。あそこの黒板もそう。生徒はあたし一人。教師は最低三メートル離れて授業をやってるわ」

 そんな馬鹿なと思ったが、本当だった。実家が寄付金を山のように積むことにより、可能となったのである。クラス札に「ここも」と書いてあるのもそのためで、書類上は通常の一年二組と同じ扱いらしい。

 雪人はまたも呆れた。

「そりゃ特別じゃなくて、かわいそうな娘扱いなんじゃないか」

「失礼ね! 特別なのよ!」

「体育はどうすんだ」

「一人でやってるわよ。問題ないわ」

 体格の問題で遠投などには難があるが、テニスなどは俊敏さを生かし、むしろ成績がいいらしい。もちろん相手は体育教師のみ。

「他人に近寄られるのってほんと嫌なの。あんたがスプーン持ったから持ってきてもらったけど、本当ならなんだろうと自分で取るわ」

「逆に行儀がいいな」

「当たり前よ」

 ごく当然のように言う。すまし顔のまま続けた。

「でも、はじめてにしてはきちんとできたわね。あたしに近寄らなきゃ、サーヴァントにしてもいいわよ」

「……召使い?」

「あたしに奉仕するのよ。名誉でしょ」

 雪人は目をしばたたかせた。小声でこのはに訊く。

「あれ本気なのか?」

「稟果ちゃんは本気だよ……」

 彼女も声を潜めた。

「悪意はないと思うんだけど、自分以外が好きじゃないっていうか」

「小さい頃にトラウマ抱えたとか、そういうきついパターンか?」

「どうなんだろ……」

 ひそひそ話を続ける二人。稟果はカップから顔を上げた。

「そこの二人」

 彼女は鼻を鳴らした。

「人としてレベルが低い人間は、そうやって噂話でもしてればいいわ。あたしみたいな支配層は、優雅に学校生活を楽しむのよ」

「支配……」

 雪人は呟いた。稟果は何故か自慢げ。

「そうよ、支配層」

「社会の授業で習ったが、人間は皆平等に権利があって……」

「天賦人権説なんてゴミよ」

 稟果は紅茶のカップを手にしたまま喋っていた。あとで知ったのだが、特に紅茶が好きというわけではなく、単に「それっぽい」から飲んでいるとのこと。

 彼女は先ほどからソファで足をぶらぶらさせていた。背が低いので床に届かないのだ。

「で、あんたたちはあたしの顔を見に来ただけ? 拝観料取るわよ」

「支配者のくせにせこいな」

「うるさいわね」

「家庭教師なにやってくれるのか、確認に来たんだ」

 本当は様子うかがいなのだが、はっきり言うこともないだろうと彼は判断した。

 稟果はこのはの方を向く。

「茜このは、あんたはなに担当すんの?」

「今のところ、国語総合」

「じゃああたしは英語かしらね」

 雪人はスマートフォンに「柊稟果 英語」とメモした。それから気づく。

「そういや、三メートル以内は駄目ってことなら、うちに来て家庭教師するのもだめなんじゃないか……?」

「そうね」

「じゃあなんで引き受けたんだ」

「六麗の務めだからよ。引き受けたんだから、あとはそっちでなんとかして」

 そう言われると反論もできない。雪人は「また連絡する」とだけ返事をした。

 二人は教室から出ていこうとする。そこに稟果が声をかけた。

「ちょっと。六麗全員に頼んだのよね」

「やってくれるって言ってたぞ」

「面倒だからって全員同じ場所に集めない方がいいわよ。六麗はね、六人集まらないのよ」

 ふざけているのかと思ったが、稟果の表情は真面目だった。

 彼は質問する。

「なんで」

「無理だから」

「理由はなに」

「……言いたくない」

 稟果は「さっさと出ていって」と二人を追い出した。

 扉から遠ざかりつつ、雪人は呟く。

「今のどういう意味だ……?」

「分かんない……」

 呟きにこのはが返答した。雪人が顔を向ける前に、彼女は言う。

「私は六麗の一番最後だから、どうしてバラバラになったのか知らないし……。聞いたことあるんだけど、教えてもらえなかったから」

 彼女にも謎なら、今はどうにもできない。

 雪人とこのはは、帰り際、妙に緊張した面持ちの英語教師とすれ違った。

「今の先生が稟果ちゃんを受け持っているんです」

「死にそうな顔してたぞ」

「稟果ちゃんは、英語で論文書けるレベルだから」

 二人は二年生の校舎まで一緒に行き、廊下で別れた。雪人は二年四組、このはは三組である。

 授業はなにごともなく過ぎていく。雪人は教師から古文の意味を問われ、五問中四問を自信満々に間違え、残りの一つを隣席の生徒に教えてもらい、教師に呆れられた。

 自分も家庭教師をしてもらおうかと悩んでいるうちに昼休みとなった。

 華凰学園の生徒は、昼食を弁当にするか学食ですませる。学食は食券タイプで、購入しないと入れない。そのため「弁当だけど教室で食べたくない」生徒たちは、外に行く。

 雪人は弁当派である。妹の食事を用意するうちに、自然と昼食も作って持っていくようになった。彼は弁当の入った袋を手にし、芝生に座って食べようかと考えた。

 華凰学園は生徒を集めるために、六麗以外の長所も宣伝している。敷地が綺麗なのもその一つで、生徒たちが自由に使える芝生が中庭にしつらえてあるのだ。屋根付きのベンチもあるから、昼食時はいつも一杯になる。雪人はそこに行くつもりだった。他には屋上という手もあるが、なんとなく気が乗らない。

 廊下に出て、三組の前を通りかかり、ふと足を止める。

 少しだけ考えてから扉を開けた。側に女子生徒がいたので、このはを呼ぶよう頼む。

 このははすぐに来てくれた。

「昼、食べた?」

 雪人の質問に、彼女は「まだだけど」と返事をする。

「じゃあ一緒に食べよう」

「私と……?」

「ああ。嫌ならいいけど」

「い……嫌じゃないよ! 待ってて」

 このはは自分の机にダッシュすると弁当を引っ掴んで駆け戻ってくる。

「いいよ。どこ行く? 屋上?」

「外」

 彼は先に立って歩いた。

 中庭の芝生は半分ほどが埋まっていた。ベンチは全て誰かが座っている。

「雪人君、あそこ空いてる」

 このはが引っ張ろうとした。雪人はそれには気づかず、周囲を見回している。

「いないな……」

「……誰が?」

「六麗の人。ついでに挨拶しようと思ったんだけど」

 このはの顔に、がっかりしたような色が浮かぶ。

「……雪人君、だから私を誘ったの……?」

「顔知らない人もいるから、このはさんが一緒にいれば分かるかもって……どうかした?」

 このはは力なく首を振る。

「ううん……なんでもない」

 それから気持ちを奮い立たせるかのように、幾度も息を吸った。

「南紀島さんのいるところなら分かる」

「ここ?」

「別のとこ。南紀島さんは一人でお昼食べてるはずだから」

「じゃ、行こう」

「え……」

 ややたじろぐこのは。雪人は訊く。

「嫌いなの?」

「そうじゃないけど、あの人クールで近寄りづらいし……」

「俺が話をするから」

 このはは逡巡した末にうなずくと、芝生を横切って歩く。彼は急いで後に続いた。

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