おばあちゃんのカレー
おばあちゃんのカレーは世界一だ。
月に二、三度お母さんが作るカレーよりも、給食でおかわりジャンケンが必ず起きるカレーよりも、もちろん私が宿泊学習で作った酢豚みたいな見た目のカレーよりもずっとおいしい。
私はカレーが特別好きというわけじゃないけど、それがおばあちゃんが作ったものとなれば話は別だ。お父さんが連れて行ってくれた、ルーとご飯が別盛りで出てくるお店のものよりおいしいんじゃないかと思う。
おばあちゃんはお父さんのお母さんで、山に住んでいる。おじいちゃんと黄色いインコの”サトコ”と三人暮らしだ。
おばあちゃんたちに会いにいくのは年に一回。私の住む都会から車で何時間もかかるその山へは、毎年夏休みになると連れて行ってもらえる。私は両親と四つ下の弟との四人暮らしだが、夏にその家へ集まるのは私たちだけではない。お父さんは三兄弟だから、たいがいいとこたちも同じ時期にそこへ集まるのだ。
私は毎年夏におばあちゃんの家へ行くのが楽しみだった。
その家は、都会では見られないような古い家だった。木造の日本家屋というらしい。黒くくすんだ瓦屋根がもし立派な茅葺き屋根だったら、時代劇の撮影場所に選ばれたかもしれないのにといつも思う。
家は一階しかないが、それがとても広い。畳がずっと並んでいるのだが、間を仕切っている障子を取り外したら、中でドッジボール大会だって開けそうだ。もちろん怒られるので絶対にやってはいけないけれど。
だから、私たち一家やいとこたちが同時に泊まりにきたって、全然きゅうくつじゃなかった。それぞれの家族が一部屋ずつ、広々と使うことができた。
それから、家の周りは自然でいっぱいだ。おばあちゃんとおじいちゃんはすぐ近くの畑で野菜を育てている。その近辺であれば、私たちは自由に散策することができた。近所には何軒か家が建っていて一つの集落になっているので、私たちが山の中で迷子になることもなかった。
夏には、青々とした草木が生い茂っていて、普段は見られないような生き物がたくさんいる。いとこの中では私が一番年上なので、みんなを引き連れて山を探検する。そうすると毎年必ず新しい何かを発見する。山には小川もあるから釣りだってできるし、虫取りもかくれんぼも、何をやっても楽しかった。
ある日、鬼ごっこをしている最中にボロボロになった小さなほこらを見つけたことがある。うっかりしていると蹴飛ばしてしまいそうなそのほこらは、朱色の木で出来ていて、お札が貼ってあった。それを帰ってからおばあちゃんに聞いてみると、あそこには特別な神様が祀ってあるから絶対にいたずらしちゃいけないよと言われた。私は少し気になったけど、山の中には興味をそそられる物がたくさんある。特製のカレーを食べた次の日にはキレイさっぱり忘れていた。
おばあちゃんのカレーはいつも突然食卓に並ぶ。というのも、雨が降って一日中家にいるような日には、おばあちゃんはカレーを作らないからだ。晴れている日は決まってみんな外へ行くので、遊び疲れてくたくたになる。そうして玄関の扉を開けた時、急にカレーの匂いが立ち込めてきて、みんなお腹の音を鳴らすのだ。
私は両親にどうしておばあちゃんのカレーはあんなにおいしいのだろうと聞いてみた。お父さんには、みんな限界までお腹を空かせた時に食べるからさ、と言われた。お母さんには、いつもより大勢で家族揃ってみんなで食べるからよ、と言われた。
でも、どちらの回答も納得がいかなかった。あのカレーには真心なんて曖昧なものじゃない、何かの隠し味が絶対に入っているはずだ。
だから、思い切っておばあちゃんに聞いてみることにした。すると、おばあちゃんは案外簡単にそうだよと教えてくれた。やはり特別な何かを入れていたのだ。
「それを入れると、どんな料理だって途端に美味しくなるのさ」
「それは何なの?」
「……それは、秘密だよ」
おばあちゃんは教えてくれなかった。それでも私は食い下がった。するとおばあちゃんはそうだねぇと言ってしばらく考えこんだ。そして、こう言った。
「中学生になったら、教えてあげる」
その日も夕飯はカレーだった。バケツにザリガニを入れて意気揚々と帰ってきた私は、しまったと思った。あの後出かけずに、ずっとおばあちゃんを観察していればよかった。
私は残念な気持ちになったが、それでもカレーはおいしかった。
自分で研究して、なんとかこの味にたどり着けないだろうか。そう思ってカレーをよく見てみることにした。
人参、じゃがいも、これは玉ねぎ。お肉は普通の牛肉だと思う。ナスとズッキーニは畑で取れたものだ。でもこれは入っていないこともあるので、味の決め手というわけではないだろう。
どろりとした茶褐色のルーをすくい上げ、口へ運ぶ。甘さ、しょっぱさ、酸っぱさが絶妙だった。おばーちゃんのカレーにはコクがある、と大人たちは言う。
やはり目には見えない、溶け込んでいる物が隠し味なのだろうか。
おかわりをしてそれもキレイに完食した後、片付けるふりをしながら台所を調べてみた。台所も時代劇に出てきそうなつくりになっている。畳から一段降りたたたきになっている台所には、ちょっと前までかまどがあったらしいが、私は新しいコンロになった後しか知らない。
皿を洗うおばあちゃんの様子をうかがいながら、そっと調べてみる。しかし、これを使ったなとはっきりわかるようなものは見つけられなかった。
食卓へ戻ると、みんなが集まってテレビを見ていた。普段はキビキビしている大人たちも、ここではだらけて見える。
そうだ、大人に聞いてみればいいんだ。お父さんもおじさんたちも、ここで長年暮らしてきたのだ。おばあちゃんのカレーを小さい頃から食べてきたに違いない。もしくは、台所によく入るお母さんたちにでもいい。どうしてこんなことに気がつかなかったのだろうと、私は大きなため息をついた。
「ねぇ誰か、おばあちゃんがカレーに隠し味で何を入れてるのか知らない?」
私は息を荒げて聞いてみた。しかし、その返答はつまらないものだった。
「さぁ、作ってるとこみたことないからな」
お父さんはおじさんたちの顔を見た。しかし、二人とも首を振るばかりだった。
「お母さんは?」
私は食卓を拭くお母さんに話を振った。しかし、お母さんもおばさんたちと目を合わせ、首を傾げた。
「そういえば、カレーを作ってるところは見たことがないかもしれないわ」
ゲームをしていたいとこたちも顔をあげたが、みんな不思議そうに顔を見合わせるばかりだった。
私は奥で扇風機に当たっているおじいちゃんのもとへ行った。
「ねえ、おじいちゃんは知らない?」
おじいちゃんは、私の顔を見た。無口なおじいちゃんはきっと素っ気なく返事をするだけだろうと思っていたが、違った。
「あれはこの辺のもんしか知らんからなぁ……」
私は驚いておじいちゃんを見た。しかし、再び扇風機の方をむいてしまったおじいちゃんに、私はなぜかそれ以上問い詰めることができなかった。
窓際にかかった風鈴がちりりんと鳴る。
それに呼応するように、サトコが「うまい、うまい」と鳴いた。
おばあちゃんの家に泊まる最後の夜、私は目が覚めた。トイレに行きたくなったのだ。
私はそっと起き上がる。両親と弟はぐっすりと眠っていた。
起こさないようにそっと部屋を出る。まっすぐ奥まで続く廊下は月明かりに照らされて青白く浮かび上がっていた。
虫の声が響く。普段、自分の部屋からトイレへ行くのも夜には少し怖い私だったが、なぜかおばあちゃんの家では大丈夫だった。
廊下に出ると、まるで月明かりにパワーをもらったかのような気分になり、昼間とはまた違う家の雰囲気にワクワクした。
トイレは廊下をまっすぐ行って右にある。
トイレを済ませた私は、部屋に戻ろうとした足をふと止めた。この匂いは……。
私は誰も使っていない部屋を突っ切って、台所へと向かった。
台所にはおばあちゃんがいた。何かを作っている音がする。ドアの外からそっと中をのぞき込んだ私には、見る前からわかっていた。
月明かりの中で、おばあちゃんはカレーを作っていた。
多分、明日の昼前にはここを発つ私たちのために作ってくれているのだろう。以前にも帰りの車で食べれるように、タッパーに入れて持たせてくれたことがある。私は帰りたくないと泣きながら車に乗り、山をくだって高速道路に入る頃には、そのカレーを食べてすっかり機嫌を取り戻すのだ。
しめた、と思った。これは、隠し味の秘密を探る絶好のチャンスではないか。
私は来年中学生になるが、どうしてもその前にあのカレーを作れるようになりたいのだ。小学校最後の宿泊学習で、前回の汚名を返上するためには普通レベルのカレーではダメだ。
私はおばあちゃんにバレないよう、息を殺して中を観察した。おばあちゃんは野菜を炒めた鍋に水を入れている。
隠し味はおそらくルーを入れる頃に投入するだろうと思っていた私にとって、それは最高のタイミングだった。
汗が自分のひたいにじわじわと浮かんでくるのがわかる。おばあちゃんは鍋をじっと見つめていた。そして、おもむろに動き出した。
私はゴクリと唾を飲んだ。おばあちゃんはついにルーを入れた。ルーは市販の、どこにでもあるものだ。やはりルーの他に何か入れているんだ!
おばあちゃんは不意にしゃがみ込み、コンロの下の扉を開けた。闇に慣れてきた目を凝らしてじっと見てみると、扉のずっと奥に何かこんもりとした山があるのが分かった。
それはかまどだった。コンロは古いかまどの上に作られていたのだ。
おばあちゃんはかまどの中に入りそうなほど奥へと体をねじ込んでいた。そしてもぞもぞ動いたかと思うと、浅い木箱を取り出した。
私は息をするのも忘れてそれを見つめた。いかにも秘密の箱という感じではないか。
おばあちゃんが蓋を開く。中身は白い紙で包まれていた。そして、その包みはゆっくりと開かれた。私は目を見張った。だが、すぐにはそれが何かわからなかった。
それは、紫色の不格好な饅頭のようなものだった。それが浅い箱の半分くらいをビッチリと覆っている。あんころもちに似ていた。まさか、お菓子をカレーに入れていたというのだろうか。
おばあちゃんはその饅頭に向かって何かぶつぶつと唱えていた。何をしているのだろうと少し身を乗り出した私は、そのままピタリと固まった。
月明かりに照らされた饅頭が、グネグネと動き始めたのだ。
それは紫から、緑色へと変化して、意志を持ったように動いていた。それだけではなく、何か小さな腕のようなものまで生え始めた。
おばあちゃんはそこから一匹ずつそれを手掴みし、鍋に放り込んでいく。放り込まれたそれはしばらく苦しそうに動いた後、ピタッと動きを止めて茶褐色の中へと消えていった。
次々と得体の知れない何かが鍋へ投入されていく。おばあちゃんは終始何かを呟いていた。
私は怖くなって、後退りした。そのまま決して足音を立てないように、息を漏らさないようにして、寝床まで駆け戻った。
布団に戻ってからも、寒気が止まらなかった。全身に鳥肌が立ち、心臓が思い出したようにバクバクと音を立てている。私が今見たものは、私が今まで食べていたものは一体……。
周りが明るくなるまで、一睡もできなかった。
次の日、私たちは予定よりも早く家へ帰ることになった。私の体調が良くなかったからだ。
帰りがけ、おばあちゃんはタッパーを差し出してきた。その表情はいつもと変わらぬ優しいものだ。でも私は恐ろしくて、立っているのもやっとだという顔をしてお母さんにしがみついた。
サトコが「みちゃった、みちゃった」と鳴いていた。
帰りの車でも、私はぐったりとしていた。昨日見たあれは何だったのだろう。夢だと思おうとしたが、私の鼻が確かにあの匂いを覚えている。包みを開けた瞬間に立ち込めた、甘ったるいような酸っぱいような匂いだ。
「カレー、食べれそう?」
助手席のお母さんが心配そうにこちらを振り返っている。私は差し出されたタッパーを見ることすらできなかった。
「気持ち悪い」
そう言うと、布団をかけられた。隣で、弟があのカレーを美味しそうに食べている。私は布団を頭からすっぽりと被った。
しかし、私は朝から何も食べていないのだ。
車内に立ち込めるカレーの匂いに、私のお腹はぐうと低い音を立てた。
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