三 島、ひまわり畑、花言葉
名無しの駅に到着したときと同じように、電車はゆるやかに動きを止めた。
開いたドアから身を乗り出してみると、そこには白い砂浜と鬱蒼とした森が見えた。海を渡る線路は、砂浜に乗り出す形で途切れていた。ここがこの電車にとっての終点らしい。
「どこかの離島のようですね」
僕の後ろから悠乃が言った。ここは実在の島なのだろうか。それともやっぱり、僕の願いを元に〈サイハテ〉に作り上げられた島だと考えるべきなんだろうか。
「行くしかない、よな」
「気が進みませんか?」
「まさか。こうなった以上はなりゆきに任せるよ。どうせ僕はもう死んでるんだからね、怖い物なしだ」
少しだけ軽い調子で言うと、悠乃もほっとしたように笑った。
電車を降りると、身体にまとわりつくような陽差しの熱を感じた。ぬるい海水に足を浸していただけでもずいぶん違ったのだと、陸に上がってみてわかった。明らかにここは夏の島だ。現実世界で言うなら、修学旅行で行った沖縄がこんな感じだった。
砂浜の先には森があって、ここを通れと言わんばかりに、一本の細い道があった。その部分だけ、生い茂る夏草は身を潜め、踏み固められた土が顔を出している。
僕たちは並んでその道を歩いた。汗がだらだらと出てくるけれど、見えないフィルターを通したような、どこか透明な暑さだった。
物言わぬ木々の横を通りかかると、蝉の声が夕立みたいに降り注いだ。きっとこの森は昆虫の楽園なのだ。ブナ科の木が多いから、もしかしたらカブトムシやクワガタもいるかもしれない。
「蝉の声っていいですよね」
ふと、彼女が木々を見上げて言った。
「あの独特の印象深い音には、いろんな感情をかき立てる作用があるんだと思います。夏が始まることの期待感とか、強い生命力への憧れとか、諦めにも似たどうしようもない切なさとか。そういうのを全部ひっくるめて心に迫ってくる感じが、すごく好きです」
僕もその意見には同意だった。だからできるだけ静かに、森の中を歩いた。鮮やかな緑がプリズムのように陽の光を散らす下で、僕たちは蝉の凱歌を聴いた。繰り返される一定のリズムの中で、透明な暑さが停滞し、頭がぼうっとしてくる。
そんなふうに夏に浮かされた二人の間を、一陣の風が吹き抜ける。新鮮な空気が頬をなでて、たちまち意識がはっきりする。僕たちはそろって風のゆくえに顔を向けた。
森が開けた前方には、光が満ちていた。黄金色の光だ。ひなたの匂いが辺りを包み、胸を高鳴らせる。
「わあ……」
悠乃が眼前に広がる光景に見とれて、ため息を漏らした。
「ひまわり畑ですよ、和哉くん」
「ああ……すごいな、これは」
明るい緑、黄金色、焦げた茶色。鮮やかなコントラストを演出する三つの色が、視界いっぱいに揺れていた。その様子は、この世に存在する一つの完璧な何かといって良かった。世界の真実はこんなところにあったのだと、現実に生きる人間たちに聞かせてやりたくなった。
僕たちはしばらく、風に揺れるひまわりを前に立ち尽くしていた。時間が過ぎるのなんて全く気にならなくて、もしかすると今この瞬間〈サイハテ〉では神様が時の流れを止めているのかもしれないとすら思った。
何度目かわからない吐息のあとで、悠乃が呟いた。
「和哉くん。ひまわりの花言葉、何だか知っていますか?」
「なんだろう、わからないな」
花言葉なんてロマンティックなことを悠乃が言い出したことに僕は少し驚いた。五年前の記憶では、どちらかといえばそういうことを語って聞かせるのは僕のほうだったからだ。
「ひまわりの花言葉は『憧れ』、それから」
「それから?」
彼女は少しためらって、そっぽを向く。
「……やっぱり、教えません」
呆れながら、その横顔をまじまじと見つめる。
「気になって、このままじゃ死んでも死にきれないんだけど」
「悔しかったら、また生まれ変わればいいじゃないですか」
そう言って、彼女はひまわり畑へと駆けていく。なんだかこの瞬間だけ、五年前に戻ったみたいだった。
その後ろ姿を見ながら、平静を装う一方で。
僕は逸る動悸を抑えられずにいた。
実のところたった今、一つ嘘をついた。その昔、花言葉を調べるのに傾倒した時期があったのだ。
ひまわりの花言葉は憧れ。そしてもう一つ。
——『あなただけを見つめる』。
悠乃が手を振って、僕を呼んでいた。
「今、行くよ」
と答えて、ひなたの香りがする花畑へと足を踏み入れた。
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