「魔力の無い魔術師」4

  4


 どれくらいの時間がたったのだろう。

 目を見開いてぼくを見ていた彼が、ようやく目を瞬かせた。


「い、今、なんと?」


 ぼくは大きく息を吸いこみ、それを長く吐き出すと、彼の目を見てもう一度言った。初めてちゃんと、彼の目を見て話ができた気がした。


「ぼくは魔法が使えないんです」


 また少し、時間が止まった。


「……それは、新手の冗談か?」

「いえ。冗談じゃないです。ほんとなんです」

「待て待て待て。落ちつけ」


 ぼくは落ち着いていた。


「いや、落ち着くのはおれだな。とにかく座ろう。どこがいいかな。よし。あそこの木陰にしよう。まあ座れ。座って落ち着こう」


 最高位の魔術師がうろたえてる様子はなんだかおかしかったけど、さすがに笑ったりはできなかった。


「ふ~」


 並んで木陰に腰をおろすと、彼が大きく息を吐いた。


「魔法が使えない?」

「はい」

「ん~。どういうことなんだ?君は魔術師なんだろう?」


 眉間に皺を寄せて、彼がぼくを怪訝けげんな目で見た。


 そう、ぼくは魔術師だった。下位魔術師のあかしである水色のローブも身にまとっていた。このローブは、魔術師見習から卒業し、下位魔術師として神官に認められたときに着ることを許される。

 つまり、このローブを着ているということは、最下級ではあるけれども、魔術師の仲間入りをしたということを意味していた。ということは、魔術師である以上、見習の間に覚える下位の魔法くらいは使えるはず。彼がそう思うのは当然のことだった。


「はい。ぼくは魔術師です。だけどぼくは、魔法が使えないんです」

「……どういうことだ?」


 ぼくはすべてを明かす気持ちになっていた。というよりもむしろ、明かしたい気持ちになっていた。彼に明かしたからといってどうにかなるわけじゃない。たぶんぼくは、誰かに明かして楽になりたかったんだ。


 ぼくは喋った。幼い頃から魔力の発動がまったくみられなかったこと。母が自ら命を断ったこと。父の手によってスラムに追いやられたこと。宿屋で馬車馬のように働かされたこと。それでもお情けで魔術師の称号をもらったこと。洗いざらいを喋った。


 話し終えると、身体の震えが止まらなかった。震えている理由はよく分からなかった。怖いのか、悲しいのか、苦しいのか。まだ吐き出せない何かが残っているのか。緊張なのか。


 やがて彼が言った。


「そうか……。そういう過去があったのか」


 そして、彼は静かに言った。


「すまなかった。知らずに傷をつけた」


 涙が溢れた。溢れて止まらなかった。


「いえ、いえ……」


 ぼくは泣いた。もしかしたら、生まれて初めて泣いた。

 理由はこれまた分からなかった。どうして泣いているのか自分でも分からなかった。彼は呆れることもなく、ぼくをさげすむこともなく、黙ってそばにいてくれた。


 空を見上げて何事かを考えながら、黙ってそこにいてくれた。

 ひとしきり涙を流すと、ぼくは彼に謝った。


「すいませんでした。変なこと話しちゃって」

「いや。構わない。話して少しでも楽になるのなら、それで構わない」

「すいません……」


 もう一度謝ると、なぜか彼は悲しそうに笑った。


「ん~。おれは、その、すいませんという言葉が嫌いなんだ。ごめんなさいという言葉も嫌いだ。謝られてもうれしいことは何一つない」

「え……」


 ぼくは彼が何を言っているのか分からなかった。


「人にびるときは、自分が間違ったことをしたときだ。君は今、何か間違ったことをしたか?」


 答えに詰まった。分からなかった。


「間違ったことをしていないなら、謝る必要なんてない。簡単に人に頭を下げるものじゃない。頭を下げられない奴は人として失格だが、簡単に頭を下げる奴も失格だとおれは思う」


 強さと誇りと、そしてとてつもない優しさを伴った口調だった。


「君は自分の過去をおれに話した。辛い思いをおれに話した。それは間違っていることだったのか?」


 違うと、ぼくは思った。


「だったら、謝る必要はない」


 そう言って彼は、深い優しさを湛えた笑顔を見せてくれた。


「と、まあ偉そうなことはこれくらいにして……」


 そして恥ずかしそうに笑った。


「魔力が無いとのことだが……」


 何を言い出そうとしているのか、ぼくは目を瞬かせた。


「この世に魔力の無い人間はいない」


 どうしてこの人はぼくを驚かせるようなことばかり言うんだろう。ぼくは唖然あぜんとして言葉を失った。

 

 

 

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