9-5 天魔顕現

「ティラっ!」


 抱え上げると体が熱い。尋常でないくらいに発熱して、小刻みに震えている。


「凄い熱」


 額に手を置いて、野花が驚く。


「待って今、冷たいタオル出すから」

「あたしは体を冷やすわ。お弁当冷やす用にベットボトル凍らせてあるから。たしか脇の下を冷やせばいいのよね。動脈があるから。てか、天使にも動脈があることを祈るわ」


 古海も荷物を漁りに行った。ブルゾンを脱がせ野花から凍ったタオルを受け取ると、天使服姿のティラの顔や首を拭ってやる。唇が真っ青だ。


「ティラ……」


 髪を撫でるようにかき上げてやると、瞳が開いた。炎のような赤い瞳。その奥が、かすかに銀色に輝いている。発熱は急に収まり、唇の色も戻っている。むくりと体を起こした。


「やれやれ、ようやくか」


 首をこきこき鳴らしている。


「茶番は終わりだよ。直哉はもらってゆく」

「お前……天魔だな」


 天魔は瞳を和らげた。


「沖縄以来だな、お前。私のハーレムのご主人様よ。出るのに苦労したぞ。ずいぶん強力に封じられたからな」


 ミントを見やった。


「でも時間の問題さ。だって本来、私がティラミンなんだからな。育てば天魔になる。それに――」


 腕を広げてみせた。


「それにこの場所。気持ちいい。私に力をくれるようだ。理想的だ」

面足おもだる神社」


 ミントが呟いた。


「なに?」

「面足神社、ここにある。……波旬はじゅんまつる神社が」

「そうか、それで」


 天魔はにんまりと笑みを浮かべた。


「どうりでティラの心の奥から、あっさり出てこれたわけだ。窮屈だったぞ、この心」


 伸びをした。


「あの娘、誰……」


 タオルを握り締めたまま、野花は棒立ちになっている。


「ティラちゃんなのに、なんか違う。……本物のティラちゃんは、どこに行ったの?」

「言ったでしょ。ティラは天使。こいつは悪魔よ」


 古海が答えた。


「そんな……。だってあれ、厨二設定だって……」

「もういいかな、お嬢ちゃん」


 天魔は首を傾げてみせた。


「……どちらにしろ、もう『ティラ』は消える。少なくとも表舞台からはな。これからは私の行動を、裏から見ているだけの存在になる。直哉はもらい受けるぞ。……さて行こうか。ご主人様」

「嫌だ。それよりティラを返せ、天魔」

「地獄に落ちたくなければ、私と来るしかないぞ、直哉。天魔の力で地獄への転落を防ぎ、私と共に過ごす、永遠に近い命を与えよう」


 天魔に方を掴まれた。俺の瞳の奥を覗き込む。なんだこれ。きれいな瞳だな。


 心が飲み込まれそうになった。魔力かこれも……。


 天魔と行きたい。面倒な勉強もなく、誰かに裏切られることもない。うっとうしい人間関係に気を遣わず、思うがままにふるまえる毎日は、どれほど愉快で楽しいことだろう。


 それに彼女はティラそのものだ。もし天魔をひとりで行かせたら、もう二度と会えなくなる。一緒に過ごすなら、魂の奥にティラが息づいている女と、ふたりっきりの暮らしができる……。


「そ、そうだ……な……」


 俺の唇が勝手に動くと、天魔の顔が輝いた。強く抱かれる。


 そのとき、足が痛んだ。ポケットの中のキーホルダーが、刺すように足を刺激したからだ。ティラからもらった誕生日プレゼント。銀製で、広げた天使の羽がかたどられている。


「……だっだめだ」


 心の奥の奥、最後の砦で、なんとか踏み留まった。腕でぐっと天魔を遠ざける。


「俺は……お前とは行けない」

「どうして……」


 ポケットの上からキーホルダーを撫でた。


「ティラに……。お前の心の片隅で泣いているティラに顔向けできないからだ。自分の存在意義に悩んでいた彼女に」

「十三年前、お前の命を救ったのは私だぞ。『ティラ』ではなく」

「俺を……救った……?」


 天魔の知る十三年前の出来事が、俺の心に流れ込んできた。




●猫目おまけ情報

面足神社は実在します。実際に第六天魔王波旬を祀っている神社です。正確には神道の神「面足之尊おもだるのみこと」を祀っていて。中世の神仏習合により、面足は仏教の天界最高位である第六天魔王の化身(垂迹すいじゃく)とされた歴史があります。本作を書くにあたり関東の末社にお参りしたところ、本尊様より「もっとエロ入れろ」との託宣を受けましたw がんばりますwww

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