第24.5話 はれ、ときどき、〇〇
柊夜が今朝方確認した天気予報では、本日は晴れ、のはずだった。しかし現在大学構内の校舎と校舎を結ぶ通路で柊夜は濡れている。足元に転がるバケツ。目の前にはニヤニヤといやらしく笑う男二人組、そして後方でこちらを伺う女子二人。女子の方もほくそ笑んでいるように見える。
女子のうち一人には見覚えがあった。つい最近迷惑行為を働いてきた暴走女子である。柊夜は心の中でその女子を当たり屋みたいだなと思っていたが、その娘ばかりかなんと友人までもが当たり屋だったようだ。ぶっかけられた水が使い古しの水ではなく普通に汲んできただけの水のようなので、そこは良心的なのかもしれない。だがそうだとしても絡まれるのは大変面倒臭い。この当たり屋集団誰か検挙してくんないかな、などとぼんやり考える。
「悪い。手が滑ったんだ」
男二人組の一人、黒髪短髪縁なし眼鏡男が嘲笑混じりで言ってきた。微塵も申し訳なさが感じられない。
「そそ、ちょっとした事故だって~。な?」
片耳にルーズリーフレベルにピアスをしている男がヘラヘラとしながら肩を叩いてきた。
事故で正面からバケツの水を勢いよく掛けられることはないし、そもそもバケツを持ち歩いていること自体不自然だ。その言い分は通らない。面倒なのでやり過ごすことに決める。
「そうですか、気をつけてくださいね」
柊夜はニコリと笑うと肩に置かれたルーズリーフ男の手を退けさせ、二人の脇をすり抜けるようにして去ろうとした。そのすれ違いざま、頭からさらに液体が掛けられる。こん、と頭の上で空になった紙コップが跳ね、地面に転がった。掛けられた液体は柊夜の髪を伝ってきている服に黒いシミを作っていく。周囲には液体の香りが漂った。
ぎり、と柊夜は奥歯を噛む。柊夜の様を見てルーズリーフ男がおもしろそうに口の端を引き上げた。
「あれれ~オレも手が滑っちゃったなぁ~ムカついた?ムカついちゃった?悪気はないんだ、ぐぇっ!」
ふざけた口調で柊夜に顔を近づけたルーズリーフ男だったが、突然襟元を引き寄せられ大きくつんのめる。前屈みの体勢になったところで下から素早く手が伸びてきた。そして力強く顎を掴まれる。
「鷲見っ! 柏木、お前何す、」
「おい」
「ひっ」
眼鏡男が柊夜の行為を咎めるようとするが、地を這うようなドスの効いた声で遮られた。眼鏡男は小さく悲鳴を漏らす。柊夜の様子が明らかに変わっていることに怯えたのだ。ルーズリーフ男は柊夜の手から逃れるべく顔を振ろうとするが、柊夜の顎を捉える手にさらに力が籠りそれは叶わない。
「お前ら俺に今何掛けたか……わかってんのか?」
「え?」
「わ、か、っ、て、ん、の、か?」
怒気を孕んだ声に狼狽えて、眼鏡男ーーーー三井は助けを乞うように後ろの女子たちを振り返る。しかし女子たちは顔を青褪めさせて首を横に振った。助けは期待できないので仕方なく再び柊夜に向き直る。
「何言って」
「いだだだだだだ!」
「お前の連れが、俺に掛けた液体は何だったかって聞いてんだ」
「いだいっで!」
「ココココ、コーヒーです」
迫力に押されて眼鏡男は吃りつつ答えた。
「そう、コーヒーだ……よくも……よくもコーヒーを粗末に扱ってくれたな……」
「「「……はい?」」」
後方の女子二人と三井が呆けた顔になる。
「コーヒー……悔しかったな?ちゃんと味わって欲しかったよな?可哀想に……」
柊夜が悲しげに呟き、その様子を見た柊夜以外の全員が動揺した。
「……許せないなぁ……」
「「「え……?」」」
昏い声音にゾッとした瞬間だった。
「いだだだだだだ!ぐぞ、は、な゛ぜっ」
「鷲見っ!」
ルーズリーフ男こと鷲見の顎はさらに強く掴まれた。鷲見の目にはうっすらと涙が浮かんでいる。バスケットボール掴みで鍛えられた柊夜の握力は伊達ではない。
「コーヒーはこんな風に扱われていい存在じゃない……コーヒーはな、飲む人々に安らぎを与えてくれる飲み物なんだ。そう、だからこそ飲む側はコーヒーに感謝と敬意を持って味わうべきなんだ。それなのにお前らときたら……コーヒーに謝れ、今すぐにだ」
「は、何言ってんだおま……ひっ!」
不思議なことを言われたが聞き間違いだと思い、三井は問い返しかけたが柊夜から鋭い眼光を飛ばされ、三井はひゅっと息を呑む。
「コーヒーに謝れって言ったんだ」
「いや、それは」
柊夜の言に四人とも困惑した。自分に謝れではなくそっちか!?と親衛隊メンバーたちは心の中で同時にツッコミを入れるが、とてもではないが口に出すことはできない。
「あ、や、ま、れ」
柊夜の瞳孔は怒りのあまり開いている。女子二人と三井は半泣きになった。意味がわからない上に怖い。とにかく謝ってこの場を終わりにしたい、そんな気持ちでいっぱいだった。
「「「す、す、す、すみませんでしたぁ!!!」」」
「俺にじゃないだろ?コーヒーにだろ?」
「「「コーヒーさん無駄にしてごめんなさい!!!」」」
三人の声が揃う。柊夜はその言葉に微笑む。ただし、目は笑っていない。
「二度としないでくれよ……?」
「「「は、はいぃぃいい!!!」」」
三井と女子二人は背筋を正した。どうしてこんな目に!?と思いながら。だが、これでやっと意味のわからない説教から解放されるのだと安堵した。しかし。
「で、おまえは……? お前がコーヒーに対して一番無礼で残酷な所業を行ったんだ」
男女三人組に向けられていた柊夜の目線が再び鷲見へと戻される。柊夜の説教は終わってなどいなかったのだ。柊夜の目は血走っている。
「ひぃ……!」
鷲見がか細い悲鳴を上げる。
「た、たかがコーヒーくら、」
「たかが?」
「ででででででででででででやめ、」
「たかがって言ったか?」
コーヒーへのたかが発言は柊夜相手には完全に失言であった。鷲見の顎は力強く掴まれたまま、前後に揺さぶられ、地味な苦しさを与えられている。そして相変わらず柊夜の目が怖い。
「バカ!鷲見!さっさとコーヒーに謝れ!」
「そうよ!早く!」
「コーヒーさんに土下座しなさいよ!」
既に謝罪済みの三人からアドバイスが飛んできた。体勢的に土下座は無理である。本当は柊夜に謝りたくなどはない、しかし解放されるには謝るしかなかった。鷲見が内心舌打ちをしながらコーヒーへの謝罪の言葉を口にする。するとついに鷲見の顎から柊夜の手が離れた。鷲見はその場にへたり込んでしまう。
鷲見が解放されたのを見計らってすぐさま三井は素早くしゃがんで紙コップを拾った。女子二人ーーーー瀬田明日香と織田吉乃が両サイドから鷲見の腕を取り、強引に立ち上がらせる。そして四人は逃げるようにその場を去った。というか、実際逃げた。恐怖のコーヒー魔神から。そして逃げながら柏木柊夜という男に対してコーヒーの使用は禁止しようと心に固く誓ったのだった。
走り去る四人の背中を見送りながら、柊夜は一人深い溜め息を吐く。
「ちょっとヒートアップし過ぎたか」
柊夜はコーヒーを粗末にされたり貶められたりすることに対し、つい我を忘れがちになってしまう。コーヒーへの思い入れが強いからこそなのだが、行き過ぎであることも否めないので反省する点は多い。
未だ黒い雫が滴る髪を軽く絞る。なかなかにコーヒー臭い。いい匂いだとは思うがそれは柊夜がそう思うだけであって、公共の場で匂いをぷんぷんさせるのはあまりよろしくないだろう。服には黒いシミが広がっている。運動サークルに所属する友人でも頼ってクラブハウスのシャワーや着替えなどを貸してもらおうなどと思いながら、柊夜は学生たちの活気あふれるグラウンドの方へと足を向けるのだった。
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