第10話 「来ちゃった(はぁと)」が似合うのは選ばれし人間のみである
「お疲れ様でーす」
「チャース」
柊夜と陽葵が勝手口から店舗に入り、バックヤードに顔を出す。
「お、しーちゃんはーくんは今日も仲良く同伴出勤ですか」
ウッシッシと可愛さのかけらもない笑い方で出迎えてきたベリーショートの長身美人はホール担当の
「真菜姉、言い方!!」
「そりゃ俺、ひいちゃん先輩永久指名だから」
「ひゅ~~う、熱いねぇ~~!」
「
おふざけ体質の二人を相手にするとツッコミが大変だ。就業前からエネルギー消費してしまう。
「しーちゃん早くメイクして来なよ、何してんの。早くしなよ」
「引き止めたの真菜姉だろ!」
「ひいちゃん先輩どうどう」
ひとしきり年下男子で遊んだところで真菜は急に真顔で準備を促して来た。自由人の姉の友人は自由人。類は友を呼ぶとはよく言ったものだ。柊夜は鼻息荒く、陽葵は苦笑いで柊夜の背中を押しながら更衣室へ向かった。
更衣室に着くと柊夜はさっさと鏡の前で化粧を始めた。時短でも仕上がりのいいメイクを不本意ながらも姉に叩き込まれているため、手早く顔を仕上げていく。
「いつ見ても女装したひいちゃん先輩、違和感ないよね。どう見ても女子。声色も使い分けてるし声優さん?ってなる」
自分の支度を終えた陽葵は椅子に座って、変化していく柊夜を楽しそうに眺めていた。
「嬉しくねぇし。それに声優さんに失礼だろ。あちらはキャラクターを作り上げて演技をなさるプロ、俺は瞬間的にワンオクターブあげてるだけ。ちょっと見た目を整えてなきゃ男ってバレる」
「ひいちゃん先輩の声優さんに対するリスペクトがものすごい伝わってきた」
「お前、支度終わったならさっさと厨房行けよ。俺もすぐ行くから」
「イエッサー」
パタンと戸が閉まり、室内には柊夜一人になる。残りの身支度を整え、柊夜も陽葵の後を追うように更衣室を後にした。
バックヤードに行くと真菜が何だか浮き足立っていた。反対に陽葵は眉間に皺が寄っている。暁は淡々と作業をしていて、いつもと変わりない。
「どしたん」
不思議に思って様子のおかしい方の二人に声をかけると、二人の顔がぐりっと柊夜へと向いた。
「ひいちゃん先輩は今日帰ったほうがいい。むしろ俺も帰る。早く帰ろう、今すぐに!!」
陽葵に右腕を取られる。
「ちょっとはーくん!急なシフト変更やめてよ!!離さないんだから!」
真菜に左腕を取られた。
「何なんだよ一体!?イタタタタ!引っ張んな!」
両方向に引っ張られて腕も体も痛い。二人ともなかなかに力が強い。どちらも離す気は無いらしい。大岡裁きを求む。先に手を離してくれた方の言う通りにしてあげたい。だからどちらでもいいからさっさと解放してくれ、柊夜は切に願った。
「ひいちゃん先輩は知らなくていい」
「すっごいイケメンがお店に来てるの!」
「何て?」
見事に二人の声がハモってよくわからないことになった。柊夜を挟んで真菜と陽葵が睨み合っている。何だこれ、と思っているとそこに貴匡が現れた。
「……今は就業時間だってわかってるかい、君たち?」
笑顔が怖かった。
「「「す、すみませんでした……」」」
三人で平謝りした後、即座に真菜はホールに出て、陽葵は皿洗いを始めた。
「柊ちゃんは今日もホール、時々厨房でいいとして……ひとまずお客さんが来てるよ」
「ん?」
「はい、七番テーブルにブルーマウンテン持って行ってくれる?」
「ラジャ」
貴匡からコーヒーカップを受け取り、トレンチに載せる。そして指定された席へと向かっていると見覚えのある後ろ姿が見えた。気のせいであって欲しいとは思うが、おそらく気のせいではないのだろう。周囲の女性客からチラチラ秋波を送られているようだが、本人は意に介さずといったところだろうか。
「お待たせしました、ブルーマウンテンです」
柊夜が笑顔でコーヒーを差し出すと、七番テーブルの客は読んでいた小説を閉じた。予想通りの人物が、そこにいた。そして柊夜を見上げて笑う。
「来ちゃった」
その甘い微笑みで女性客が色めき立った。祖母の御友人までもだ。王子スマイルの効果は凄まじい。老若男女を虜にするというキャッチフレーズ(?)は伊達じゃないらしい。さすがはリア充オブリア充である。
(きちゃった、じゃねぇんだよぉおおお!それが似合うのは選ばれし者のみ……)
柊夜は心の中で毒づいた。都村をまっすぐ見据える。……美形の笑顔は眩しかった。
(……コイツ選ばれし者だった、コンチクショウ!!)
柊夜は敗北した。
「……早速のご来店ありがとうございますぅ~ウフフフフ」
柊夜は渾身の営業スマイルを繰り出す。しかし目元こそ笑っていたものの、口元が引きつるのは止められなかった。
「この間飲んだコーヒーが美味しくて忘れられなくて。あのマスターの他のコーヒーも飲んでみたくなったんだよね」
そう言いつつ、都村が運ばれてきたブルーマウンテンを口にする。都村の口からはすぐにあ、うまいと声が漏れた。
「オレ、コーヒーが好きでいろいろな店を回ってるんだけど。ここのブルーマウンテン、他の店より風味豊かで美味しいね」
都村の顔が綻ぶ。王子スマイルとはまた違った表情だが、喜びが伝わってきてその言葉には嘘がないことがよくわかる。マスターが、ブラン・ノワールが褒められたのだ。柊夜の顔はパッと明るくなった。
「でしょう!マスターはバリスタのコンテストでも上位入賞できるほどの腕前だし、そんなマスターが厳選した豆を現地に赴いて買い付けに行ったりしてすごくこだわってるんですよ!豆は先代から贔屓にしているところで……」
柊夜がトレンチを抱きしめて目を輝かせながら前のめりに熱く語り出す。先程までおすまし接客モードでしかなかった柊夜が急に熱烈に語り始めたので都村は目を丸くした。そしてその目が緩い弧を描く。
「店員さんは本当にこのお店が大好きなんだね」
都村が言えば、柊夜はハッと我に返った。
「す、すみません、つい……」
顔を真っ赤にして申し訳なさげに縮こまる柊夜に、周囲からクスクスと笑いが漏れる。微笑ましいという意味での笑いだ。柊夜のブラン・ノワール愛は常連さんたちには周知のものなのだ。
「本当、かわいい」
ポツリと都村が呟く。
「はい?」
「……いいや、なんでも」
「? では失礼します」
都村の呟きは柊夜の耳に届かなかったらしい。都村は何事もなかったように笑う。柊夜は首を傾げながらもその場を後にした。
その後都村はまた別のコーヒーを注文して、ホールを動き回る柊夜の姿を楽しげに見つめるのだった。
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