第13話 懇願

「ただいま~」

そう言って玄関のドアを開けると、

夕食の匂いがしてくる。


「おいしそうな匂い!

今日の晩御飯って何?」

そう言いながらキッチンへ歩いて行く。


「今日は少し遅かったね? 大丈夫だった? 

携帯に何度か電話したんだけど……」

とお母さんが心配そうに聞いてくる。


「あ、ごめん、電源切ってたから気付かなかったよ。

実は今日ね、美術部に顔を出してきたんだ。

ほら、矢野先輩覚えてる?入学式の時受付に居た……」


「あ~、あの美術部の部長だっていう、

割と奇麗な顔をした子だったよね」とお母さんも抜け目がない。


「ま~、奇麗は置いといて、その矢野部長に誘われて、

今日美術部の見学に行ってきたんだ」

とカバンをテーブルに置きながら話す。


「それで、どうしたの?」

「それがね、聞いてよ。

ほら、2年ほど前に僕が高校生の絵画展に行ったの覚えてる?

凄く気に入った絵があったって話した……」


「あ~! 要がどうしても買いたいって言ってたやつだね。

あの時は、駄々こねられてどうしようと思ったから、良く覚えてるよ。」

それから僕は興奮気味に、

「そうそう、それ!

実は、矢野先輩ってあの絵の作者だったんだよ。

それにあの絵と同じで、凄く温かい心の人で……

偶然ってあるんだね!」と捲し立てる。

「それは凄い偶然だね」とお母さんも同意する。

「お母さん、僕やっぱり美術部に入りたい」と懇願する。


僕の一番の問題は発情期の事だった。

まだ発情期の来ない僕は、周期が分からない。

よって、何時、発情期に襲われるか全くの検討が付かないのだ。

その為、発情期が訪れるまでは、少なくとも、

学校と家の往復だけに留めておこうと前に決めておいた。

中学生の時も同じようにした。

出かけるとしても、家に近い範囲に留まっていた。


「でも要、あなたまだ発情期が……」

お母さんは心配している。


「実はね、今日矢野先輩と色々と話をしてみたんだけど、

彼は凄く第二次性に対して理解があり、どの性であっても、

真摯に接しているんだ。

まだ先輩に会って2,3度しか話した事は無いけど、

先輩だったら信用できると思う。

きっと、良い相談役になってくれるんじゃないかと思う」

と真剣に伝えた。


「彼の第二次性って知ってる?」と言うお母さんの問いに、

「先輩は自分の事をαだって言ってた」と答えた。


「それって、一番危ないじゃないか。

もし、矢野君の前で発情期になったらどうするの? 

矢野君まで巻き込んでしまうんだよ」

とオメガであるお母さんは僕よりもシビアだ。


「大丈夫だよ。

抑制剤は何時もカバンや内ポケットにはいってるから、

何時でも、どこからかは、取り出せるようにしてるから。

少し体調が何時もより変だと思えば、すぐに抑制剤をのむようにもするし」

と説得を試みる。


「要、発情期って前触れもなく来るんだよ。

発情期が不意に来てしまったら、

一人で対処するのは自分が思うよりずっと大変なんだよ。

それに持ってる抑制剤が聞かないと大変な事になるんだよ」

とお母さんは彼の意見を譲らない。


「だったら尚さらのこそ、

先輩に事情を説明して理解してもらっていたら……

僕は……

高校では思いっきり青春を楽しみたいんだ」


そう力説する僕に観念したのか、

「じゃあ、僕も矢野君とは話をしてみるから、

今度家に招待してごらん」とお母さんが折れてくれた。


「ありがとう、お母さん! 大好き!」

そう言って彼の頬にキスをしてハグをした。


「ハハ、ありがとう。

僕も要の事、凄く愛してるよ」

そう言って更に強く抱きしめてくれた。


「あ、そう言えばね、矢野先輩ってお母さんの事大好きみたいだよ?」

「どういう意味?」

「バイオリニストの如月優の大ファンなんだって。

なんか、ファンと言うよりは、

お母さんに恋する少年みたいな?」

と言ったはなから、

「ちょっと~、それって困るんだけど……

優君は俺のだぞ!」とお父さん登場。

そしてお母さんの頬にグッドモーンイング! とキスをする。


「あれ? お父さん居たんだ」

「あ~、うん。

今日は夜からのスタジオ入りでね、今起きてきたところ。

あ、いや、それよりも優君に惚れてる少年がいるって?」

と、何処から聞いていたのか横槍を入れてくる。


「惚れてるっていうか、ま、憧れなんじゃないかな? 

ほら、入学式の時受付に居た先輩覚えてる?

美術部部長だっていう」


「あ~、あの奇麗な顔をした!」

とお父さんも先輩の事をそういう風に見ている。


「確かに先輩は奇麗な顔をしてるけど、顔は今は関係ないでしょ。

先輩がね、お母さんの大ファンなんだって」


お父さんは腕を組んでうん、うんと頷いている。


「ま、優君はかっこいいし、

奇麗だから少年が憧れる気持ちは分からんではないが、

で、その少年が何だって?」


「僕、美術部に入部しようと思って。

先輩が、僕の良き相談相手になってくれたらって、

今お母さんとも話してたんだ。」と言ったとたん、


「部活動? いか~ん!

アブな過ぎる。

もし俺の大切な要に何かあったらどうするんだ!」


相変わらず親バカだ。


ここは僕に任せてとでも言うように

お母さんは僕に目配せをしてシッ、シッと手で払う。

「じゃ、僕は着替えてご飯食べる準備してくる!」

そう言って、颯爽と自分の部屋へ消えた。

その後、お父さんとお母さんは何かボソボソと話込んでいた。


制服を着替えながら、

何故僕には発情期が来ないのだろう?

と思いを巡らせていた。


お母さんも、お父さんに会うまでは発情期が来なかったって言ってたから、

多分遺伝的な物だろうが、今のところ心を揺るがす様な人に会った事はない。

強いていえば、矢野先輩の事、

初めてちょっと気が許せる人に会えたなっていう思いは有る。

一緒に居ると凄く安心して居心地が良い。


明日は家への招待に行くからまた先輩に会える。

そう思うと、なんだかワクワクしてきた。


もっと先輩の事が知りたい…

うん、先輩なら絶対大丈夫だ。

きっと、お父さんも、お母さんも気に入ってくれるはずだ。

当てにならない安心感を持って、僕はダイニングへと急いだ。

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