第2話
いじめは悪いことですか? と問えば、悪いことだと答える。
いじめは仕方ないことですか? と問えば、そんなことはないと答える。
いじめを正当化することはできますか? と問えば、絶対にできないと答える。
いじめを正当化する人をどう思いますか? と問えば、理解不能だと答える。
では、なぜいじめは無くならないと思いますか?
ーーーーーー。
唐突な質問から始まり誠に申し訳ない限りです。
しかし、許していただきたい。窓の外で、ユダヤ人のヒゲを笑いながら切り落とすゲシュタポの姿を見て、くだらぬ感傷に浸らざるおえなくなった哀れな少女なのですから。
まぁ、私も彼らのお仲間ですが。
こんにちはターニャ・デグレチャフ親衛隊中尉であります。
誠に恐縮ではありますが、皆様には少々、私の回想録にお付き合いいただきたく思います。
小中学生の頃、道徳の時間というくだらないものが存在したことを皆様は覚えているでしょうか。
私も昔、初老の教師からありがたいお話をご教授いただいた経験があります。
いじめは悪いことです。差別はしてはいけません。皆、平等なのです。と言ってはいたが、これと言って感銘を受けることはなかった。そして、これと言って反感も抱かなかった。いじめや差別がいけないことなのは知ってもいるし、当たり前だという万人共通の意識もあった。だが、実感は持てなかったし、別段どうでもいいとすら思っていた。
幸い私のクラスは平穏だったが、ある事件をきっかけにそれは崩れた。
とある女子生徒が親に買ってもらったであろうブランド品を自慢げに見せびらかしたのだ。
それは、数万円としないちょっとしたネックレスであり、私は特に気にもとめていなかったのを覚えている。
そもそも、男であった私にはそれを身につけるという行為に意味を見出せなかった。そもそもなぜ女という生き物は、自分を着飾ることにばかり気を使うのだろうか、とさえ考えていた。
大人になってみて理解できた。理解したというようも受け入れたのだ。男と女は違うのだと。そうしたいからそうしているのだ。その逆もまた然り。それに気づくのに、だいぶ時間を要したのはまだまだ私が未熟だということなのだろうか。できる男は、それを分かった上で付き合っているのだろう。
まぁ、幼女となった私には今となってはどうでもいい話である。
ああ、これは失礼。くだらない話をしてしまいましたね。
では、話を戻して。
買ってもらったものを自慢したい。子供なのだから尚更、それは理解できるのだが。世の中には自分以上の存在に対し妬みや嫉妬を持つ者がいる。まさに欲深く陰湿な人間の闇だ。
陰口から始まり少しづつ得体の知れないそれはクラスを蝕み始めた。
ゆっくりと侵食し一人また一人と生徒を取り込む。目には見えず感じることもできない不気味な存在。
そして、ついに女子生徒へのいじめが始まったのだ。はじめはただのからかい半分の冗談だったのだろう、誰かが女子生徒……仮にAさんとしよう。
他クラスの生徒がAさんを遊びに誘うために話しかけたときだった。
それに対してある生徒が、Aさんを指さしてこう言ったのだ。「こいつお嬢様だから、庶民の俺らとは遊べないんだってさ」と。その場では、そう発言した生徒の仲間が笑っているだけで、周りの子供はあまり関心を持っていないようだった。そのはずだった。
次の日、クラスの生徒たち、特に女子生徒がAさんを避けるようになった。ある者は嫌味を言い、ある者は無視をし、ある者は陰口を叩く。それは、次第にエスカレートしていきついにはAさんはクラス中からの嫌われ者となったのだった。Aさんと親しかった者たちは自分たちに火の粉が降りかかるのを恐れ距離を置いた。中には積極的にいじめに加担する者も現れた。誰もそれを止める者はいなかった。
「Aはお嬢様でわがままだから、クラスのことに何も協力しない」
「Aがコンクールで優勝できたのは親のコネだ」
「Aは大人から贔屓されている」
「Aは自分たちの疫病神だ」
根も葉もない噂がクラス中に蔓延していた。
そして、Aさんはついに学校へ来なくなってしまった。
ここまでならよくあるいじめの構図であるが、私が一番興味深いと感じた事は、あれ程までにAさんのことで、グループの況してや男女の垣根を超えて盛り上がっていたクラスが、一瞬にして普段通りのよくある一般的な中学生の一クラスへと元に戻ったのである。いじめという行為が生徒たちの一貫した意識となり、団結を生んでいたのだろう。
実行者がいれば傍観者も現れる。人の不幸は蜜の味というが、その傍観者たちも、その状況を楽しんでいるのは確かだった。
いじめに積極的に参加していなかった傍観者たちも含め確かに彼らは一つの目的のもと団結したのだ。もしかしたら、傍観者の中には助けようとした者もいたのかも知れない。しかし、クラスには、自分たちは正しいことをしているとまではいかないが、間違っていないといった雰囲気があった。その雰囲気に楯突ける勇者はいなかったのだろう。分からなくもない。そんな空気の中でいじめは悪いことであると正論を述べでもすれば、次の敵は自分になってしまうのだから。それが外部から切り離された閉鎖的なところであれば尚更だ。利口な人間ほど場の空気に流されるものである。
集団心理というものは、個々の人間の感情を麻痺させる。自分たちが作った雰囲気に自分たちが飲まれ、戻れなくなってしまうとは、とんだ皮肉である。道徳の概念が歪められ改変されてしまったら最後、その概念を自己で修復する事は不可能である。
数日後、Aさんの両親によっていじめの存在が暴露されることとなり、指摘を受けた学校側の調査によっていじめを主導した主犯格の生徒たちだけに罰が下されて、めでたしめでたし。
公平や平等なんてものは、仲間だと認められたことを前提に与えられるものであり、その前提すらない者は虐げられてしまう。
不道徳だとされることが、美化されあまつさえ道徳的であるとまでされる世界。国によって道徳の概念が作り変えれ、弱い者を排斥することに名誉さえ与えられる場所。それが、我がドイツ第三帝国なのである。
私の知る史実によれば、そんないじめっ子クラスドイツを糾弾したのがアメリカ先生を筆頭とする連合軍教師陣というわけだ。
だがしかし、現段階で私はドイツ人でありドイツの正義の担い手として振舞わなくてはならない。なぜなら、そうしなければ、この国では生きていくことができないのだから。
総統こそが我々の正義なのだ。
「忠誠こそ我が名誉、か」
「中尉?」
「ああ、いや。何でもない。少しばかり考え事をしていただけだ。何、つまらぬ自問自答さ。気にすることはない」
「さて、軍曹」
「はい」
「例の命令書は届いているかね?」
「はっ。ヒムラー長官からです。直筆のサインも添えられています」
「それはありがたい。長官には、あとでお礼申し上げねばならないな」
相変わらず、仕事が早くて助かる。勤勉さはドイツ人の美徳の一つだな。
私は、副官から手渡された命令書と、同封されていたファイルに不備がないかを念のために確認する。
「あの、中尉」
「何だ?」
「いえ……」
「だから何だね? 安心しろ、この書類を見て感じた程度の疑問を述べたところで銃殺などされんよ」
「そのリストはいったい?」
「希望だよ」
「……希望でありますか?」
そう、希望だ。
リストにはずらりと技術者、研究者の名前が載っている。皆、我々ナチスの手を逃れるためにポーランドへと亡命した者たちだ。
もちろん、亡命者と言うのだからユダヤ人がその大半である。彼らの頭脳は非常に優秀である。それ故に絶対に逃すわけにはいかないのだ。何としてでもアメリカへ逃れる前に何とかせねばならない。
「今に分かるさ。さてと、仕事に取り掛かるとしようじゃないか。何せ2週間後にはベルリンへ戻らねばならないからな」
私が唐突にコーヒーカップをテーブルへ置くのと同時に、副官は慌てたようにコートを私の肩に羽織らせた。
司令部へと出向いた私は長官からの命令書を持参しているということもあり、ほとんど待たせられることもなく司令部の執務室へと通された。
自分の背丈よりも遥かに高い扉の前に立ち、少しばかり息を吸って気を取り直す。
「失礼します」
紫煙をくゆらせている司令官がこちらに目を向けた。
「ハイル・ヒトラー!」
右腕を突き出し軍靴の踵で音を鳴らして敬礼をすると、司令官も同様の敬礼でそれに応える。と言っても、右腕を軽く上に振り上げた程度の簡単なものだ。兵士や下士官がいれば別だが、ここには彼と私しかいないので、そこまで格式張ったことをする意味はないのだろう。
「ハイル・ヒトラー。中尉、ご苦労だったな」
「いえ。司令官へ長官からの命令書をお持ちしました。こちらを」
司令官は差し出した命令書をタバコを咥えたまま受け取ると、ところどころ朗読しながら内容を目で追っている。
命令書の内容はこうだ。
東親衛隊及び警察高級指導者司令部へ。ポーランド国内において在住または潜伏中の全ユダヤ人科学者及び技術者及び数学者を逮捕せよ。
上記の目的達成の為ならば、如何なる手段を講じることも許可する。
「ーー親衛隊全国指導者及び全ドイツ警察長官ハインリヒ・ヒムラー。ふむ、確かに長官、直々のお達しのようだ。しかし、連絡将校でない貴官が来たと言うことは」
「はっ。長官から命令の実行指揮を、と仰せつかっております」
「……よろしい。では、ただいまより貴官を指揮官として任命しよう。義務以上の働きを期待しているぞ」
しれっと時間外労働を強要してくるのはどうかと思うが、残念なことに労基は存在しないのだ。
まぁ、あったとしても戦時下できちんと機能するとは思えないが。
「謹んで拝命致します」
「手の空いている人員をそちらに回す。編成は自由にしたまえ」
「はっ。捕らえたユダヤ人の身柄は随時、本国へと移送することになります」
「優先的に中尉の命令が通るようにしておこう」
「ありがとうございます。では、私はこれで」
司令部から出た私の顔を冷たい風が撫ぜる。
11月、すでに秋は終わりを告げ、街は初冬の様相を呈している。澄んだ空気に私の白息が滲み、風に掻き消される。ああ、世界は醜い戦争を繰り広げているというのに。と、余計な考えを振り切って歩き出す。
せいぜい前線へ送られることがないように、給料以上の働きをするとしよう。
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