第7話 僻地に飛ばされたカッシオと妖艶な公爵令嬢ロザリア


 ディーノに協力を断られたというのに上機嫌のアウローラを見て、ミラーナは脱力する。

 アウローラとしては、ディーノと再会できただけでも十分な成果だったのだろう。

 本来の目的は果たせず仕舞いだが、長居するような場所ではない。早々に立ち去る必要があった。


「残念ですが、ご協力頂けないというのであれば仕方がありません。アウローラ様、一度この地から離れましょう」

「……? なぜですか?」

「なぜ、と問い返されるほうが不思議なのですが」


 王城に帰るのが普通であり、疑問を挟む余地もない。だというのに、ディーノにくっついて不思議そうな表情を浮かべるアウローラに、ミラーナは嫌な予感を覚えた。


 いいえ。いくらディーノ様を好ましく思っていようとも、そのような突拍子もない行動をミラーナ様が取るはずがありません。


 そう自身に言い聞かせるミラーナであったが、アウローラへの信頼は綺麗に裏切られてしまう。

 アウローラはなんでもないように、ミラーナの心労を増やしていく。


「先程も言ったように、もうお兄様から離れるつもりはありませんよ?」


 ……これまで頑張り過ぎてきた反動でしょうか。それとも、新手の反抗期?


 ミラーナは頭を抱える気力もなく、深い深いため息を付くしかなかった。


 ――


 モストロ領域に接するサングエ帝国の辺境領イニーツオ。

 モストロ領域から紛れ込む魔物から町を守るため砦が建築されているが、それ以外に関しては田畑が多く、サングエ帝国の中でも素朴な田舎の地だ。

 隣接するのがモストロ領域だけであり、国境に接していながら侵攻してくる国家が存在しないのが大きい。

 サングエ帝国の目玉である鉄製品も少なく、帝国内でも珍しい農業中心の地域であった。


 そんな辺鄙へんぴな町の中を、二頭の白馬に引かれた豪奢な馬車が走っていた。

 馬車内では、田舎の町には似つかわしくない、宝石や精緻な装飾品に身を包んだ第二皇子カッシオ・クローディアがイライラと貧乏揺すりをし、不機嫌を振る舞いていた。


「くそっ! なぜこのオレがこのような辺境の地に飛ばされねばならぬのだ!?」


 カッシオがイニーツオにいるのは、ひとえに先日あった会議によるところが大きい。

 皇帝から皇子や皇女、有力貴族などといった国の重鎮が集った首脳会議。その会議に上がった議題の結果、カッシオは望まぬ辺境の地へ飛ばされてしまったのだ。

 現皇帝の御前で取り決められた人事だ。いくら独善的なカッシオとて逆らうことはできない。

 そのせいで、イニーツオに向かうまでも周囲の使用人に当たり散らし、終始苛立っていた。そんなカッシオを乗せる馬車が突然止まる。

 急なことに対応しきれず、後頭部を打ったカッシオが御者台で手綱を握る者へと怒鳴る。


「何事だっ!?」

「申し訳ございません! 子供が馬車の前に居たものですから」


 御者が慌てた様子で返答した。

 男の返答に、カッシオは歯噛みする。


「……っ、平民の、それも子供がオレの道を阻むだと」


 わなわなと、カッシオの身体が怒りで震える。

 イニーツオに飛ばされる原因となった会議の件もあり、元からカッシオは機嫌が悪かった。


 どいつもこいつも、このオレを舐めやがって!!


 殴るように扉を開けて、大きな音を立てながら馬車を降りると、馬車の前では泣く子供を抱きかかえた母親だと思われる女性が地に頭を付けて平伏していた。

 自身の子が行ってしまった事をよく理解しているのだろう。顔は青褪め、恐怖で身体を震わせる母親が必死に許しを請う。


「どうか、どうかお許しを……っ」


 母が子を守らんとする健気な姿。

 しかし、カッシオにとっては下等な平民が、皇子である自身に伏しているだけにしか見えない。このような平民のために高貴なる自分の時間を浪費したのかと、怒りは募るばかりだ。

 ささくれ立つ心のままに、カッシオは母親を殴り飛ばす。

 鈍い音を鳴らし、抱きしめていた子供と共に女性は倒れてしまう。女性の頬は赤く腫れ、口の端から血が零れる。


「おかあさんっ! おかあさんっ!!」


 泣いて母親を呼ぶ子供にも慈悲はなく、カッシオは無常にも非情なる判決を下す。


「次期皇帝であるオレの邪魔をした貴様らは絶対に許さん! 処刑だ!!」


 周囲で事の成り行きを見守っていた住人がざわつく。

 相手は皇族。この地で暮らす者にとっても、普段は目にすることすら叶わぬ高貴なる存在だ。彼の怒りに触れ、自身まで殺されるのではないかと、二の足を踏むのは当然である。

 だからといって、見捨てたいわけではないのだ。

 そもそも、子供が馬車に轢かれそうになったのも、町中だというのに早馬のように馬を酷使し、勢い良く馬車を走らせていただからだ。それは、早く屋敷で休みたいというカッシオの要望であった。

 田舎故に馬車の行き来はほとんどない。速度を上げて走らせる馬車となれば、皆無と言っていい。

 そこに警告もなく突然馬車を走らせて来たため、子供が逃げ遅れてしまったのだ。皇子を怒らせてはいけないと思いつつも、カッシオの判決に住民たちは憤りを感じていた。

 どうすれば良いのか。住民たちが迷っている間にも、事態は進む。腰に下げていた宝剣を天に掲げると、血走った目でカッシオは親子を見下ろす。


「死んで罪を償え」


 もうどうすることもできないと誰が諦めた時、凛とした女性の声が響いた。


「――その辺りで宜しいのではなくって?」


 馬車内から発せられた声。特別声が大きかったわけではないが、淀みのない良く通る声は周囲の住民の耳にまで届いていた。当然、声を掛けられたカッシオにも。

 彼は剣を力なく降ろすと、車内にいる女性の名を呼ぶ。


「ロザリア……」

「平民の血で、カッシオ様のお召し物を汚す必要もありませんわ」


 あくまでカッシオのためだと語るロザリアと呼ばれた女性。

 利己主義なカッシオにしては珍しく、彼女の言葉を受けて悩む表情を見せる。

 未だ収まらぬ苛立ちはあったが、カッシオは舌打ちをすると剣を納めた。せめてとばかりに母子を蹴り飛ばすと、馬車の中へと戻り勢い良く腰を下ろした。


「ふんっ! 気分が悪い!」

「少し落ち着いてはいかがかしら?」


 アメジストの輝きを放つ瞳を細め、公爵家令嬢ロザリア・レジーナは妖艶に微笑む。

 少々キツイ目元ながらも、端正に整えられた顔立ち。金色の長い金髪が映えるよう合わせられたのか、赤い装飾が施された黒いドレスは彼女の妖艶さを際立たせる。

 剥き出しの肩や胸元は、男の情欲を駆り立てるように白く、艶めかしい。

 気品と美貌を併せ持つ姿は、公爵令嬢に相応しい高貴さを伴っていた。

 ロザリアの白い谷間に一瞬視線を吸い寄せられたカッシオは、機嫌が悪いと彼女に伝わるようにこれ見よがしに鼻を鳴らす。


「これが落ち着いてなどいられるか! なんの恨みがあるか知らんが、アウローラめっ……。妹の分際でこのオレに逆らうなど万死に値する!」


 会議のことを思い出し、カッシオは膝の上で拳を強く握る。

 カッシオがイニーツオに飛ばされた理由は、奇しくもディーノと同じ横領であった。異なるのは、ディーノは冤罪であったが、カッシオは事実であったということ。

 もとより、辺境領イニーツオは第二皇子であるカッシオが治めていた。しかし、高貴なる皇子がなぜこのような辺境の地を管理せねばならないのかと放置していた挙句、領地に使用すべき財源を自身を着飾るための装飾品や、気に入った女性への贈り物など欲望のままに散財していたのだ。

 アウローラはそのことを証拠と共に議題に上げ、


『犯した罪は、自分自身で贖うべきです』


 と主張し、責任を取るまでイニーツオに留まること、帝都に足を踏み入れないことを提案。


『アウローラぁっ! 貴様ぁあああああっ!!』


 自分は無実であるというカッシオの悪あがきは実らず、アウローラの提案は可決されたのだ。

 全てはカッシオ自身が招いたことであるが、彼は全ての元凶はアウローラであると憎悪を募らせる。


「俺が皇帝になった暁には、断頭台にあの首を乗せて手ずから刈り取ってやるわ!」

「うふふ。ええ、それはとてもよい考えだと思うわ」

「そうか、お前もそう思うか? ははは! 将来の楽しみが増えたな!」


 ロザリアに賛同され、気分がよくなったカッシオはげらげらと下品に笑う。アウローラの首を落とすことを想像し、更に気持ちが高揚していく。


「それに、悪いことばかりではないわ」

「このような辺境の地が、か? オレにはなにもないくだらない地にしか見えんが」

「そうね。でも、カッシオ様と一緒であれば、悪くないわ、ね?」


 朱く、瑞々しい唇に含みのある笑みを浮かべる。カッシオの膝に細く、しなやかな手をそっと添える。

 見上げる瞳は美しく、触れれば柔らかいであろう胸元を覗く形となり、カッシオはたまらず喉を鳴らす。

 好意を寄せる女性にそのように言われては、男として昂らないわけがなかった。先程までの機嫌の悪さなど嘘のように、見事なまでにカッシオは調子に乗る。


「そうかそうか! そうだな! 確かにそうだ! お前と一緒であればこのような田舎であろうとも確かに悪くはないな。であれば、屋敷に付いたら豪華なパーティを催さねばならないな。なにせ、次期皇帝であるオレと、妃となるロザリアがこの地を訪れた記念日なのだからな!」

「まあ……お上手なのね」


 くすくすと、小鳥の囁きのように可愛らしい笑みを零すロザリアに、カッシオは屋敷に付くまでの間どれだけ自身が偉大なのかを語った。


 ――その笑みに、妖しさが含まれていることに気が付かずに――

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