第十四話 逆襲
サリオンとアルベルトが南館の廊下を進んで行くと、柱に取りつけられた燭台の火がうねって揺らめく。この館内の最も奥まった一室が皇帝の饗宴の間になる。
他の客人が皇帝の間の前を横切ることはない。
逆に、他の客人の饗宴の間の前を二人は無言で行き過ぎる。
両開きの扉越しに、竪琴の音や吟遊詩人の歌声が洩れ聞こえている。豪快に笑い、談話する客人の声がする。
自分とアルベルトがいる空間だけが凍てついて、別世界のようだった。
廻しの下男に先導される皇帝の胸の内。
それは誰にもわからない。
今度のことでレナを抱く絶好の口実が出来たと、浮き足立っているのでは。
無言と無表情を貫きながらも、まんざらでもない。
そう感じているのでは。
本能としての男の欲を知り尽くしているサリオンの頭には、疑念の念しか湧き出ない。饗宴の間に案内しているだけなのに、もう既に胸が押しつぶされそうだ。石造りの薄暗い廊下の突き当たりに来て、サリオンは重厚な両開け扉の正面に立つ。
青銅で獅子の頭を象ったノッカーを眼下に捉え、身構える。
皇帝の来館を受けて、饗宴の間には前菜やワインを用意する者、かぐわしい生花を大振りの花瓶に生ける者、弦楽器を爪弾く者、皇帝をもてなす支度に下男達が追われている。そんな彼等にノッカーで、皇帝の到着を進言する。
両扉が開けられたと同時に彼等は手を止め、姿を見せた皇帝に一礼する。
一連の慣習に従って、サリオンがノッカーに手を掛けた時だった。
背後から肘を掴まれ、制される。
「……アルベルト」
サリオンは振り返り、思い詰めた顔つきの皇帝を名で呼んだ。
眉を寄せ、唇を固く引き結び、亜麻色の瞳にタガの外れた決意の色をみなぎらせている。
「もしも……」
顔も声も強ばらせたアルベルトに肘をぐっと寄せられた。
「何、……」
「もしも俺が、お前もレナも後宮に呼び寄せたいと言ったなら、それでもお前は断るのか?」
挑むように目と目を合わせたアルベルトが鋭い語気で言い放つ。
「だから、それは」
「レナは公娼の元昼三として、後宮でも優遇する。お前も後宮に入ってくれるなら、お前一人を俺は抱く。オリバーが子を産む前に、俺とお前の子をなすことが出来なければ、レナと寝る」
凄みさえ感じさせる低音で紡がれた申し出が、サリオンの胸と心を占拠する。
サリオンは
後宮に迎え入れられる。レナと二人で宮殿に。
そもそも世継ぎを身籠ったレナを送り出し、どうして自分はΩの奴隷の宿命を、全うしようとしたのだろう。
レナの長きに渡る片恋を叶えてやりたい一心で、危ない橋を渡ってでも避妊薬を入手した。諦めの悪いアルベルトにレナを抱くよう画策したのは、なぜなのか。
一旦顔を伏せた後、首をゆっくり巡らせたサリオンは、アルベルトをひたと見る。
オリバーがダビデの子を産むまでの間だけ、アルベルトと
それでも無理だと分かっている。
不妊の体は、どうすることも出来ないのだ。
けれどもと、胸いっぱいに息を吸い、サリオンは青銅製のノッカーから手を離す。
「本気……か?」
「本気だ」
勇ましいふたつ返事の直後から、凪のような沈黙が二人の間に横たわる。
顔を背けたサリオンは、どんなに些細な表情も見逃すまいとするような、強い視線で炙られる。
鼓動が胸を打ちつける。
廊下の天窓から斜に月明かりが射し込んで、二人の間を
「サリオン」
「わかった」
顔を上げたサリオンが
無駄だとわかっているくせに。
レナには負けない。渡さない。
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