第十二話 言えない見えない

「ミハエルは寝所しんじょ持ちのΩで、何かと俺を気にかけて……」

「お前を気にかけてる奴が泣かせるのか?」

 

怒りの矛先を変えられて、サリオンは喉が詰まったようになる。

ミハエルの優しさに触れ、不意に零れた涙を拭った時から見られていたのか。

気炎を吐くアルベルトの怒りは治まらない。

かといって、涙の理由を本人に聞かせる事はできないと、

サリオンは瞳を激しく震わせた。

すると、頭上からクスリと笑う声がした。


「ご心配には及びません、陛下。慈悲深い彼は私の悲惨な過去の話に同調し、涙してくれただけでございます」

 

作り話で助け舟を出してくれたミハエルが、階段を数段下りると振り返り、

アルベルトに深々とお辞儀じきした。

「それでは、私はこれで失礼致します」


芝居がかった声音で告げると、

まだアルベルトに抱かれたままのサリオンに顔を近づけ、囁いた。


「……相変わらず愛されてるな。俺が心配することもなかったか?」

 

アルベルトは剣呑な空気をまとったまま、サリオンをからかったミハエルから、

体をよじってサリオンを反対側へと遠ざける。

まるで自分以外の男とは会話すら許さない。

指一本触れさせないとでも言いたげに。

 

肩越しに艶然とした微笑を寄越したミハエルは、大階段を快活に駆け下りる。

その後ろ姿が大ホールを抜け、回廊に入って消えるまで、

アルベルトの視線はミハエルを追い、頑なにサリオンを抱いていた。


これは俺のものだから、誰にもやらない、触らせないと駄々をこね、

闇雲に喚いて主張する意固地な子供のようだった。

アルベルトのトガのドレープにくるまれて、

サリオンの鼓動は刻一刻と速まった。

 

このままずっと頬に胸を押し当てて、抱き締められていられたら。

アルベルトの体温、腕の力、厚い胸板、香油の匂い。

彼のすべてを享受する権利があるのは自分だけだと言えたなら。


「お離しください。私は下男の廻しです」

 

顔を伏せたサリオンは渾身の力で腕を突っ張り、アルベルトから逃れ出る。

公娼では『売り物』のΩ以外に手出しをしない規約がある。

往来の激しい大ホールの階段で抱き合うことなど許されない。

アルベルトは不承不承な顔つきで離れはしたが、

沈黙したまま右手を強く握られた。


サリオンは息を凝らしてアルベルトの目を凝視した。

迫るような勢いで見つめ返してくる男。


玄関ホールに背中を向けて立っているアルベルト本人と、

幾重にも折られたトガのドレープが死角になり、

その手は見咎められない計算づくでの威嚇でもあり、懇願でもある。


そうすることで訴えたいのは何なのか。示したいのは何なのか。

サリオンは腑抜けのように突っ立って、されるがままになっていた。

 

アルベルトが来館しない一縷の望みもあえなく断たれた現実に、

身も心もつぶされて、彼を見上げる意思すら湧かない。

握られた手を握り返しもしなかった。

 

夜営業が始まるやいなや来館をしたアルベルトは、

レナと過ごす一夜を少しでも長く取るために、

こんなに早く来たのではという疑念が黒い霧になり、胸をじわじわ塗りつぶす。


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