第二話


それでも、日が落ちれば公娼に客は来る。

日頃レナを買いたくても叶わずにいたαの王族や貴族達が、

毎晩のようにレナを独占している皇帝が不在だと知ったなら、

ここぞとばかりに指名するかもしれないのだ。


放心したように長椅子の背もたれに身を預け、

身じろぎもしないレナの足元に戻り、サリオンは、レナの爪染めの続きを始めた。

小皿に入れた薄紅色の液体で絵筆を湿らせ、レナの足の爪に塗る。

爪の染色が終わったら、足首に金の足輪飾りを何層にも重ねて付ける。

足首の細さを強調し、男の劣情を煽る手管てくだのひとつだ。


されるがままになっているレナに革のサンダルを履かせやり、

サリオンは立ち上がる。


「レナ、髪を梳かすから起きてくれ」


レナを見下みおろし、語気を強めて促した。

けれど、聞こえたはずなのに、レナは視線も動かさない。

虚空を見つめて呆けている。

サリオンは仕方なくレナの腕を掴んで引き上げた。

また、レナの体を反転させて背中を向けさせ、長椅子の縁に座らせる。

まるで、あやつり人形だ。

 

着替えは先に済ませている。客に侍る時に用いる丈の短い薄絹の貫頭衣だ。

サリオンはテーブルに置かれた底の深い陶製の器に水を差して手を洗い、

化粧箱から象牙製の高価な櫛を取り出した。


レナはもう、アルベルトにつれなくされてもサリオンに当たることはなくなった。

こちらを責めても仕方がないと、諦めてしまっているらしい。

その分、アルベルトへの思慕も未練も失望も、

一人で抱えているようで、側で見ていて切なくなる。


腰かけたレナの脇に立ち、柔らかい金髪に丁寧に櫛を入れながら、

サリオンは、ふたつの意味での憂慮に揺れた。

アルベルトが毎晩来るとは限らない。

それは元より承知している。


今までも他の王族の饗宴の招待を受けたり、公務が長引くなどして、

来館しない日もあった。

今夜も深い意味はなく、普段通りの理由で来ないというのなら、

また次の機会を待てばいい。


あるいは、レナは抱かないと決めているアルベルトが毎晩レナを買い続けると、

レナの体に別の意味での負担が過度にかかるため、

アルベルトは時折あえて日を置くのではないかと、推測していた。


Ωがαやβを欲情させるフェロモンを発し、交尾相手を求めるのは、

月に一度の七日間前後の発情期にすぎないが、

Ωの男娼は売り物だ。

αやβを性的に興奮させ、惹きつけなければ仕事にならない。

従って、年中発情期を誘発する経口薬を飲んでいる。


レナは密かに避妊薬は飲んでいるが、発情期の誘発剤は自発的に用いている。

アルベルトをフェロモンで惹きつけたいと願っている。

けれども、アルベルトはレナとは寝ない。


アルベルトが帰ってしまうと、

レナは発情した身体の熱をもてあまし、ベッドの中で自分で慰め、凌いでいる。


クルム民族のΩは他民族のΩほど、

交尾相手を求める発情期の性欲に翻弄されたりしないものの、

発情した体の飢えは、やはりαやβと繋がらなくては満たされない。

 

アルベルトは自分が来館しない日に他の客をレナが取り、

餓えた体を潤せるよう、配慮してくれているのだろうと思っていた。

来館しない日を一定の間隔で作るようになった頃から、

サリオンは自然にそう感じるようになっていた。


だが、昨夜のアルベルトの去り際に、肌で感じたある種の不安。

手酷くフラれる苦しさに、アルベルト自身も疲れてしまったかのような、

憂いを含んだ背中が脳裏に蘇る。


たまたま今夜は来館できないのではなく、

レナの体を他の男に抱かせる機会を与えるでもなく、

もう公娼には行かないと、決めてしまっているかもしれない。

来館しない今夜のアルベルトの真意がそこにあるのなら、

この先レナはどうなるのだろう。


募る焦燥感で胸を塞がれ、サリオンの口が重くなる。

レナも黙り込んでいる。


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