第七十二話


そんなレナとは対照的に、

自分は月に一度訪れる、七日間前後の発情期を抑制する経口薬を飲んでいる。

子を宿せない下男のΩがフェロモンを発し、来訪客を欲情させても

意味がない。

しかも公娼の客達は劣情を催したところで、下男の奴隷に手は出せない。

そのため、公娼の主人は男娼以外の奴隷には、抑制剤の服用を命じている。

 

不妊の体のΩの自分は性奴隷の男娼ではなく、

クルム国特有の娼館文化のしきたりに精通し、

クルムという異国の文化をこの国に伝承する下男として、

公娼に買われた奴隷だった。


もっとも、サリオンは公娼の主人に命じられるまでもなく、

抑制剤の服用を続けている。

ユーリスを亡くした時点で、他の男と寝る気は一切なかったからだった。

だからこそ、サリオンは発情の抑制剤を服用し、

フェロモンを発してもいないΩの自分を、

なぜαのアルベルトがこんなに追い回すのかがわからない。


テオクウィントス帝国でも、

こんな非常事態でさえなかったら、αはαとしか婚姻関係を結ばない。


αがΩを番にするのは、性欲の捌け口として使うためであり、

自分の子供を産ませるためでもある。

テオクウィントス帝国の法律上でも、

生まれた子供はαの『所有物』とみなされる。

結婚相手との間でもうけた『嫡子』ではなく『財産』だ。

従って、Ωに産ませた子供は奴隷商人に売却し、金に替えることもできる。


家畜のように育てて領地の労働力にすることも、

自身の館で奴隷として召し使うことも許される。

テオクウィントス帝国だけでなく、多くの近隣諸国では、

Ωは『しゃべる家畜』だ。

αは番のΩも、そのΩが産んだ子供も人間だとは思わない。


サリオンは自分がもし正常に発情し、フェロモンを発しているのなら、

アルベルトも本能的に発情し、

自分をそんな『もの言う家畜』にしようとしていると思っただろう。

その方が、むしろわかりやすかった。


けれども自分は抑制剤を飲んでいる。

アルベルトはΩの発情期のフェロモンに誘発されたαではない。

それなら、鉄の貞操を誇る公娼の下男のΩを陥落させる、

真新しい遊びに夢中になっているのだろうと、踏んでいた。


サリオンは、重だるい頭をゆっくり上げた。

窓辺に置かれたランプが照らす粗末な部屋には不似合いな、

銀の盆がベッドの上に乗っている。

銀の盆に並べられた銀の器を泣き濡れた目でひとつずつ追っていく。


すっかり冷めてしまったが、炭火で焼いた猪や兎や鳩肉の盛り合わせ。

ガチョウの卵のパイ包み焼きや、蒸し焼きのムール貝。

何種類ものチーズや果物、柔らかい白パンと、

パンに添えられた新鮮な生ウニなど、贅を尽くした品々が並んでいる。


アルベルトは貧民窟に来た時に、

公娼の下男や下層男娼の『食事』は雑穀混じりのパサついたパンと、

干した果物、チーズの切れ端、野菜屑の浮いたスープだと知った途端に息を呑み、驚きと悲嘆の入り混じった顔をした。


奴隷のΩの扱いなんてそんなものだと、知っているはずなのに。

サリオンは、どうして痛ましげな目をするのかと訝った。

あの時アルベルトは公の娼館にも関わらず、

貧民窟の奴隷と同じ下男の処遇を耳にして、胸を痛めてくれたのだ。


だからミハエルに告げられた通り、階層制度の頂点に立つ皇帝のアルベルトが、

階層そのものを飛び越えて、

最下層のΩの自分を人として本当に恋してくれているのなら、

彼の想いに応えれば、自分達はつがいの契りを結ぶことができてしまう。


けれども、と、サリオンは胸の中で呟いた。


アルベルトの番になったとしても、自分は子供を宿せない。

窓辺のランプが背中を丸めたサリオンの影を、壁に斜めに映していた。


ましてや今この瞬間にも魂に宿るユーリスに、

これからの人生を共に歩む新たな番が彼だと、アルベルトを連れては行けない。 

ユーリスに対して僅かにでも後ろめたさがあるうちは、

本当の意味でアルベルトを愛したことにはならないだろう。

ユーリスを失くした心の傷が癒えたことにもならないはずだ。


サリオンは弾かれたように立ち上がり、

ほとんど手つかずだった料理が盛られた銀盆をテーブルの上に移動させた。

続けざまにランプを吹き消し、着替えもせずにベッドの中にもぐり込む。

薄手の上掛けを頭まで被り、手足を折り曲げ、小さくなる。


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