第17話
閉会式が終わり、熱狂が静まり返った夕暮れの天ヶ崎体育館。その観客席で人がまばらに消えていくと右隣に座る芦沢さんが足を組み替えて咳払いをひとつした。空気を読んだように左隣に座っていた里奈が席を外した。ぼくが芦沢さんに向き直るとスキンヘッドの重役は話を切り出した。
「お時間頂いて申し訳ないね。キミも知っている通り、私は全国の有力な中学卓球少年を見てまわっている。今日ここに足を運んだのは決勝戦を戦った山破君と藤原君を視察するためだった。彼らは私がピックアップした代表候補リストに入っている」
「そうだったんですか…」
「本田君、キミの名前もこのタブレットの中に入っている」
「まっ!?本当ですか!?」
びっくりして立ち上がると芦沢さんは取り出したタブレットに指を滑らせた。銀縁眼鏡の奥の瞳が画面を眺め終えると視線を上げてぼくを見て微笑んだ。
「嘘だと言ったら?」
「いや、ウソなんすか?ぼくなんかが日本代表に入るなんてありえない…ですよ」
言っている途中で気づいた。ぼくの心を見透かしたように芦沢さんは鋭い目をこっちに向けてきた。
「それが私の求めていた反応だ。優勝候補が相手とはいえ、新人戦一回戦負け。情報では2年時の公式戦未勝利ときた。地元の卓球ファンからはチキータ王子として親しまれているが、結果が伴わなければ本田モリアの名はこのリストには挙がらない」
ポン、と軽くタブレットの背に指を置くと芦沢さんはそれをしまった。ぼくが次の言葉を探せないでいると焦れたように芦沢さんが言った。
「本田くん、キミはなんのために卓球をやっている?」
見えない鈍器で殴られたように突然視界が滲んだ。何のため?目の前の大人が言う言葉を頭の中でかみ砕く。
「『何のために卓球をするなんて、考えた事もなかった』。そんな顔をしているんで私から助け舟を出そう。キミも知る通り、卓球は超早熟のスポーツだ。物心つく前から親の指導でラケットを握っていた少年少女は
芦沢さんに言われてぼくは双峰中の川崎ヨシムネを思い浮かべた。プロプレーヤーを父に持つ彼は幼少の頃から卓球に打ちこんでいたはずだ。そこに何のために卓球をするのか?という疑問は生まれない。
「新チームのキャプテンに任命されたようだね」
問い質されてぼくはうなづく。「キャプテンとしての使命感。これが君を新たに成長させるスパイスだと思っていた。だが私の思い違いだったようだ。キミは何の重圧も背負わず、あの日川崎ヨシムネと対峙した。相手は病気をひた隠し、エースとしての責任を果たすために懸命にラケットを振るった。どういう意味か分かるかね?」
答えを出せずに唇をかみしめる。「キミは戦う前から彼に敗北していた。悪い意味でプレッシャーを感じない、君はまるでピクニックにいくような気軽さでコートに向かっているように見えた。特に足も使わずにな」
「おっしゃる通りです」
何も言い返せない。相手は10年以上、卓球少年を見続けた審美眼の持ち主。一緒に大会を戦えなかったタクの事、疑惑の判定で団体戦を勝ち上がった双峰中の事。試合に集中できなかったぼくの心境を見抜いていた。うつむいて涙を堪えていると腕組をしながら芦沢さんは視線を上げた。
「君がこのまま『チキータ王子』としてネタキャラで消えていくのか、それとも対戦したライバル以上の成長を見せて世代別代表選手に食い込むのか。ここが分岐点だ。正解はなにも卓球だけじゃ…」
「あら^~ハモちゃんじゃな~い。こんなところで逢うなんて奇遇ねぇ~」
突然後ろから男のねっとりした口調が聞こえて、ぼくと芦沢さんは振り返る。すると白スーツをかっちりと着こなしたダンディーなおじさんが立っていた。
「試合後に選手を口説くなんて、抜け駆けはダメじゃな~い。仕事熱心なのはイイコトだけど時間外労働、よ。こんなオジンがうら若き中学生を拘束し続けてたら通報されちゃうわよぉ~」
「フ、相変わらずだな」
「な、なんなんですか。このカマおじは…」
「あ~ら、モリアちゃんったら。失礼しちゃうわねぇ」
たじろいでいると内股でその男は近づいてきてぼくの肩にそっと手を置いた。そして口が触れそうなくらい顔を近づけてぼくの耳元で言った。
「団体戦の決勝戦、観てたわよぉ~。ダブルスペアの鈴木クンとの卓上での熱いキッス。あの公開プレイを見てたらオジサン、思わず声が出ちゃった!」
「あ、アレは体を動かすために相方に刺激を与えてもらっただけで」
白い袖が腰に手を回そうとしている気配を感じる。それを払いのけるとオネェのおじさんはぼくを見てニンマリ笑った。
「あらいけない。もうこんな時間ね。今日は挨拶だけで失礼するわ。あたしはこのピンポンハゲと同じ、世代別代表強化委員の
顔の横に出した手を振りながら歩き出したその人を芦沢さんが呼び止めた。
「次の就職先は決まったのか?」
ピタっと動きを止めると振り返らずにハンミョウさんは言った。
「来年の春からこの地域のある卓球部の顧問に決まったわ。その前に大学の臨時コーチも決定。あたしったら売れっ子なのよ~」
「そうか、引継ぎは済ませておくんだな。新しい職場ではオリンピック協会に目を付けられて左遷、いやクビにされんようにな」
ハンミョウさんは首だけ振り返って芦沢さんにフン、と笑うとそのまま出口に繋がる暗がりに消えていった。なんなんだあの人。いろいろとホンモノだった。動揺が収まらないぼくを見て芦沢さんは言った。
「私と同期にこの世界に入社した
「トガリってあの…天才卓球少年のトガリくんの事ですか?」
――尖論。中国系にルーツを持つぼくと同い年のプロ卓球選手。成長期も途中の体ながら現役のメダリスト相手に勝利を収めた、この時代に卓球をプレーするぼく達にとっては神様のような存在だ。そういえば、彼の試合がこの後地上波で放送される。時計を気にしている芦沢さんは手持ちカバンを持つと話を締めくくった。
「キャプテンとして忙しい中、ライバルが鍛錬を続ける中、貴重な時間を使わせてしまってすまなかった。結局お説教になってしまったな。さっきの質問は次合う時の宿題とさせてもらおう。それではまた」
「ありがとうございました!いろいろ勉強になりました」
深く頭を下げていると「もう、行きましたよ」と田中の声が聞こえた。里奈と一緒に事の経緯を眺めていたらしい。すっかり暗くなった駐車場でタクシーを捕まえるとぼくたちは学校の前で解散した。
家に帰るとテレビでTPリーグ、卓球のプロリーグの試合が中継されていた。ぼくの父さんの
「強い!強すぎる、トガリ・ロン!前オリンピック銀メダリスト、
テーブルの椅子を引いてテレビのテロップを見ると試合は個人戦決勝の4ゲーム目。挑戦者のトガリ君が試合に王手を掛けている。あと一点、あと一点。会場のボルテージが最高潮にあがるのを見て「いや、すごいな」と父さんが呟く。
「西谷、サーブを放つ、トガリ、返す。ドライブ!…またカウンタードライブー!決まったー!新チャンピオンの誕生ですっ!現役メダリストを破ったそのチャンピオンはなんとッ!若干14歳のトガリ・ロン!卓球新時代の幕開けだッー!!」
かつての卓球少年の憧れだった西谷選手がべっとりと尻もちを突くと、何を思ったかトガリは勢いをつけてテーブルの上に飛びあがり、腕を斜めにかざしたヒーローポーズを決めた。伸ばした先の右腕にはちゃっかりとスマホが握られている。
「モリアと同い年のチャンピオンか。とんでもない時代になったな」SNSアプリに投稿されたトガリのツイートを見て全国の卓球少年が『感電』したのは間違いない。その写真には真っ青に青ざめる前チャンピオンの顔と『新王者爆誕!』という一文が添えられてあったからだ。
――『トガリ世代』。ぼくたちがこれから卓球を続けていくうえで背負わされた肩書。その名前を自分のモノに変えるための戦いがこの瞬間から、始まった。
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