思い出だけは
ライフルのスコープに映る人物が見えなくなった。
千奈美は
そばの壁にもたれていた阿久津が、彼女の行動に反応する。
「奴らは?」
千奈美は窓枠で支えていたライフルを担ぎ上げた。
「来る気配がない。本当につけられてたの?」
「なんで嘘つかなきゃいけねぇんだよ。奴らは俺たちの居場所を突き止めたくてしょうがねぇはずだ。ぜってぇ探りにきてる」
「なら続きはそっちでやって。私、つかれたから」
「まだ三〇分も経ってねぇぞ? 『疲れた』はねぇだろ!」
「いいでしょ、べつに」
不愉快そうに抗議する阿久津。
千奈美は彼に片手でライフルを差し出した。阿久津もそれを拒絶はしない。渋々といった表情で受け取った。
「なんで、無関係の人を大勢巻き込むような方法をとったの?」
ライフルを窓枠に再設置する阿久津の背中に、千奈美が尋ねる。
彼は無視して作業を続けていたが、スコープの前に顔を固定すると口を開いた。
「俺たちは正義の味方ってやつじゃねぇ。自分たちが生きるためなら、関係ねぇ連中を犠牲にすることもあるだろ」
「ボスは意味もない殺人を許可しないはず」
「意味ならあっただろ? 敵が一人でも爆死してくれたら最高だったが、この場所を伝えられた。正確にはまだ突き止めてねぇかもしれねぇけど、じきにわかる。AMYサービスってのはたった四人の組織らしい。ここに誘い込めば、数的な有利を活かせる」
「派手に暴れたのは、そうすれば私たちを見過ごせないから?」
「ボスが許可してくれたんだ。俺の作戦をな」
話を聞いてみても、阿久津のやり方が強引すぎるという彼女の感想が変わることはない。
藤沢が許可したのなら批判するつもりはなかった。しかし、場所を案内するだけなら他に方法があったように思えてならない。
元々は治安維持組織として活動していただけあって、藤沢は極力民間人を巻き込まない計画を練り、遂行してきた。
それが、急に昼時で混雑している大型スーパーに爆破テロをしかけた。構成員を食わせていければそれで充分と考えているはずの藤沢にしては、過剰な行為だ。
どんな意図があるのかわからなかった。
けれども、それより胸に引っかかっていることがある。
スコープ越しに眺めた〝彼〟の行動についてだ。
――私が撃てないとでも思っているの?
千奈美が侵入者の件を報告しなかったのは、こんなところで彼に死んでほしくないからだった。
あと一歩でも接近されていたら阿久津にもバレていたが、彼は千奈美にしか見えない位置で足を止めた。だから彼女は引き金を引かなかった。
――違う。
自問自動する千奈美。
他ならぬ自分のことだけあって、撃たなかった理由は偽れない。
あっさりと命を奪うことに躊躇したのも事実だ。単に彼を殺せれば満足、というわけではない。
けれど一番の理由は、殺したい衝動とは真逆の感情。
殺したくないと思ったのだ。
千奈美の立場としては彼を殺さなければならない。なのに、彼女は殺したくないと思った。彼女はそれを、克服せねばならない己の弱さと評した。
決意する千奈美の胸中には、もうひとつの問題がある。
――慧と一緒にいた女、何なの?
例の青色の制服ではなく、潜入任務に相応しくない派手な服装をしていた。慧と共にいたならAMYサービスの一員のはず。
スコープ越しに見た女の顔を脳裏に再現する。同じ顔を別の場所で見たことがあると、千奈美は思い出した。
つい昨晩、AMYサービスの邸宅を襲撃した際に、確かに彼女を目撃した。
――あの女性が、慧の新しいパートナーなの?
つまり、自分の代わり。
千奈美は無意識のうちに歯軋りをしていた。鏡を見せられなくとも、自分の表情が醜く歪んでいることがわかる。
胸を圧迫する痛みを和らげようと、彼女は必死に声を絞り出す。
「そんなの……ひどすぎる……」
たった一日で、長年付き合った彼女の代わりを見つけたのだ。
千奈美にとって、慧はかけがえのない存在だった。しかし彼にとっての彼女は、代役がすぐに用意できるほど軽い存在だったのか。
慧はフリーフロムという組織だけでなく、千奈美の心すらも裏切った。
――私の気持ち、なんだったんだろう。
どうしようもない人生なのは、拾われた命だからと受け入れた。
辛いと感じる日々を少しでも楽しく過ごせたのは、歳の近い彼が朗らかに話してくれたからだ。
他愛のない会話をするだけの関係と言われれば、否定はできない。
それで充分だったから。
学校にいけない彼女にとっては、それだけで幸せだったから。
彼もきっと同じように感じていると決め付けていた。だが、どうやら違ったらしい。
――それでも、いい。
慧がどのように変わったとしても、千奈美が彼に救われた過去は揺らがない。
彼女は彼に感謝している。
それはもう、命を救ってくれた藤沢と同じくらいに。
だから、彼を殺害する使命のためにも、等しく命を捧げられる。
「次はないよ、慧」
現れないであろう獲物を待ち続ける男を残し、千奈美は廃墟の階段を静かにおりた。
◆
一階の広間に藤沢がいた。彼はどこかに電話を終えた後らしく、携帯端末を手にして虚空を見つめている。
千奈美が近づくと、覇気のない瞳を彼女のほうに向けた。
「ボス、どうかした?」
「見張っていたんじゃないのか? 阿久津の誘い出した連中を」
「交代してきた、その張本人と。もともと彼の作戦だし、私がそんな協力しなくてもいいでしょ?」
「阿久津が可哀想だ。そんなことを言わず、手を貸してやれ」
「そのつもりだけど、今は必要ないって思っただけ」
そうか、と相槌を打ち、藤沢は建物の出口に歩く。千奈美もついていく。
建物の外に出た。緑に囲われた敷地の上空から、晴天が見下ろす。自分たちの存在には似合わない景色だ。
けれど美しいものは美しい。千奈美はそんな素朴な感想を抱く。
「傭兵を雇った。二人ほどな」
「異能使い?」
今度の相手は、これまでの敵とは違う。相対した千奈美には実感があり、だから藤沢が傭兵を雇うことは想定していた。
無論、敵と同じ宝典魔術師の傭兵を。
千奈美の返答に、藤沢は首肯する。
「今夜にも合流する予定だ」
「それまでに敵が攻めてきたらマズいんじゃないの?」
「マズいな。だが、阿久津の例の作戦があるから問題ない。彼の策は、ここに敵を誘い出すだけが目的じゃないからな」
「成功すると思う?」
藤沢は即答しなかった。おそらく同じ疑念があるのだと千奈美は推察する。
阿久津が民間人を巻き込む爆破テロを起こしたのは、敵の興味を引くためだ。
無関係の人が巻き込まれたとなれば、治安維持組織のAMYサービスは無視できない。爆破現場から逃走する車両を、尾行しないわけにはいかない。
敵の感情を煽ったのは、そのためだけではない。
数時間後に計画されている敵戦力を削ぎ落とす策の準備も兼ねていた。
こちらも実行するのは阿久津だ。しかし千奈美は、宝典魔術師でもない彼にAMYサービスの戦力を削ることができるのか疑わずにはいられない。
「……たとえ失敗しても、今夜を乗り切れれば勝機が訪れる」
「勝てなくても、時間を稼げれば良いってこと?」
「それがわからないほど、彼だって鈍感じゃない。人生を賭けてるんだ、この作戦に」
慧とは自分の手で決着をつけたい千奈美からすれば、阿久津には遠慮してもらいたい。そう思っていたが、藤沢から彼の覚悟を聞かされて少しだけ気が変わった。
一度だけ、機会を譲ることにした。千奈美と同じく決死の覚悟を固めた阿久津に対して、それが最低限の礼儀だと彼女は感じた。
同じ憎しみを抱く彼の想いを、一蹴はできない。
「だけど、賭けてるのは私だって同じ。ひとつ提案したいんだけど、いい?」
「内容によるな」
阿久津のやろうとしていることを知ったうえで、千奈美は作戦内容に追加を提案する。
藤沢は途中から眉根を寄せ、考え込む様子で部下の話に耳を傾けた。
「――っていうのだけど、やっていい?」
「大胆だな。許可してもいいが、無茶はするな。こちらの戦力を削がれては元も子もない」
「わかってる。じゃ、準備しておくから」
「作戦開始は
命じて、藤沢は三階建ての廃ビルに隣接する宿舎に入っていった。
宿舎というが、正確には工事現場にある仮設住宅だ。六畳間の長方形の住居が横に並び、二段重なる。鉄骨を組んだだけの簡易的な階段と通路は、二階にあがるためのモノだ。
宿舎も廃ビルと同じく破棄されていた。こんな優良物件をよく見つけたものだと、千奈美は藤沢の手腕に舌を巻いた。
千奈美も二階部分にある自室を目指す。
甲高い音を鳴らす鉄の階段をゆっくりとのぼる。
脳裏には、慧と過ごした日々が蘇っていた。
今度は、裏切ったか否かを確かめるためだった昨日とは違う。
彼を殺害するために会いに行く。今日で最後になるかもしれないと思うと、記憶が溢れてくるのを止められない。
十七歳の千奈美にとって、彼と過ごした八年は生きてきた時間の半分に相当する。長い時間をかけて築いた絆を思い出すほどに、彼に対する怨恨は深さを増していった。
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