こうなるとわかっていた

 邸宅の玄関前に向かい、琴乃は悠然と歩く。銃弾の閃光が飛び交うなかを、散歩でもするように。

 彼女は玄関の扉を塞ぐように立つ。迎え撃つ敵に右腕を伸ばして、手のひらを広げる。

 瞬間、鏡花が見せた現象と同じく、緑色の粒子が集結する。分厚い本が出現して、周囲に燐光を漂わせる。

 琴乃もまた、異能を操る宝典魔術師だった。


 足元から吹き上がる魔力の風。琴乃の一つに結った長髪とジャケットの裾が踊る。

 邸宅の入口にある格子状の正門が、猛獣に檻を突き破られたかのように開く。暗闇の深奥からは、目深にフードを被った敵が二人先行した。残りの一人は、暢気に歩いて門を跨ぐ。

 燦然と緑色の光を放つ琴乃は、邸宅を包む暗闇において恰好の的だ。

 先行した侵入者はライフルを構え、彼女に照準を合わせる。


《第四宝典魔術――》


 琴乃のマイクが幾重にもなる銃声を拾う。その直前、慧は鏡花が自動車を谷底から救済した際と似た宣言を耳にした。

 凶弾は無慈悲に琴乃を襲撃する。

 かわせるはずのない乱射。

 だから彼女は避けなかった。


 無数の弾丸は、例外なく彼女の手前で弾かれる。展開する宝典が、主の命を奪わんとする銃弾を拒絶しているのだ。

 宝典魔術は強力ではあるが、発動までに時間を要する。集中の際に間抜けな隙をさらすとなれば、見過ごせない欠点だ。そんな当たり前の問題を、宝典魔術という異能力を生み出した魔人・エスメラルドは欠点としなかった。


 魔人は宝典自体に極めて強い盾の効力を与えることで、弱点を解消した。

 数百発程度の銃弾では、宝典の防御は崩せない。


「無駄なことを」


 慧は唇を小さく動かす。彼は過去に見たことがあった。宝典魔術師が、ライフルの弾丸を悉く弾く光景を。

 観念したのか、侵入者は銃撃を中止する。そのまま逃げたほうが賢明と慧は思うが、敵に踵を返す素振りはない。侵入者たちは引き金に指をかけたまま、ジッと琴乃に銃口を向け続ける。


 敵の思考が、慧にはなんとなく想像がついた。

 闇に溶けている敵がフリーフロムならば、宝典の持つ盾の効力は知っているはずなのだ。だとすれば、発動までの過程も理解している。

 宝典の発する燐光が、徐々に緑色から青紫に変化する。

 光は宝典から拡散した。

 本の放つ燐光が、十個の濃い輝きを放つ発光体に分裂したのだ。

 琴乃は伸ばした手で拳を握り、勢いのままに薙ぎ払う。


《――ノーブル・タンザナイト・ガーディアンッ!》


 魔術名の絶叫。十の発光体は凝固し、青紫の宝石に変貌を遂げる。

 美しい輝きを放つ宝石。琴乃を取り囲むよう密集する。まるで衛星だ。宝石は様々な軌道で、彼女を軸に忙しくまわる。

 魔術発動の役割を果たした宝典は、空気に溶けるように霧散した。

 それが、侵入者の待ち望む〝隙〟だった。

 その一瞬に限れば、殺意の雨から魔術師を守る防壁は介在しない。

 銃口が鋭く吠える。


 ――まさかな。


 かつての仲間の判断を慧は疑った。

 そんな楽観視をしているとしたら、琴乃の言うとおりだ。彼女と対峙した時点で勝敗は決している。

 凶弾が弾着する間際、耳を劈かんばかりの雷が鳴った。琴乃を守護する衛星が発したのだ。

 雷鳴は繰り返し轟き、その度に鮮やかな稲光で夜空を青紫色に染め上げる。


 ぴたりと轟音が止み、深閑とした景観が邸宅に戻った。

 庭が嘘のように静かになった。夜の静寂を邪魔していた二人の侵入者が、うつ伏せで芝生に倒れている。傍らには、弾倉が空になったと思しきライフルが転がっていた。

 琴乃は飛来した弾丸すべてを焼き払い、同時に雷撃を食わせたのだ

 雷撃は彼女を軸にくるくると回る衛星が放った。魔術の電圧がどれほどか慧は知らない。ただ、本物の落雷の威力を考えると、彼は身をもって知りたいとは思わなかった。


 魔術名に含まれる宝石――タンザナイトの石言葉は〝誇り高き人〟。

 扱える魔術は術者の内面に左右される。琴乃の普段の振る舞いを鑑みれば、納得のできる魔術だった。


 強力すぎる異能力を前に、侵入者は瞬く間に掃討された。

 残り、一人を除いて。

 生き残った敵もフードで顔を隠していた。だが今は、雷光の衝撃波により脱げている。

 敵は右手を伸ばしていた。

 琴乃の対極をなすように、邸宅の玄関に向けていた。

 手のひらでは、青紫の光を帯電した宝典が浮遊していた。


「ほう、驚いたね。慧くん、君はあの子を知っているんじゃないかい?」


 二階の窓から庭を見下ろす慧。彼の隣には、いつの間にか悠司が立っていた。

 悠司の後ろには、寝間着姿の鏡花も控えている。


「そうだな。あいつのことを、俺はよく知っている」

「どうしますか?」


 鏡花から投げられた漠然とした質問。

 慧は、即答できなかった。


 ――もう、来てしまったのか。


 しかし、予想より早かろうが遅かろうが、彼のやるべきことは変わらない。

 いつかこうなることを、アジトで彼女と別れた瞬間から覚悟していたのだ。


「決まっている」


 短く答え、慧は窓際から離れた。

 エントランスホールに続く廊下に向く。

 睡眠欲など、見る影もなく失われていた。


「俺を殺しにきたのなら、相手をしてやらなきゃ失礼だろ?」


 慧の人生で最も長い一日は、まだ終わってくれなかった。

 誰にも引き止められることなく階段を降りて、彼は邸宅の玄関扉に手をかけた。

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