第五章 マーブルの風(2)
***
一方――
ランプフィルド王国、西門の前。
時刻は真夜中。大暴れ寸前の闘牛といった少女が、地団駄を踏んで砂埃を立てていた。まるで駄々っ子のように叫び騒ぐ。
「こおおらああ、あたしを入れないとは何事よっ! あたしはこの国の王女、イザベラ・ルーチェ・デル・ランプフィルドだって言ってるでしょ!」
「そんなわけあるか! イザベラ様は崩御なされた。貴様、なにを企んでいるのかは知らないが、そう易々と城の門を通れると思うなよ!」
槍を十字に構えて、二人のいかつい門番は、にべもなく言った。
その後ろにあるのは、大人が十人ほど並んで入れそうな、頑丈な鉄扉。御影石が積みあがった高い城壁の向こうには、海の水をくみ上げて人工的に作った川が流れており、橋が架かっている。さらさらと流れる川の囁きと、水の匂いが、イザベラには懐かしく響く。
しかめ面で、門番は一歩を踏み出した。地虫でも見つけたように、イザベラを見下ろしてくる。
「あんたが姫だという物的な証拠はあるのか、証拠は。ええ?」
「ないわよ、そんなもの」
堂々と胸を上向きにそらし、イザベラは主張した。
「おまえたち、国に務める軍人なら、あたしの顔くらい覚えておきなさいよっ! 職務怠慢よ! だいたい、どうしたらこんな、この世に二人もいない美しく高貴な姿を忘れられるっていうの? 頭、大丈夫?」
「今、我々は門番という職務を全うしてるんだよ!」
「我らを侮辱するな!」
怒りに沸き立つ門番の言葉を受け流したイザベラは、ぱちんと指を鳴らして提案した。
「そうね。弟のタスクか、あたしの近くで働いていたメイドたちをここに連れてきてちょうだい。あの子たちなら、あたしを見間違えるはずないもの。こんな無駄な時間を節約できる。すぐ真実が判明するわ」
「くどい。お忙しい方々にわざわざご足労願うわけにいかないのだ。おとなしく去れ」
槍の柄を使って、門番はイザベラの肩を押してきた。
らちが開かない。そう判断したイザベラは、「ふん!」と鼻を鳴らすと、ぷんぷんと怒りながら来た道を大股で戻った。
このままでは父の身が危ないと伝えてはみたが、不審人物による狂言だと思われただけだった。
門から離れた樫の木に、隠れる。イザベラはポケットから例のハンカチーフを取り出すと、端を歯に加えて、ぎりぎりと噛んだ。
「むっきいいいいいい! どこが多忙なのよ、タスクなんてどうせいっつもヒマよ!」
外で様子を見守っていたルララが、鈍くさいカエルのように跳ねて、木陰に移動してきた。
「姫様、正攻法はもう無理だよ。別の作戦を考えよう」
「考えてる暇なんて一分足りともないわ。このままじゃ、お父様が危ない。はやくセンセイ……いいえ、ヒースクリフを止めないと!」
「うん……、そうだけど……」
ヒースクリフの名前を聞くと、目に見えてルララの威勢が弱くなった。どんぐりや木の葉が散らばって朽ちている足元を見つめている。
ルララのとんがり帽子の内側に隠れていたネロは、こつん、と前足で主人の額を小突いた。
いたぁ、とルララが両手をのばしてネロの胴体を持ち上げる。
「ぼやぼやするな。あの金髪野郎を助けたいんだろう? 姫の言うとおり、時間がない。しっかりしろ」
「だって、ネロ……」
「だってもなにもねえ」
抱き上げられたネロは、真っ向から、主人の瞳を見つめてこう言った。
「ルララ、喜べ。ついにおまえの出番だ」
「ふぇ? なにが?」
主人の前髪を一房、足で引っ張り、ネロは要請した。
「おまえ、今までろくすっぽ活躍してないだろ。俺のほうがよっぽど役に立ってるぜ。いいかげん、ちっとは根性みせろ。さあ、飛べ!」
「飛ぶ……?」
ルララは未知の単語を聞いたように、薄茶の瞳をぱちくりさせた。
「そうだよ! 曲がりなりにも、てめぇ魔女だろう! 姫を抱えて飛ぶんだ。こうなったら空から、城内に侵入するんだよ」
無茶な提案に、ルララは仰天した。真っ青になっている。
「ネロ! わたしが飛べない魔女だと知った上で、その無茶振りなの!」
「俺が近くで援護して、魔力を増幅させてやる。がんばれ、飛ぶ鳥を落とす勢いでやれ」
「嘘でしょー! 自分だけならまだしも、姫様も乗せるなんて……」
「いいからやれ」
頬を引きつらせつつも、ルララは動いた。身体が勝手に動いているように、腕を空にかざした。
「ぱっぷるるぽん、るらーらととぽるて!」
呪文を唱えると、身の丈に合わない大きな竹ぼうきが出現する。グローブの手で柄をつかむと、ルララは構えた。
ごくり、と生唾を飲み込む。
城壁を見上げる。高さは五十メートルほどもある。木に登っても乗り越えられない。
イザベラは両手を合わせて懇願した。
「おねがい、ルララ。あたしはあなたのこと、信じる。この身をあずけるわ。だから助けて!」
「姫様……」
目にうるうると涙をためて、ルララはこくりとうなずいた。
「わかったよ。でもひとつだけ聞かせて。姫様はヒース様のこと、どう思ってるの?」
「今はそんなことどうでもいいんだよっ!」
「今はそんなことどうでもいいのよっ!」
イザベラとネロに同時に怒号を浴びたルララは、しゅうっと蒸発したように身を縮ませた。
「はい、すいません……」
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