第二章 姫棄ての森(1)
イザベラはまっさかさまに頭から、森に向かって落ちて行った。
意識はしっかりしている。
まばたきする時間が、臼で薄く引き延ばしたように、三十秒にも感じられる。これも走馬灯の一種か。時間の流れがひどく緩慢だ。
巨大な透明の掌に抱かれている気がして、イザベラは目を見開いた。
すぐに目が眩み、慌てて瞑る。
大量の光の粒がイザベラの身体中から、連続的に放射していた。
靴が脱げ落ちた素足からも、むき出しの腕からも、顔の正面からも、髪から背中から。ドレスの色が判別できないほどの光のシャワー。
まるで春の雷になったみたい。
もしかして、これは白魔法の一種?
――あたしの中に秘められた能力が、火事場の馬鹿力で、とうとう発揮されたのか。この状況からみて、外部の人から援助されることは、まったく考えられない。
それならきっと助かる。助かるんだ。白魔法が常にこれくらい使えるようになれば、城にだって戻れるかもしれない。
ゆっくりと落下する最中も、イザベラは考えた。歓喜さえした。むしょうに、高笑いをしたくなった。
「おーっほっほっほ……」
実際に声に出してみた瞬間。
ヤブツバキの森の茂みに、まともに突っ込み、衝撃が彼女を襲った。
まもなくイザベラは、ぱったりと意識を失った。
***
「……姫様、ご無事ですか? しっかりなさってください、姫様……!」
頬に、炭酸水の泡が弾けるような、小さな痛みを感じる。
イザベラが重たいまぶたを押し上げると、森林の暗がりに、見慣れた白衣が淡く浮かび上がっていた。
家庭教師のヒースクリフだった。腰に巻いたベルト部分に蛍石を括り付けて、ランタン代わりにしている。
「センセイ!?」
驚きで思わず、くしゃみともしゃっくりともつかない呻き声が喉から飛び出る。教師役ということもあり、教わる立場から、イザベラは彼をセンセイと呼んでいた。
「え、ええ……と、どうして、センセイがここに……?」
「あなたを追いかけてきました」
イザベラは意識がはっきりしてくるにつれ、自分の両足が地面から二十センチほど半端に浮いていることに気付いた。
それもそのはず。屈んだ姿勢のヒースに、肩と膝を腕で支えられ、抱きかかえられているのだ。
生粋の姫育ちといえども、イザベラは、男の人にこのように抱っこされたことなどない。
一気に、かーっと頬が熱くなった。
「ひぃやあああああ!」
叫んでもがき、腕から逃れると、転がるように丸太の上に落ちた。
慌てて身を起こし、両手を交差させて胸元を隠した。
「驚かせてしまって申し訳ありません、姫様! ああ、下賤な手で触れてしまい申し訳ありません! 平にご容赦を!」
ヒースが冷たい土の上に手を揃えて、平謝りしてきた。
まだイザベラの心臓が、ばくばく鳴っている。
「ううん、いいの。あ、ありがと、センセイ。でもなんで……追いかけてきたって…………あたしの後に、あなたも窓から飛び降りたってこと?」
イザベラは震えてガチガチと当たる歯で、尋ねた。どう考えても自殺行為である。ヒースはかぶりを振った。
「いいえ、さすがにそれでは、僕の命がありません。落下地点を見極めて、急いで森に先回りしてきました」
ありがたいことだが、来るだけではどうにもならないのではないか。なんの道具もなく、落下物を受け止めるのは危険すぎる。
まあ、今回は結果的に命が助かったからいいけれど。
「もともと僕は、貴女の家庭教師として雇われた身です。……だったはずが、いつのまにか世話役にもなっていましたが……それはともかく。あなたが城の者でなくなれば、おのずと仕事がなくなる。つまりクビで、ただの失業者ですから……少しだけ早く、辞任しただけですよ」
当たり前のように微笑んで言うヒースに、今度は目の周りが急に熱くなった。
「あたしが、こんな……ことになっても、そばに、いて、くれるの?」
涙がこみあげそうになるのを、必死に堪える。
そのせいで頬が引きつって、奇妙な表情になっているかもしれない。
「もちろんですとも」
それに気づいているのか否か、ヒースは穏やかな笑顔を向けてきた。
……仕事だからじゃ、なかったんだ。
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