第24話 やさぐれて
翌早朝、鈍く明けきらない紫色の街をボギーはバイクを走らせていた。まだ夜気がビルの谷間に留まり冷え込んでいる。ヘルメットとマフラーに埋もれた顔、そこから除く頬が寒さで赤く染まっている。同時にそれは心臓の鼓動のせいでもある。今朝、目覚ましが鳴るより早く、新渋谷へラティアが来ているとロナウに起こされ、飛び起きていた。
赤信号でバイクを止めると、息を切らせてロナウが横に並んだ。
「ゼェーゼェー……朝っぱらから年寄りに急激な運動をさせるな。もっとゆっくり走れ!」
ロナウは年季の入った自転車をこいでバイクに追いついてきた。ボギーはあきれかえった。
「年寄り? バイクに追いつくスピードで自転車をこげる人が年寄り?」
「フン! 元軍人を舐めるんじゃねぇ……ハァハァ……違うそうじゃなくて、年長者をも少し敬えって言ってるん……おい、ちょっと待て! バカヤロウ!」
信号が青に変わると、ボギーは相手にせずアクセルをふかす。アホウ、マチヤガレとか、ロナウが叫んでいるが、聞く耳もたずさっさと加速していく。
ボギーは寝床でラティアと聞かされて瞳をしばたかせた。次いでロナウの店にいると聞き、飛び起きた。ロナウに朝飯は店で食えと促され、急ぎ顔を洗い歯を磨いて、高校制服を慌てふためき着込む。ネクタイを雑に締め、ブレザーにコートを羽織ると家を飛び出していた。
道玄坂に差し掛かり、いつもの小路へ折れて曲がる。その先ほどなくでロナウのカフェバーに着いてしまう。そこまで来たところでボギーは止まって考えこんでしまった。そのうちロナウがヨレヨレになりながらも追いついてきてしまった。
「あん? どうしたあ?」
ロナウが怪訝そうにして、けれどそのまま自転車を漕いで通り過ぎようとした。その襟首をむんずとつかんだ。途端ロナウが焦り、手足をばたつかせた。
「危ねえじゃねえか! 何しやがる!」
「あのさぁ、ラティアなんだけど。もしもそのロナウさんと……」
「俺がなんだよ?」
切り出しにくそうにしてもロナウは頓着しない。
「あのとき喧嘩してたじゃないか。見事なくらいに顔をそっぽ向けあってさあ」
「あん? なんのことだあ?」
ロナウはさっさと先へ行き、店先に自転車をとめる。ボギーもバイクを押してきた。
「良いのっ? 大丈夫なんだろうねっ? 相手は女の子なんだから! 俺相手みたいな口の利き方しないでよっ?」
「ったく、寝ぼすけが訳の分からねえことをピーチクパーチク……」
ロナウはしかめっ面で入り口に向かい、止まった。後から追ってきたボギーに振り返ってちょっと待てやと手で示した。口元に指を立て、静かにするようにと小声でささやく。
「いいか、ラティアは礼拝をしているかもしれん。そんときゃ、店に入っても邪魔をするな」
「……レイハイ?」
「知らないか? あいつのご先祖様伝来の信仰だ。毎日何回か祈る……」
「そうなの? 小学校の頃は全然そんなことしてなかったけどなあ」
ロナウが取っ手を廻してドアを開いた。
店の窓は換気のために開かれて、冷えた酒臭さが消えていた。店の片隅にテーブルと椅子が除けられている。その空いたスペースにマントを敷いて平伏礼をするラティアの姿があった。
薄暗い室内に窓から陽の光が差し込み始めていた。
陽の光と薄暗がりが幾重にも筋を成している。その端境を細かな光のパーティクルがゆっくり流れ、浮かんでは消えていく。その中でラティアは宗教画に描かれた人物のように祈りをささげている。
立礼と平伏礼を繰り返すラティアの身ごなしが柔らかい。滑るように虚空に差し出す細い腕や、流れるような足腰の挙措が美しい。上体が緩やかに床に伏して、また起きあがる。ひざまずいた姿勢のまま、かすかにつぶやくラティアの口元が神への祈りをつむいでいる。緑色の瞳はそこに信じる神の姿を見つめるかのようだった。虚空のかなたをまっすぐ見据えている。そして最後に同胞への平安と神の恵みが届くよう唱えて祈る。
「……あなた方に平穏あれ」
陽がラティアの顔を照らし出し、目尻が散乱する陽の光彩でにじむ。整った鼻梁が陰影のコントラストを浮き上がらせている。祈りが終わると、ラティアは柔らかな日差しに薄くまぶたを閉じる。
そしてラティアが、ゆっくり目を開けた。振り返る先にロナウとボギーがいる。ラティアは床に広げたマントを手にして立ち上がった。
「久しぶり、ボギー君」
「お、おう。久しぶり。それとおはよう、ラティア」
「おはようボギー君」
「えーと……元気、だったか?」
「うん。まあまあかな」
「そっか。そうか……それなら良かったな……」
「ブレザーの制服、様になってる。いいなあ」
「ええと、ラティアだって。ジャケットにブーツ、かっこいいじゃん。センス、いいじゃん」
「背がまた高くなったんじゃない?」
見上げるラティアの視線にボギーが頭をかいている。
「ああ。百八十センチを超えたよ。あはは……」
ロナウが二人の様子にイラッとしてボギーの背をひっぱたいた
「アホタレが。何を舞い上がってるんだ。とっとと、行け」
ロナウの文句にボギーは口をとがらせて階段を下りる。ロナウはボギーを押しのけて、メシを作ってやるから待ってろと言ってカウンターへ入っていく。
「ほんと、粗野な人よね」
「元上司だったんだろ? ラティアの苦労が忍ばれるよ」
二人並んで腕組みをして、壁を背に寄りかかり、カウンターの中でごそごそ動くロナウを眺めていた。
「ボギー君をロナウさんに頼んでいっちゃって。ごめん」
「女の子にはキツイだろうけど、俺はぜんぜん。そこら辺の大人よりウマがあうけどな」
「ひょっとしてボギー君、類友だとか? ネクタイもゆるめてるし、不良してたりする?」
「してねーよ。今日は急いできたから締めてないだけだ」
「ほら、ちゃんと締めて」
ラティアがネクタイを締めようとするとボギーは手が届かないよう仰け反った。それを見て笑うラティアへ、ボギーも笑みを浮かべるが。はたと改まって眉根を寄せるとラティアの耳元へ身をかがめてきた。
「そんなのはどうでも良いからさ。ロナウさんと喧嘩したこと、仲直りはできたのか?」
「ちょっと。変なこと言わないでよ。してないわよ、そんなの」
「お前とロナウさんがそっぽ向いてる現場に、俺も居合わせてたんだけどさ」
「うん、いや、あれは違うというか……」
「人類を守る、だけじゃなくて、もっと大事な自分の人間関係も守れよ。人との付き合い、大事だぜ?」
「私、そんなふうにしてる? ボギー君とだってこうして普通にしてるじゃない」
「だから俺と話をするように、ロナウさんとも、フランクに。難しいとは思うけどさあ」
「うーん、ボギー君は小学校で駆けっこしていたワンパク少年姿が今も印象強くて」
「小学生相手なら話しやすいって? お前、俺をそんな目で見てたのかっ?」
「大きくなっても、きらっきらな目元は子どものときのまま」
「そんなこと言われて喜ぶ男はいねえよ」
「ごめんごめん」
「とにかく、けじめはちゃんと付けろ」
「私一度謝ってるもん」
「それならなんでここに寄りつきもせず、二か月もやさぐれてたんだよ?」
「うーん……」
「人生、戦うことばっかじゃないぞ。人間関係が大事。話し合うことが大事だ」
ボギーに背中を押されて、ラティアはカウンターへ向かう。向かっていて、途中で方向が逸れて窓の方へ向かう。ラティアは開け放たれたままの窓を閉めて回っていく。
何やってんだ、そんなの俺がやるから! さっさと行け!
ボギーが口元をそう動かして、ラティアを退けて窓を閉めていく。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます