第8話 チェーホフ技師

 二人が吹雪の中、ベルトーチカ基地へ到着した頃にはすっかり夜になっていた。哨戒塔と建屋が幾つか健在だが、多くは砲爆撃によって崩れ落ちていた。それらの瓦礫を引き裂くような音を立てて烈風が吹きすさんでいる。基地に照明は点いておらず、室内窓からの光と雪の照り返しでほのかに辺りの様子がうかがえた。ラティアはボギーが指さす方へ向かう。マイナス10℃の吹雪の中をラティアのジェットスライダーに乗せて連れられたボギーは低体温症を起こしていた。

「済まない。女の子に助けてもらうなんて」

 ボギーは手足に力が入らず、ラティアの外したマントにくるまりながら抱きかかえられ、頭はもうろうとしていた。

「気にすることないよ。私はSクオリファーの筐体にインストールされてるんだから。この機械のボディなら寒さも関係ない」

「そこ、右へまがって。そしたら仮設の司令室へ入れる」

「了解。ボギー君頑張ったね」

「ラティアが身体であっためてくれたおかげだよ」

「誤解を招くような言い回しはしないでよ」

 ラティアは体内の疑似モノポリウムリアクターの出力を上げて、自身の身体を加熱していた。それでボギーを抱きかかえて運びながらボギーの身体を暖めてきた。

「ぬくぬくな人間カイロだ」

 手足は動かないが、頭を傾げることで気持ちラティアへ身体の重みを預けてきた。少しラティアがよろめくが、それは重さのせいばかりではない。ボギーの顔が胸元にしっかり入り込んで当たっているのだ。ラティアは顔を赤くするが、ボギーは気にするそぶりがない。駆けっこ好きなワンパクが、こんなことを平然とするようになったんだろうかと、少し引く。

「もう! セクハラまがいなんだけど」

「……え? なに……が……?」

 ボギーは半分眠りかかっていた。ラティアが邪推するどころな状態ではなかったらしい。

「待って! ボギー君、寝たらダメだよ! 今、基地の中へ入るから! あったかいスープとか用意してもらうから! 寝るなボギー君! 寝るなー!」

 ラティアはドアノブに手をかけ、急ぎ建屋の中へ入った。

 後ろ手にドアを閉めると、なお吹き込んできた粉雪がわずかにラティアの周囲で舞って落ちた。吹雪の中をやってきた二人は全身雪にまみれていた。ラティアがマントのフードをおろしスカーフを解くと、シャーベット状の雪がボロボロ床へ落ちた。頭を振り、ラピズラズリの髪を揺すり整えていると、通路奥から人が駆け寄ってきた。

「本当に来た!」

 敬礼を受け、奥へ、仮設の司令室へ案内されていく。驚きの声が伝搬して人々が集まってくる。司令室へ入ると、ラティアの姿にどよめきがおきた。

「ラティア少佐、ただ今到着しました!」

 低体温で意識の鈍ったボギーを抱えて姿勢を崩しながらの敬礼だった。その分、駆け寄る人たちへ精一杯な笑顔で応えた。それを見て沈みきっていた人々は胸の内が大きく揺らいだ。望みうる最強の味方が到着したことに、これで敵に一泡吹かせてやれるぞと叫ぶ者、とうに観念していた果てにラティアの凜とした表情を見て涙をこぼした者もいた。

 一度でもパンゲアノイドと戦った者ならわかる。部隊が来ると聞いた時点で既に血が凍りつくような恐怖を抱く。その上、今は万を超えるパンゲアノイド兵が侵攻してくる。基地の人々はとても通常の精神状態ではいられなかった。

 けれども、ただ一人ラティアが現れ対峙することで、あきらめ一辺倒だった人々の心が少なくとも揺り返すには至った。アルスラン帝国は既にフェムルト共和国軍をほぼ壊滅している。それでも帝国がパンゲアノイド兵五十四万の兵力を動員してくる。それは『魔性の機械戦士』Sクオリファーがまだ残っているからだった。

 仮設の司令室に生き残った二十人がそろった。司令室と言っても、さして広くもない。会議室に通信機と事務機が机に並べられて、薄汚れた床の隅に銃や弾薬が無造作に置かれている、取って付けたレベルのものだった。燃料を節約しているのだろう。室内は薄暗かった。まるで壁から冷気が放射されてくるかのように冷えて、人の吐く息が白く見える。外よりはマシなレベルの室温だった。

 劣悪な環境にあっても、戻ってきた、戦場だとラティアは思った。こんな部屋が、高級マンションのリビングより、しっくりしてしまう。改めて性格が歪んでしまったと苦笑しつつも。

 基地には司令官がいなかった。副官も、また幕僚らも戦死していた。敵空中艦隊の砲撃で司令塔ごと吹っ飛んだという。代わりに基地の取りまとめを年長者のチェーホフ技師が行っていた。彼は技術者らしからぬ、筋肉質で大柄なスキンヘッドの男だった。そして今、仮設の司令室の奥まった執務席に座っていた。ラティアを迎え沸き立つ室内で、彼だけが苦り切った表情をしていた。その表情を見てラティアも、ああこの期に及んでと、以前を思い返さずにはいられない。二人の雰囲気に、基地で沸き上がった熱が静まっていく。

 戦闘母艦ブルーベースが健在だった頃、チェーホフ技師はSクオリファーのテクニカルサポートをしていた。そしてラティアを露骨に毛嫌いしている人間だった。しかし基地のリーダーが彼である以上、彼の力が必要になる。ましてチェーホフはテクニカルサポートだ。ともかくも急がねばと、自身のボディシステムについてメンテナンスやチューニング作業を後回しにしてここへ急行してきた。できればそれらの作業をチェーホフに頼みたい。

 ラティアは自身へ言い聞かせながらチェーホフへ告げた。

「まず武器弾薬のストックリストをください。それとすぐに使用できるように準備を。それから、私は調整不十分のまま飛び出してきたからチューニング作業が必要なんです。チェーホフさんには私のテクニカルサポートをお願いしたいの」

「……ああ、わかった」

「そして代わりの基地取りまとめ役を決めてください」

「俺がリーダーなのが不服だというなら、テクニカル・サポートも断るがな」

「そういう意味じゃないんです」

 ラティアが顔を歪めた。

「あなたに私のボディを見てもらう間、基地からの脱出準備を並行して進めたいんです。そのための人を頼んでいるんです」

 ラティアの言葉に皆が驚いた。ほうっと言ってチェーホフが席を立った。大柄の彼が立ち上がると、殊の外ラティアが小さく見えてしまう。

「ラティア、俺たちはアルスラン帝国に一矢報いたいと思ってここにいる。俺たちはここに残って戦う」

 語気を強めるチェーホフにもひるまず、ラティアは言い放った。

「いえ、少佐として命令する。命令通り、基地要員は全員撤退だ」

 ラティアを見下ろすチェーホフが舌打ちした。機械人形風情が、というつぶやきをラティアは聞こえなかったフリをした。

「チェーホフさんたちが危険を冒す必要はない。撤退してください」

「撤退してどうなるって言うんだ! 俺たちはここで死ぬ。死んで一矢報いるつもりだ。自分の生き死にまで馬鹿な政府の指図を受けていられるか!」

 ほえるチェーホフにラティアも眉をつり上げた。

「死ぬ覚悟で一矢報いるつもりと言いましたね」

「ああ言った。それがどうした! 機械のお前には生き死には関係ないだろうがな」

 凄まじい侮辱だった。ラティアは機械の体でも自分は人間であるとずっと信じている。むしろ人間でありたいと強く願う気持ちが、人間に帰属しているのだという意識が、人間を守るため、フェムルト共和国を守るため、激しく自身を戦いへ駆り立てていると思っている。

「ちょっと、チェーホフさん! 喧嘩してる場合じゃないって! それにその言い……」

 ボギーがラティアのために声を荒げて擁護してくれている。だがそれ以上の口調でチェーホフがさえぎる。

「ボギー、おまえはすっこんでろ。お前は何も知らない。だからそんな脳天気なことを言ってられるんだ」

「知らないって? 俺はラティアと小さい頃からの知り合いです! 彼女は……」

「そういうことじゃない。こいつはなあ……」

 途端、ラティアがぐいと一歩前へ出た。ボギーへは下がっているようにと手で刺しながらチェーホフの話をさえぎった。

「話を元に戻して! 私は言い争いをしにここへ来たんじゃない」

「おう。それは目出度いこった。お前も一緒に壊れるのは構わないというなら褒めてやる。負けて最後を飾る……」

「私は勝つつもり」

 ラティアはチェーホフへ斬り込むように言い放った。そして、うっすら笑みを浮かべた。

「勝って生き残る。だから邪魔なの。あなたたちがいると。死ぬつもりで道づれにされるのはごめんなの」

「な、なんだと……」

「私は持てる力を出し切る。戦い、そして生き抜くつもり」

 向き合っていたチェーホフはラティアの笑いに狼狽を見せた。ほほ笑みながら緑の瞳はチェーホフを射貫くように見据えている。軍務中に見せるラティアの笑みは冷たさを帯びる。ラティアも内心は必死。けれど相手にそうと見透かされまいと、感情を抑え込んだ表情がこれだった。加えて戦場で戦い続けて、生身の人間であった頃よりまなざしが鋭くもなっていた。その分笑みに凄みが増している。ラティアもそれを自覚はしてはいるが。


『また氷の微笑をしてるよ。男たちがビビってるじゃん』


 以前は、そうレイアにたしなめられたりもした。

「あなたたちを死なせはしない。私が守る。けれど、ここは戦場になる。ここではさすがにあなたたちの安全を保証できない。だから命令には従って。ここから引き下がって」

 そのとき入電があった。ラティアの頭部内にある通信機に首都の総司令本部からメッセージが届く。ラティアは自身の量子プロセッサで内容を確認し、返信文書を作成する。

 その間ラティアは無言のままでいた。チェーホフは無言のラティアに向かい合ったままこれもまた無言でいた。考え込んでいるようだった。

 ボギーがチェーホフにささやいた。

「チェーホフさん、あなた一体ラティアの何を知ってるんです?」

 ボギーのささやきがきっかけだったようだ。チェーホフはふんっと吐息すると、それは後だとボギーへ告げた。

「まあこいつなら、ある程度はやれるだろう。ともかくもリストは揃えよう。だが俺たちは残る。残って戦う。脱出など……」

 そのときラティアがひときわ声を大きく張り上げた。

「総員、急ぎ地下シェルターへ待避。二十七分四十五秒後にここへ大陸間弾道弾が着弾する。恐らくは反陽子爆弾。直撃すれば地下五十メートルまで確実に消し飛ぶ。ここを直撃される前に、私がケルビム・ソフィアで撃ち落とす」

 皆の顔色が変わった。チェーホフは通信担当へ視線を送った。通信士が慌てて確認に取りかかるが、ラティアはその間にも対応に着手する。

「チェーホフさん、地下シェルターに防空システムはありますか?」

「あるが、ずっとほこりをかぶったままだ。立ち上げ作業が必要だ」

「どれくらいかかります? 二十分? 二十五分?」

「そこまではかからんだろう。……ちょっと待て。まさかお前、まだ?」

「そう。撃ち落とそうにも、私自身の射撃管制システムは壊れたままなの。基地の防空システムを利用して代用にしたい。システム統化をしているまでの時間はない。システム立ち上げとリンク接続作業をお願いします」

「わかった。防空システムをお前にリンクさせる」

 ようやく通信士が通信機から顔を上げた。

「司令部からの入電を確認。アルスラン帝国本土から大陸間弾道弾一発の発射を確認。標的はここベルトーチカ基地」

 通信士の読み上げる声にラティアは首を振った。

「違う。標的は基地じゃない。標的は私」

 ボギーの驚く顔にラティアは苦笑した。

「森で出くわしたパンゲアノイド兵が生真面目に上部へ報告したんでしょう。もっとも彼はこんな結果を望んではいない。彼は私と一騎打ちを望んでいた。それがパンゲアノイド気質。でも組織としては当然、万の敵を一人で相手するSクオリファーを潰すに越したことはない。そんなところじゃないかしら。彼を責めるのは……」

「そんな悠長に敵のことをかばっている場合じゃないだろ!」

 ラティアは首をすくめた。

「怒らないでよ。私だって気が動転してるんだから。すぐには目の前のことが手つかずにあわてふためいている、そんな時間くらいちょうだいよ」

 そして目配せをした。

 ああそうかと、気付いたボギーが手をたたいて大笑いしてくれた。

 周囲はそれを分かったような分からないような、ともかくもつられて笑いを漏らした。

 ラティアも、ボギー君それそれと、指さして笑顔を見せた。明るい振る舞いで、ともかくも人々の気持ちを盛り上げたかった。そしてラティア自身も気の置ける味方がいて助かる心地がした。

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