第4話 決断
チェニスはそこで言葉を句切った。ラティアの様子をうかがうように。
ラティアの顔付きは静かだった。諦観でもなく狼狽でもなく。沈思していた。彼女の人工ニューロンと量子プロセッサは状況を分析し、対応すべき手を思考している。戦争を考えることが面白い、と言えば語弊になるので軽々と口にしたことはなかった。人間だったときと明らかに思考が違う。視野が広がるというか、滞りがない。演算速度の早さ故か。早指しのチェスが止まることなく淡々と進む感じ。心地よさをおぼえる。自身の能力が躍動しているとでも言うような充実感がある。実際には遊戯のチェスではない。戦争を考えているというのに。
ラティアは地図上に落としていた視線をゆっくりチェニスへ向けた。光彩を帯びた瞳でチェニスをも見据えている。チェニスの表情は変わらない。けれどこらえきれないように言葉が口からこぼれる。
「あ、ええと。予想……していたのですか?」
「なにを?」
「あ、いいや。あまりに落ち着いたご様子なので。五十四万の敵兵が攻めてくる。人類を地上から根絶やしにしかねない、恐るべき数……」
「そう言えば私が驚くとでも?」
さっとチェニスの表情が青ざめた。
「そういうつもりはありませんが」
冷えて冴え渡るような感覚の脳裏で、ただ敵の動勢一点へ思考が集中している。敵はパンゲアノイド、アルスラン帝国の侵攻軍だ。けれどとって返す刀がチェニスへも向けられる。
「失礼を承知でこの際言わせてもらおう。その妙に下手な言い回しを、私は好きになれない。むしろ、どこか人を軽んじ、人を踊らせようとする裏のある響きだ。スパイそのもの」
ラティアはそう牽制した。
「これはまた。随分なご不興を買ってしまったようで……」
チェニスの全てを読めたわけではない。だが、チェニスからはラティアをなんらか操ろうとしている意図が感じられる。その意図は不明だが。
「いいから続けて。人類同士内輪もめをしている場合じゃないのだから」
チェニスへは警戒を怠れない。だがラティアが今考えなければならないのは第一に、侵攻軍なのだ。ここはラティアが一歩引いた。チェニスが安堵の表情を浮かべる。
「わかりました。ラムナックから進発した部隊は国道五号線を通り、こちらへ真っすぐ。ラウナバードを直撃する形勢です」
フェムルト側の戦力は東側に出払っている。大陸南南東から攻めてくる、新手の敵を防ぐ戦力はほぼない。チェニスは続けた。
「ラムナックから丘陵地帯をクワラ峠へ越えてベルトーチカ盆地へ入る。ベルトーチカ盆地からオーエン峠を越えるとラウナバードは目と鼻の先。となると、クワラ峠かオーエン峠しかない。いずれかで防衛線を張って食い止めないと」
チェニスが説明する間、ラティアはずっと黙っていた。またちらちらと、こちらの様子をうかがうチェニスに不快感をおぼえつつ、無視して。
「私なら、より狭いクワラ峠に防衛線を敷きます。ベルトーチカ盆地に駐屯基地があります。ここの兵器資材を急ぎ峠へ……」
「ベルトーチカ駐屯基地の兵力は?」
「ここに兵力がないわけではありません。退役もしくは寸前の老兵と非常招集された少年兵がいます。頭数だけでもと寄せ集められた四十名ほどです。戦力になどなりはしません。もし敵が来れば、彼らの運命など推して知るべしです」
ラティアは、チェニスが自分をそこへ行かせようとしていたのだと分かった。死地へ向かわせようと。クワラ峠へと。ラティアを引き寄せる餌のように基地の人々を哀れに語り示す。ただしこのままでは基地の人々は無意味に殺される。それは確かだった。
「軍部の動きは? 市民の退避命令は?」
「現時点ではまだ何もありません。もっとも、首都の一般人三十万人を今日この吹雪の中で待避させるのは不可能。ですが機甲部隊は早ければ二、三日中にもここへ到達します」
「軍部も政府も、もう諦めたというのか?」
「地球からこの星に不時着した祖父母世代には申し訳ないながら……などと、私はしたくありません。しかし、いち諜報部員の私にはできることは限られているのです」
チェニスが頭を下げてきた。
「ご決断を。軍も国家も頼りにできない今、フェムルトに住む人類はあなただけが頼り。ここを出て戦地へ向かうのが軍の命令違反になるのは重々承知。しかしフェムルトのため、私は人類の命運をあなたに託したい。そのためにここまで来ました」
ラティアは目を閉じた。
あの、どこか危うさをはらむスパイが見栄も外聞もなく頭を下げてきている。ラティアを死地へ向かわせようとするなら、妙な下手に来るところも致し方なしか。むしろ邪推した自分に非があるかもしれないとラティアは思った。
そして切迫した状況とはラティアも思っていたが、このチェニスの必死な姿勢がそれを改めて思い至らせる。
けれども。
無謀に過ぎる。
でも戦うしかないことは分かっている。
だから、勝つための手段を考えていた。
五十四万の大軍へ、不具合だらけのラティアをまともにぶつけようとも勝機はない。それは決断を迫ったチェニス自身も不可と思っているようだった。
「せめてなんとか、交渉の席に持ち込めませんか?」
「外交交渉か?」
ラティアが目を見開いた。
「はい。生き延びるために話し合いの交渉へ持ち込めないかと」
「私が戦って容易には攻略できないことを思い知らせる、と?」
「はい。むやみに戦わず、戦略的な膠着状態を作るのです。既に十月です。相手は寒さに弱い爬虫類型哺乳類のパンゲアノイド。帝国軍は本格的な冬が来る前にケリを付けようと来ていますが、持久戦へ持ち込む。あんな大軍をひと冬、野営させるなど不可能ですから」
いずれにせよラティアが五十四万人の敵を相手に対峙する必要がある。ラティアの戦略に全人類の運命がかかっている。チェニスはそう訴えた。
「わかった。やろう」
ラティアの言葉へチェニスがわずかに笑みを漏らした。内心を推し量りにくい笑いだった。そしてラティアは続けた。
「勝ってみせるよ」
チェニスの笑みは怪訝なものへと変わった。チェニスは真っ向戦うことを不可とハナから思い込んでいる。彼の思考には勝敗を決するという発想が初めからなかったのだろう。それは当然だ。誰だってそう思うだろう。でも、ラティアは勝つと言い切った。
ラティアはおかしそうに笑った。
「なんだいチェニス、私が勝てないとでも?」
「あ、いいや、その。初めから勝つ気でいなければ、勝てるものも勝てない道理ですね?」
「精神力だけで勝てる戦いじゃないよ。全てを動員して計算し尽くさなければ勝てない」
決意を固めたラティアを、チェニスは理解の範囲を超えたという表情で見ていた。そのつるりとしている顔から完全に力が抜け落ちていた。
「何を呆けているんだ? 戦場へ誘い出そうとしたのはお前だ。お前にも協力してもらうぞ」
「ええ、あ、はい。何なりと、申しつけください」
ラティアは眼鏡を外し、立ち上がった。人間の目を模した視覚センサに人間の近視用眼鏡は不要だったが、あくまで軍に戻らない、まじないのつもりで掛けていたもの。視力機能の調整を済ますと、眼鏡をテーブルへ置いた。
「まずはこのマンションから脱け出すルートの確保を。私なりにロナウさんへ一泡吹かせて出ていきたいとこだけど、その暇はなくなった。急ぎだチェニス、できるか?」
「はい。それはもう対処済みです。こういうことは得意分野で」
「それと秘密に回線をつないでほしい先がある。軍の科学技術局だ。Sクオリファー保守技術のガウス技師と話がしたい。彼なら第四知性体、テトラと連絡が取れるはず」
「至急、手立てしましょう」
ラティアはクローゼットへ進み、戦闘防護服のギアスーツやマント、スカーフを取り出していく。高校の制服から、これまで戦場で使っていた軍装へ着替えるために。
「それと私のジェットスライダー(AI搭載ジェットエンジン付き自走スノーボード)が第三整備ヤードにあるが、電源が完全に落とされているようだ。私からの通信をまったく受け付けない。電源回復、できるか?」
「やってみましょう。他にご用件は?」
ラティアは服を抱えて歩いていく。チェニスはその後を執事のように付き従っていた。
ラティアがにわかにチェニスへ振り返った。
「……これから着替えるんだから。このボディは作り物でも、見られたくはない」
「ああ、これは失礼」
「お前はさっさと言われたことを始めてくれ」
ラティアはバタンと部屋のドアを閉めた。
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