国を見つめて3

 パイルスが姿を消して数か月経つとこれまでの騒動が嘘のようにトゥトゥーラには静けさと平穏が訪れたが、逆にその何もなさが非常に不気味であった。ずっと続いていたデモや反政府活動などが突如として消えてしまったのだ。裏がなければ返っておかしい。キシトアもそれは承知のはずである。だが、彼はそのうえで安堵しているように思えた。


「今日も何も起きなかった。いい事だ。ずっと平和であってほしいものだな」


 なんとも気の抜けそうなセリフである。傍らに立つエティスはさも不満そうに書類を整理しているが何も言わない。何を述べたところで生返事が耳に入るだけだからである。


「それじゃあ私は帰ります。お疲れさまでした」


「あぁ……そうだ、たまには一緒に食事でも……」


「結構です。それでは」


「……」


 勢いよく執務室の扉が締められ、キシトアはまた一人きりとなった。


「いかんな。俺はいかん。いかんが、どうしようもない」


 一房の髪の束を取り出しそんな泣き言を上げる。日課となったその光景は誰の目にも入る事なく、また入れてしまってはいけないものであった。虚ろな目で女の髪を愛でながら語る姿など目撃されては正気の喪失を疑われても仕方がない。発見された時点で療養確定である。とはいえ、この時のキシトアにとってみればその方が幸せかもしれないが。



 その翌日、キシトアの下に差出人不明の報が届く。それは機密文書を送る際に用いられる方法で届けられたもので、緊急扱いとなる報告書であった。本来であれば誰からの情報なのか分かるように細工してあるはずなのだがそれがなく不審。しかし、先の通り特殊な手順を踏まれ届けられた故に信用度は高い。キシトアは訝しみながらも報告書の内容を確認すると、そこには驚くべき事が記載されていたのであった。


「エティス……エティスはいるか!?」


「はいこちらに。いかがなさいましたか? お茶でしたら今お淹れするところですが」


「茶などどうでもいい! 今すぐ軍部を含めた会議を行うから招集を掛けろ!」


「え? いったいなにが……」


「いいから早くしろ!」


「は、はい!」



 有無を言わせぬキシトアの言葉に追われエティスは言われた通りトゥトーラの要人を集め会議室へと通した。そこで各員に通達された事項は反政府組織過激派の発足とその計画、そして、所属する人間の詳細な情報であった。


「なるほど。これが事実であれば確かに大事でございますね。軍としては、ご命令があればただちに反乱分子の壊滅に動きます」


 求心力を失っているキシトアであったが軍部からの信頼だけは高いままであった。それはキシトアが元々軍属だった事に加え、兵を丁寧に扱っていたからである。直近で言えば奴隷戦争において早期に空爆を実施した事などが挙げられる。失態が続くキシトアであったが、これまでの功績と恩を忘れない者もいるのだ。だがそうした人間は少数派であり、やはり多くがキシトアに対する不信感を抱いていたのだった。


「とはいえ、現状ではなんともできないでしょう。どこの誰が出した内容でもないし、罠かもしれない。迂闊に手を出すのは危険なのでは?」


 発言自体は真っ当であり一理のあるものであるが、その声には呆れと敵愾心とが多分に含まれ、挑発的であった。


「……貴様の言はもっともだ。勇み足で部下を失うなどあってはならん事態。慎重となるに越した事はない」


 キシトアの言葉を聞き、先に意見した人物はにやりと笑った。発言力が落ち、失脚目前の指導者にとって代わるためには自らの知能と影響力を周りにアピールせねばならない。

 これは何も教に始まった事ではない。キシトアの足には常に何者かの手がかかっており、誰かが大統領の地位から引きずりおろそうとしている。出世レースの餌として、生きたまま啄まれているのだ。


「そもそも、この会議を開く意味はあったのですか? 根拠不確かな情報を基に緊急事態を申されましても釈然としませんな。なぜ先に説明をいただけなかったのか、お聞か願いたいものでございます」


「私共はキシトア様と違って職務がございますので……現状においてトゥトーラが何故国の体を保っていられるか、ご理解いただきたく存じます」


「……」


 一度着火した火は燃え上がるだけ。一人が他を出し抜かんとキシトアを批判すれば、我も我もと同じような言葉を口に出す。見ていて気持ちのいい物ではない。とはいえ、こうした事態を招いたのもキシトアの責任。事情が事情故に同情はするがそれとこれとは別問題。自身の仕事を果たせないのであれば潔く退くべきであるとは思うが、キシトアがなぜそうしないのかといえば、彼の責任感に由来する。正直な話、トゥトーラにはキシトアに代わる人間が未だ出てきていない。能力の有無ではなく、実行力が備わった者が皆無なのである。分かりやすく言えば決断力と胆力が不足している。誰しもがキシトアの一言により動き、彼が下した判断に従うばかりで、自らの頭で考えるという事をしなかったのである。それを思えば、易々と退任などできるはずがない。彼が引責し辞任すれば、後任に就いた人間が国をコントロールできず崩壊するであろう事は目に見えていたからだ。

 それは決して悪い事ではない。しかし、今日のような状況となった場合、後釜に据える人間がいないとなると大変に混乱をきたす事となるのはこの会議を見れば明らかであろう。誰しもが自身のリーダーシップを発揮しようとはせず、既存の権力者を攻撃して自らの優位性を誇示しようとしているのである。そうした人物ばかりを登用していた事に責がないわけでもないのだが。



「皆の意見は分かった。しかし、これにおいては看過できぬ情報もある。それをあえて伏せたのは、まず冷静にこの騒動を知ってほしかったからに他ならない。許してほしい」


 それだからこそキシトアは批判を甘受し事もなげに話を続けるのである。


「それは構いませんが、看過できぬ情報とは?」


「うむ。実は、この反政府組織の首謀者の名が別紙で記載されていたのだ。件の人物の名は皆もよく知る者であり、私としてはにわかに信じ難い内容となっている」


「勿体ぶらずに、その人物の名を早く教えていただきたい」


「……その人物の名は……俺の側近であり、トゥトーラにおける国家運営の実質的実行者……」


「……まさか」


「パイルス。この報告書には、確かにそう記載されている」



 一同がどよめく。誰もが動揺し狼狽える中キシトアだけは冷静なようであったが、恐らく彼が一番平常を失っていただろう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る