逆襲のシシャ7

 しかしそんな性分も天敵ともいえる相手を前にしてはやはり鳴りを潜めるようで、ドーガ官邸に訪れたキシトアは表情にこそ出さなかったがすこぶる不機嫌そうに座っているのであった。

 簡素であったが上質なソファと茶でもてなされている客室に一人座る風体は来たくもない得意先を訪れる営業マンのようで昭和のドラマ感がある。社会経験のない俺にはその昭和のドラマ程度のイメージしか湧かないのだからひょっとしたらこの比喩は的確ではないのかもしれないが、ともかくとしてキシトアはまずそうに茶を飲のんでおり、その茶が空になるかならないかくらいの頃合いにようやく客室にノックが響き、ムカームの来訪が知らされたのである。


「お待たせいたしました。遠路はるばるありがとうございます」


「いえいえ。こちらこそ突然お伺いいたしまして申し訳ございません」


 一度立ち上がり握手を交わすキシトアは歓迎者としての擬態を開始していた。先日の友好会談とは異なり今回はもてなされる側なのだが、気苦労心労の類に変化はないだろう。人付き合いというのは大変なものだ。殊、国を背負う者のそれは俺の想像を超える心理的負担があるに違いない。


「本日はお一人ですか? 女性と一緒におみえになったとお聞きしておりますが」


「アレは物を知らないため置いてきました。失礼を働くかもしれませんので」


「普段からそんな事を仰られますと、とご婦人からの反感を買いますよ」


「かまいませんよ。私は既に国主ではないのですから、好きなように言わせておけばいい」


「話には聞いておりますが、本当に退任なされたのですか」


「えぇ。もともと私は人の上に立つ器ではありません。何者でもなく、一人で観劇を楽しみ酒を飲んで暮らすのが性に合っています」


「では、再び国主の座に就くお考えはないと?」


「少なくとも、私自身にそのつもりはありません」



 実に軽く交わされるやり取りであるが、やはりこれも腹の探り合い、騙し合いである。ムカームはキシトアの目論見や心理を見透かさんと、キシトアはムカームへの印象操作を目論んでいるのである。

 この時ムカームはキシトアに何らかの目的があると確信していただろうし、実際にその通りであるキシトアの方は少しでも疑念が払われるように振る舞っていた。高度な外交的要素の含まれる一場面である。狐と狸の化かし合いといわれればそれまでなのだが。



「そうですか……貴方ほどの人が退くとは、残念です」


「なに、私などは単なる七光りにしか過ぎませんよ。次期国主……いえ、大統領は、きっと過去よりもより良くリャンバを導き、ドーガとの関係性を深めてくれることでしょう」


「そうなる事を、私も期待しましょう。ただ、個人的には、キシトア殿と良き友であり続けたく思います」


「ありがとうございます。それに関しては私も同じ気持ちでございます」



 微笑を浮かべながら心にもないであろう言葉を並べ立てるキシトアとムカームを見ていると心が荒むような思いがする。恐らく両者にとってお互いは、許されるのであれば即刻銃口を向け引き金を引くくらいには消えて欲しい相手であるだろう。キシトアにはムカームの支配力と統率能力が、ムカームにはキシトアのカリスマ性と経済、軍務の手腕が、それぞれ恐ろしく、また厄介なのである。手を取り合えれば全て上手く進むのだが、それができないのが人の宿命。人類とはかくも愚かで悲しい生き物である。会談はしばらく続くが、どちらの言葉も真の入らぬものであり、まったく寒々しい笑いが常に響くのであった。




「それでは、本日はこの辺りで」


 一通り話し終えると、キシトアの方から終了の提案を口にする。


「もうお帰りになるのですか? この後、昼食でも思ったのですが」


「申し訳ございません。待たせている女がうるさいもので……」


「それは大変だ。次回は、是非ともその女性を紹介していただきたいものです」


「そうですね。そういたします」



 キシトアもムカームも互いに椅子を並べて食事などしくもないだろう。それでも建前を述べねばならないのが社会活動の基本原則であり必要不可欠なしきたりなのである。断る際にもルールを守らねばならない。キシトアがエティスを置いてきたのもそのルールを順守するためである。人を待たせていると知れば引き留める事はできない。相手が女であればなおの事野暮は控えられる。しかし、そんな事まで気を遣わなければならないというのは本当に面倒な事で、つくづく俺には社会人など向いていないなと思わされる。負い目引け目がありニート万歳とは言えないところが辛いところだ。



「ホテルまでお送りいたします」


 官邸から出るとフィルが待ち構えておりキシトアを車に促した。何から何まで至れり尽くせりであるし、国賓に対して当然の礼でもあるが、暗に「お前らに自由はないぞ」というメッセージともとれる。


「助かります。道を知らなかったもので」


 だが、キシトアは気軽に言葉に甘え車に乗り込んだ。


「つかぬ事をお伺いしますが、いったいどうやって官邸まで?」


「恥ずかしながらヒッチハイクを」


「ヒッチハイ……え?」


「ヒッチハイクでございます。ご存じないですか? 道路を走る車を捕まえて載せていってもらうのです」


「いや、それは知っていますが……」


「車の持ち主が随分と気のいい老人でして、おすすめの酒場まで教えていただけました。確か、デストロイドサニティとかいう……」


「次回お越しになる際はお出迎えいたしますので官邸にご連絡をお願いいたします」


「いや、そこまでお気遣いいただかなくとも……」


「お願いいたします!」


「……そこまで仰るのであれば、そうさせていただきます」


「是非そうしていただけると!」


 キシトアは必死に言葉を選らび咎めるフィルを見て笑いを堪えている様子であった。先までとは打って変わって心底愉快そうな様子は彼の精神性を如実に表しており、彼自身が述べた国主の器でないという発言も、まんざら謙遜でもないように思えた。

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