逆襲のシシャ5

 責務から解放されたキシトアは海の上にいた。

 リャンバの貨物船、ラフダの行先はドーガである。先日に行われた友好会談の中で船舶出入港の規制緩和が結ばれた事を期に両国間での輸入出業や旅行渡航などが盛んに行われはじめ、互いの国に互いの人種や品目が紛れる事もそれほど珍しい事ではなくなっていた。


 この状況においてリャンバが恐れるのはリビリのように麻薬を市場に流される事であったがドーガからの指定品目にオピウムは含まれておらず、また、ケミカル、ナチュラル問わず、他の薬物の搬入も見られなかった。ドーガにそのような意図がなかった事もある。が、最も大きな理由はリャンバの検閲体制が優れていたためである。徹底した荷物、貨物検査や犬を使った探知などにより密輸もほぼ完璧に阻止。隙を見せない体制が牽制にも繋がっていたのであった。これは事前に入念な準備を手配したキシトアの手腕である。

 もっとも、そのキシトアもいまや無職。俺と同じく表面上はニートである。まぁ、これまでの経歴を考慮すれば比べるだけ俺が惨めとなり、同列として語れば語る程自分が情けくなるのだが。

 それに、そもそもキシトアがニートをやっているのはあくまで形式上の事である。本質的には、キシトアは未だ国の重要人物の一人なのだ。




「キシトア様。ドーガまで後六十分もしないうちに到着するそうですよ」


 船室で酒を煽るキシトアに報告を告げたのはリャンバの秘書室に務めているエティスである。

 彼女は真面目かつ優秀であり、それでいて天真爛漫な愛らしい娘なのだが、容赦のない辛辣な毒舌で他者を追い詰めるのが玉に瑕であった。


「なんだ。存外早かったな。よし。ではそれまでに、持ってきた酒を全部飲んでしまおう」


「無茶はおやめください。余った分は港で預かっていただけるよう手配しておきますから」


「馬鹿めエティス。酒は日持ちせんのだ。鮮度のいいうちに呑まねばもったいない」


「またそんな事言って……駄目ですよ。私はトゥーラを出てくる前に、しっかりとパイルス様にお酒の管理をするよう仰せつかったんですから。しかもこれはキシトア様も承知なさっていて、その場でしっかりやるようにと私に仰ったんですよ?」


「……待て。俺はそんな事一言も聞いていないし、言った覚えもないぞ」


「そりゃそうですよ。お伝えしたとき、キシトア様ったらベロベロに酔っぱらっていらっしゃったんですもの」


「なるほど。ではそんなもの無効だな。酒の席での言葉は全て酒と共に流れていくのだ。摂理である。よって、俺は酒を飲ませていもらう」


「へぇ、じゃあキシトア様は、ご自分でお約束になった事を破るわけですか。なるほどなるほど。これはまた随分と落ちぶれたものです。元国主とは思えませんね。テーケー様がご覧になったら、さぞお嘆きになるでしょう。なんとまぁ、哀れな事です」


「なんだ貴様は。随分と言ってくれるじゃないか」


「だってそうじゃないですか。キシトア様はそのお口で私にお酒の管理を頼むと仰られたんですよ? それを酔っぱらっていたからといって反故になさるというのは、つまり信頼を蔑ろにするという事。人としても男性としても下の下。最低最悪です。いやしかし、キシトア様が進んで落ちぶれたいというのであれば私はお咎め致しません。どうぞ落伍者街道を突っ走り、どこぞの道端で朽ち果てながら道行く人にお酒の物乞いでもしていればいいんじゃないでしょうか。意志薄弱。浅慮軽薄なお方には、おあつらえ向きな最期だと思われます。その際は私も是非見学させていただき、成れの果てをリャンバの皆様にお伝えさせていただきますね。あ、そうだ。観光ツアーなんて組んだらどうでしょう。二泊三日。元国主キシトア様(笑)の斜陽人生嘲笑会なんて、きっとこぞって参加なさると思いますよ。素敵ですね!」



 エティスお得意の毒舌にキシトアは観念して酒瓶を置き。眉間に皺を集中させて顔を顰めて見せた。



「……貴様は本当に嫌な女だ」


「これからの時代、女性は性格が悪いくらいじゃないと」


 エティスは悪戯っぽい笑みを見せてキシトアから酒を回収していった。ちなみにキシトアが酔った勢いで酒の管理を任せたというのはでまかせであり、なんならパイルスが彼女に一任したというのも虚偽である。



「それよりほら。甲板に出ましょうよキシトア様。今日は天気も晴れやかだし風も気持ちいですよ。私、海に出るの初めてだったんですけれど、すっかり気に入ってしまいました。船旅って素敵ですね。今度はプライベートで……」


「エティス」


「……失礼しました。いやですね。しっかり仕事のつもりになっていました。今回は私の多忙ぶりをキシトア様が実費で労ってくれているんですもの。しっかりと、羽を伸ばさせていただきますね!」


「多忙かどうかは知らんが、まぁ。よく働いているとは聞いている。せいぜい楽しむといい」


「はい! そうさせていただきます! ですから甲板へ行きましょう! 青い空に海! 全てが広大で自由です! あぁ! いいですね船!」


 鼻歌交じりにクルクルと回るエティスであったが回収した酒だけは離さず、それを見たキシトアは大層がっかりとした風に肩を落としていた。二人の様子は確かにプライベートで旅行先に向かう男女であったが、キシトアの目的は他にある。ドーガへの旅路は、その始まりに過ぎない。

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