チーム誕生編

第5話 奴隷の少年

 アルカ第二区域セカンドに位置する飲食区画は、夜にも関わらずたくさんの人で賑わっていた。

 普段からこの区画は眠らないことで知られているが、今日の喧騒ぶりは少し異常だ。


 通りを埋め尽くすように建てられ、大小合わせると数千以上はあるとされる飲食店は軒並み活況で、店内に客が収まりきらないため、軒先にイスとテーブルを並べ、簡易的な飲食スペースを設けるほどだった。

 次から次に運ばれてくる美食に舌鼓をうちながら、祭りのあとのセンチメンタルな気持ちも一緒に消化しようと、誰もが思い思いの時間を過ごしていた。


 祭りの後の余韻を楽しむ獣人族ビーストの家族がいれば、静かに微笑み合う小人族コロポックのカップルがいる。

 酒に酔って陽気にどんちゃん騒ぎに興じている炭鉱族ドワーフたちは、祭りの隆盛が終わるのを必死に繋ぎとめようとしているようだった。


 ほとんどが他国からの観光客である。

 歴史に名を残すチームの誕生。

 その瞬間に立ち会おうと集まった人たちの余熱で、アルカの夜は明るく彩られている。


 そんな喧騒から少し離れた、薄暗い裏路地に身を潜める人影が四つほどあった。


 雲の切れ間から面白そうに顔を覗かせた月の明かりに、その姿が照らされる。

 薄汚い継ぎ接ぎだらけの襤褸切れに身を包み、体は泥だらけだった。

 年の頃はおおよそ十と少しだろう。

 ごみ箱をひっくり返し、乱雑に路上へ散らされた残飯を浴びるように貪る姿は、野獣のそれと大差なかった。




「ああ、うめぇぇ!」


「おい、俺にもよこせよ」


「あっ、盗んなよ! そっちにもたくさんあんだろーが!」


「喧嘩すんなって。食いもんなら腐るほどあるぜ! なんせ今日はお祭りなんだからな!」



 両手が汚れることも厭わず、塗りたくるように口へと運ばれる残飯。

 べっちょりと塗られた口元の汚れに紛れて、顔の刻印が不気味に光る。


 国民から奴隷と蔑まれる者たちである。

 彼らは今日の労働を終えて、収容所への帰路の途中だった。


 収容所に帰れば飯は出る。

 しかし、その支給される量産食品は味も不味いうえに量が少ない。

 朝から晩まで肉体労働で酷使したことに加え、彼らは食べ盛りだった。

 それだけで足りるわけもなく、彼らは看守の目を盗み、本来であれば奴隷の立ち入りを禁止している第二区域セカンドへと忍び込んでは、こうして残飯を毎日のように漁っている。


 たらふく食べた。

 このまま泥のように眠ってしまいたいが、顔に刻まれた魔法陣がそれを許さない。

 門限までに収容所に戻らなければ魔法陣が発動し、爆発する仕組みになっているからだ。

 偉大な魔法の前では、無力な命など簡単に消し飛んでしまう。


 そんな仲間たちを傍観しながら、一人の少年は残飯を手に持ってぼうっとしていた。



「食わねぇのかアハト?」


「……いや、食う」



 アハトと呼ばれた少年。

 由来は顔に刻まれた〝アハト〟という管理番号。

 奴隷である彼に名前はなかったが、無いと不便なため形式上そう呼んでいる仮の名だった。


 アハトは今日食べた、あの味が忘れられずにいた。


 この日のアハトはいつものように監視の目を盗んで労働をサボり、第二区域セカンドへとやってきていた。

 前々から噂されていた祭りを体験したいと思ったからだ。

 普通なら昼間の第二区域セカンドは目立つため忍び込めないが、異常なほどの人混みがそれを可能にした。


 人の波に流されるように、アハトは頭上高くを浮遊する映像水晶モニターをくいるように見ていた。

 人々は紛れているアハトを見ると口汚い言葉で罵るが、その声は喧騒のなかにあっさりと溶けて消えていく。


 この日、有名な森民族エルフの料理人が神々の地からやってくる噂は耳にしていた。

 料理人に興味などないアハトだったが、食べることは好きだった。

 育ち盛りのおなかは常に空腹で、第二区域セカンドに紛れれば何かしら食べられる期待があった。


 映像水晶モニターには、凄まじい熱量で料理をする料理人たちが映っていた。


 炎が踊り、水が舞う。

 刃物が宙を飛びまわり、食材を両断する。

 繊細な魔法技術が冴えわたり、見る者を魅了する。

 実際、頭上を見上げて指をさす観客は、隣にいるみすぼらしいアハトのことなど眼中になく、切り替わる画面に熱狂していた。


 魔法をつかえない人間族ヒューマンだからこそ、その光景には強い憧憬を覚えた。

 こんな煌びやかな世界に触れる機会のない奴隷のアハトが、もっと間近で見てみたいと思ったのはやむを得ないことだった。

 普段のアハトであれば、馬鹿らしいと斜に構えて何事もなかったかのように奴隷の日常へと戻るのだが、祭りの浮かれた空気にあてられて、今日くらいならいいかなと思ってしまった。


 人混みを押しのけ、地元民しか知らないような裏路地を抜けて会場に到着すると、警備兵の隙を見計らって慣れた動作で食糧庫パントリーのある建物――アルカ最大の映像会社テレビスタジオに忍び込む。


 この国におけるセキュリティの全般が魔力に反応することを、アハトは知っていた。

 この世界に生まれた生物であれば、人類だろうと、魔法生物モンスターだろうと呼吸をしている限りは大小様々な魔力を発している。

 一つの例外である人間族ヒューマンという生物を除いて。


 そんな魔力を持たない人間族ヒューマンのことなど、最初から脅威として考えていないらしい。

 そのおかげでコツさえ掴めば国中の色んなところに楽々と忍び込めるのだから、その一般的な認識はアハトにとって、唯一人間族ヒューマンでよかったと思う瞬間でもあった。


 場所はすぐに分かった。

 強烈な匂いの道案内を辿ればいいだけだった。

 人目を盗んで裏口に回り込み、物陰を使って姿を隠す。

 会場には難なくたどり着けた。


 忍びこむと、そこは別世界だった。


 視覚、嗅覚、聴覚を刺激するとてつもない情報の奔流に一瞬にして心を奪われた。

 映像水晶モニターで観るものとは、伝わってくる情報量が違った。


 照明にあたり活気づく食材たち。

 インスピレーションをくすぐるモダンなデザインの食糧庫パントリー

 慌ただしく動き回る異なる衣装に身を包んだ料理人たち。


 人の出入りが激しいためか、料理の構想に集中を研ぎ澄ませているのか、誰も汚らしいアハトのことなど眼中にはなかった。


 側から見ていると、料理人たちの行動はおかしかった。


 生の食材に齧りつき、味見をしていた。

 今度は小さな炎を手のひらの上で発生させ、軽くあぶって一口。

 次に謎の白い粉や黒い液体をかけてかぶりつく。

 ああでもない、こうでもないと頭を抱えながら、一つに食材に対して色々な角度からアプローチを仕掛けている。


 既にごちゃ混ぜになった残飯を食すことに慣れたアハトにとって、その光景はとても新鮮だった。

 クロスが敷かれ、食材を乗っけたテーブルの下に身を隠せるほどのスペースを見つけると、そこに身を潜めた。

 隙を見ては食材を少しずつ盗み、寒い時期に巣穴に食糧を溜め込む魔法生物モンスターのように、それらを食べた。


 料理人の真似事をしたくなって、色々な味の組み合わせを試した。

 すると新しい味の発見に心が躍り、沢山の味を試してみたくなった。

 一口齧っては、次の食材を齧る。

 どれも奴隷のアハトにとっては馴染みのない味ばかりだった。


 夢中になって食材に齧りついていると、クロス越しに飛び交う怒声が聞こえた。

 女が二人、何か言い争いをしているらしい。

 今までの喧騒が嘘のように、恐ろしいほど静まり返る食糧庫パントリー


 この時、目には見えない膨大な魔力の奔流が食糧庫パントリーを支配しており、料理人たちはまるでドラゴンに睨まれた粘性体スライムのようにその場から動けずにいたのだ。


 しかし、魔力そのものを感じる器官のないアハトにとっては痛くも痒くもなかった。

 アハトはチャンスだと思い、大胆に食材集めに奔走した。


 その中の一つに、圧倒的な存在感を放つ食材が紛れていた。


 瓶詰された真っ赤な液体。

 誘われるように、アハトはそれを舐める。


 すると、すぐさま体に異変を感じた。

 灼熱の炎に包まれたように体が熱く滾り、まるで喉を焼き焦がしたかのように、声が出てこない。

 ジタバタと悶え、死神の足音が聞こえるように血管がドクンドクンと力強く脈打つ。


 だんだんと、視界が狭まっていく。

 アハトの意識はそこで途絶えた。

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