第29話 無自覚な

「──陣! 独唱交響曲!」


 つばぜり合いとなったふたつの右拳がきしむ。

これ以上続けるのは危険だと互いに察しながらも、意地が勝って互いに退こうとしない。

歯を食いしばり、少しでも前に出ようとするふたりの表情は獲物を前にした野獣のように乱暴な笑みを浮かべていて、テントの隙間から覗いていたオリヴィアに深いため息を吐かせていた。


「ぬああああっ!」


 圧し勝ったのはライカ。拳を振り抜いた勢いそのままにからだを捻り、浴びせ蹴りに移行する。

 圧し負けたシーナは痛む右拳をひとまず無視して迫り来るライカの左足に意識を集中する。さっきの独唱交響曲で集めた精霊たちはまだ近くに、術を発動してもらうのに十分な数がいる。


「──刃!」

 

 しかし射出はせず、文字通りの刃として左手に握り、ライカの太ももを切りつける。


「んがっ?!」


 痛みよりも驚きの悲鳴をあげつつもライカは蹴りを振り抜く。切られたことで勢いは当初の半分にも達していないが、視界を塞ぐことだけはできた。


「──雷!」


 ライカが放った雷はシーナのすぐ背後。しまった、と顔を青ざめさせたのはシーナだった。

 

「うらぁっ!」


 ライカがなにかしらの術を発動しようとしていることはシーナも勘づいていた。それでも自分を狙ってくるのだと防御用の術を展開しかけていたところへ、フェイントと退路の途絶両方を狙った「雷」により全ての準備が無駄となり、シーナは浴びせ蹴りをまともに食らってしまう。


「くぅっ!」


 威力が落ちていたことは不幸中の幸いだった。

 それでも間に合わなかった防御は端正な鼻を潰し、蹴りの勢いはシーナをリングに叩き付けた。


「くあっ!」


 バウンドし、それでもまだ握っていた「刃」でライカの背中を切りつける。手応え。怯んだおかげで追撃は来なかった。互いに息を整えつつ「療」を展開。先に動いたのはシーナだった。

 立ち上がり、両手を掲げる。


「──巻!」


 本来なら相手の足下に竜巻を作り出すその術を、シーナは掲げた両手の間に収まらないほどの巨大な球形にして発動。圧縮されていく空気の固まりに無尽蔵に細かな刃が生まれ、気流に乗って激しく移動している。

 そこまでをライカが起き上がるまでの数瞬で行い、


「せえっ!」


 起き上がるのと同時に投げつける。

 命中するとは思っていない。

 目的はライカを動かすこと。

 固まりの竜巻がリングに命中する。ライカの居場所は精霊たちが教えてくれる。右。リングに命中し、ガリガリと表面を削る球状の竜巻の一部をほどき、ヘビのようにしならせながらライカを追わせる。


「うおおっ?!」


 驚きに満ちたライカの声を頼りにシーナは「刃」を飛ばす。それを突っ切ってライカが迫ってくる。いまだ!


「──バク!」


 球状の竜巻を一気に解き、無数のヘビへと変えてライカの背後から襲わせる。


「っと、器用だな!」


 蹴りの間合いに入るや否やライカはリングを蹴って上空へ。無数のヘビを追撃に向かわせつつシーナはリングの端ぎりぎりまでバックステップで下がる。ライカが太陽を背負った。術に発展させない程度に精霊たちを踊らせ、遮光する。見えた。


「おおおおおっ!」


 拳を振りかぶりながらライカが迫る。その背後を追って無数の細い竜巻が群がる。ライカの攻撃を避け続け、疲労で動きが鈍ったところを狙うのは、時間が掛かるがいまの自分にならできる。


「でも、そんなことはしたくない」


 ぐっと腰を落とし、腹の横で両拳に力を溜め、精霊たちを踊らせる。たぶん、ライカもそのつもりだ。遮光を頼んでいた精霊たちも拳に集める。そしていま互いが拳の間合いに、入った!


「はああああああっ!」

「うりゃああああっ!」


 乱打。

 ありったけの力を振り絞って、どこを狙うのかもよく考えずにただただ拳を振るう。ライカの背中に無数の竜巻が食らいつく。それでもライカは乱暴な笑みのまま、拳を振るい続ける。その弾幕に圧され、シーナの足下のリングに亀裂が入る。

 シーナは決定的な作戦ミスをしたことを思い知る。

 ライカの動きをしっかりと把握するためにリングギリギリまで下がったが、いざこうやって乱打戦に移行してしまうと自分が圧倒的に不利なのだと。


「くっ!」


 まずい、圧し負ける。

 なにか術を使って流れを変えなければ。

 シーナの意識が、ほんの一瞬拳から離れた。

 ライカにすればその一瞬でじゅうぶんだった。

 乱打をぴたりと止め、え、と戸惑い、空を打つシーナの右手首を掴む。


「せえのっ!」


 一本釣りされる魚の気分だった。

 シーナの足が天を指す。なにか反撃しなければ、という思念は、


「うらあっ!」


 雄叫びと共にライカはシーナのからだをぶん回し、反撃の意思と平衡感覚を奪う。

 

「や、ちょ、ちょっとぉ!」


 シーナの悲鳴もライカの耳には届かない。たっぷりの回転を加え、すっかり目を回したシーナの背中を、リングへ容赦なく叩き付けた。


「がはっ!」


 肺の空気が全部押し出され、破片が飛び散って落ちるさまをシーナはどこか他人事のように感じていた。


『そこまで! 勝者、ライカ・アムトロン!』


 クレアの宣言に、会場が歓声に包まれる。


「立てるか?」


 ぬっと差し出された右手を、シーナはゆっくりと掴んで立ち上がる。


「ありがとう。たぶん、楽しかったと思う」

「なんだよそりゃ」


 苦笑するライカの背中をぽん、と叩く。


「応援してるよ」

「お、おう。ありがとうな」


 うん、と返してシーナはリングを降りる。

 視線は無意識にテントに、いや、オリヴィアを探していた。


「……お疲れ。へんなことに巻き込んでごめん」


 布の隙間から顔だけを出して申し訳なさそうに言うものだから、シーナはふふ、と笑みを零す。


「言っただろ。力試しだって」

「じゃあ。そういうことだから」


 言い残してするりと顔をテントに引っ込めてしまう。

 自分とオリヴィアの距離感は、もうこれ以上縮まらないのだと、直覚した。

 なぜそんなことを感じてしまうのかも、わからないまま。

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