第111話 真実

 標高が上がっていくにつれ、視界には霧が立ち込めていく。服の中に籠る湿気や辺りで轟き始める落雷にクリスは耳を澄ました。閃光と共に次々と雷が現れ、さながら上空から無数の爆弾を投げ込まれているかのような頻度で、連続して音が響き続ける。かと思えば突風が吹き荒れて、思わず仰け反ってしまうせいで必死に踏ん張る羽目に陥ってしまう。


「もう三日経ったのか…」


 時計を見たクリスは呟いた。出発した際の時刻と照らし合わせて、定期的に確認を行った事でどの程度の時間をこの山で過ごしているかが分かった。悠長にしている暇はない。睡眠などもってのほかであった。


「… !」


 直後、霧の中から何かが自分に飛び掛かって来た。これまでは空想上の生物としか思っていなかった幻の霊長類、イエティである。その大柄な体躯でクリスを押し倒し、猿に似たはしゃぎ方をしながら牙を剥く。片腕をどうにか振りほどいたクリスは、そのままイエティの片目に指を突き刺した。大きく怯んだ体を押しのけて銃撃を浴びせ、これを退けたものの既に他の個体たちに取り囲まれていた。


「クソ、弾がもう…」


 これ以前にも絶滅したと思われるサンダーバードの襲撃なども幾度となく行われていた事から、既になけなしの物資は底を尽きかけていた。悪態をつきながらファイティングポーズを取ると、その意味を理解していたのかイエティの群れが一斉に襲い掛かって来る。当然、全てを皆殺しにした。


「ハァ…ハァ…」


 血みどろになりながらも、クリスは無数の亡骸をどけてから先へ進んでいく。寒さが体を突き抜けるようになり、やがて足元には純白の雪が積もっていた。すっかり固くなってしまっている雪に足を埋めていきながら、おぼつかない足取りで進んでいる内にクリスは霧が晴れている事に気づく。灰色の空が露になり、霧の代わりとでもいうかの如く吹雪が視界を遮ろうと顔へ叩きつけられていた。


 ヴァーシとの戦いの際に旧市街で味わった吹雪とは比べ物にならない寒波である。防護用装甲が無いとはいえ、その差は歴然だった。やがて体が思うように言う事を聞かず、感覚が麻痺していく。そんなボロボロな状態でありながら、体は再生し続けていた。動くたびに苛まれる痛みや熱さによって凍傷が体を蝕んでいる事をクリスは悟る。再生と破壊が繰り返される体は気が付けば雪の上で這いつくばっており、醜悪な芋虫の様な動きで体を前へ進める。


 もうここまで来たのなら行く所まで行ってやる。当初の決意とは違う開き直った様な山脈への対抗心が彼を動かし続けていたその時、おぼろげな姿でありながら遠くに何か人工的に作られたと思われる物体が見えた。


「あれは… ?」


 その場所へ近づくにつれて、積雪の深さは浅くなっていく。遂にはボロボロではあるが、一定の間隔で敷き詰められている石が雪の中から姿を現す。クリスは先へと続いているその光景から、ここが遥か昔に整備された道である事に勘付いた。魔術師の祖先たちか…或いはそれを上回る何かによって作られたのだろうかと、余裕が出て来た思考の中で考える。


 そのまま這いずり、階段状に積み上げられた石の斜面を登っていく。その果てに待っていたのは、端正に整えられた円形の足場だった。五つの柱が一定の間隔で立っており、さながら掌のようにも感じられる。目の前を見渡しても何も無い。夜になっているのか、暗闇が広がっていた。


「なるほど…確かに、”手”だな」


 体の再生を終わらせたクリスは、膝を突いてからそう言って安堵した。だが何も起きる事は無い。ここに来て虚無感が押し寄せ、無駄なあがきに貴重な時間を費やしてしまったのかとクリスはようやく後悔した。


「分かってたさ…でもよお…」


 下を向いて呟き、投げやりになりそうな自分の心を吐露しかけた瞬間、クリスは違和感に気づいた。背後から差し込む明るさと目の前の暗闇に覆われている景色が一致していないのである。


「…え ?」


 慌てて振り返ってみれば、後ろでは灰色の空模様が広がっている。そのままゆっくりと前を向く過程で、クリスは足場にそびえる五本の柱の内、端っこにある柱の辺りから夜の様な暗さに包まれている事に気づいた。まるで光が何かに遮られているかのようだった。


 何か妙な雰囲気があるのをクリスは感じた。その場に自分以外の誰かがいるような気がしてならなかったのである。まさかと思ったクリスが上空を見上げた瞬間、その不可解な景色の正体を彼は知ってしまった。


「………!!!」


 無数の巨大な目がこちらを見据えていた。日が差し込まず、辺りに立ち込める靄によって全貌は分からないが四つの巨大な何かが柱の間に立ち塞がっていた。覗き込むようにして真上に近い位置から自分を見つめる目は、自分が戦ったあの化け物と同じ禍々しさと底知れない不気味さを持っていた。


「…いつ訪れるかと…我らは待ちくたびれていたぞ」


 どこからか声が聞こえた。こちらを見ていた目のうちの二つが近づいて来る。どうやら闇に覆われているらしく、姿さえ分からないが顔だと思われる部分がクリスの眼前に近づいていたらしい。


「どういう事なんだ…」

「貴様の目的は既に承知…我らに助力を仰ぎたいのだろう……残念だが叶えられぬ望みだ」


 全く理解が追い付かないクリスに巨大な影が囁いた。


「…あんた達が始祖の悪魔…なんだな ?…叶えられないってのは、助けられないって意味なのか… ?」


 動転しそうな気を必死に鎮めたクリスは、改めて確認してみようと彼らの素性と先程の発言の意図を聞き出そうとする。


「左様…」

「ふざけてんのか…何が起きているのか知っているだろう…!?お前らが殺し損ねた悪魔のせいで、全て滅茶苦茶なんだよ…!!」


 クリスの質問に対して、彼らはその通りであると告げた。自分達で原因を作っておきながら何もしない彼らの怠慢さにクリスは腹を立て、消耗した体に鞭打って大声で非難する。心なしか、自分にも突き刺さるような言葉だった。


「…だから何だというのだ ?」

「は ?」

「我々が必要としているのは…糧となる生命を生み出し続けてくれる世界…滅びるのであれば再び創るまで…守る道理などない」


 暫くして彼らから返って来たのは、あまりにも無慈悲な宣告だった。


「何だと… ?魔術師や世界が滅べば、お前らの力だって弱まってしまうだろ… !ネロはそれを狙って――」

「あり得ぬ…下らん虚言に振り回されるとは笑止千万…そんな事で弱まる程度の存在であれば、我らは今日まで生きてはいない…おおよそ…貴様を迎え入れるための方便であろう」


 このままではお前達にも危険が及ぶとクリスは力説するが、これも他の悪魔からの返答で容易にねじ伏せられた。


「…しかし我々とて、この世界を見捨てているわけではない…だからこそ、貴様という存在を造り上げたのだ」


 どうすれば良いんだとクリスが落ち込んでいた時だった。始祖の悪魔の内の一体が、あっさりと衝撃的な事実を口にする。クリスは思わず彼らを見上げた。


「待てよ…造り上げた… 俺をか…?」

「…貴様がここへ来る事も、全てが因果の中…時間の差異はあれど、決まっていた運命…」

「永遠に世界を監視する役目を担う存在…それが貴様だ…」


 クリスが震える声で聞くと、悪魔達は誕生の経緯を語り出す。よりにもよって最悪な形で、クリスは真実へと辿り着いてしまったのである。


「不死身の体ってのはまさか、そのための――」

「不死身か…似て非なる物だ…貴様の体が傷つく度に…世界のどこかからその代替となる肉体の部位を、闇によって引き寄せ…はめ込んでいるに過ぎん」

「貴様の体は…世界中の犠牲の上に成り立っているのだ…そして、これからもそうであり続ける…」


 自身の体が宿す不死身の謎について言及した時、再び悪魔たちによって仕組みが語られる。視覚に現れないだけであり、自分の体はツギハギだらけの歪な姿である事をクリスは知らされた。呪いなどといった物ですらない、最初からそのような生物として生み出されていたに過ぎなかったのである。


「ハハ……何も出来ないまま…世界がぶっ壊れるのを見てろと…お前らはそう言いたいわけか…ここまで来て手に入ったのは…クソの役にも立たない生い立ちの情報だったとはな…ハハハ……」


 もう間に合わない段階であるという事や無駄足だった事が重なり、クリスは諦めた様に笑い出した。生きる意味も家族もいない空っぽな存在である事を知り、どうにでもなってしまえという投げやりな考えで何もかもが埋め尽くされていく。


「…話は終わっておらん…貴様の運命は…永遠に世界の安寧を保ち続ける事にある…方法を…知りたければ教えてやろう…」


 一体の悪魔が再び語り掛けて来る。その言葉を耳にしたクリスは笑うのを止めた。


「…あるのか ?」

「我らと契りを交わせ…悪魔の細胞を媒介にし、我らの力の一部を引き出すだけの魔術師とは違う…直接、その身に我らの魔力を宿すのだ…貴様の体ならば耐えられるだろう…」

「だが忘れるな…契りを交わしたが最後…貴様は監視する者として永遠に戦いを続ける事となる…」


 クリスが尋ねると、悪魔はそう告げた。悪魔の力を自分に宿す事で、状況を打破できるかもしれないという希望が見えたと同時に、そこから先に待つ自分の未来に明確な不安を感じてしまう。


「…力を手に入れてから、俺が裏切るとは考えないのか ?」

「言っただろう…決められた運命なのだ…事実、今の貴様には出来まい…」


 一抹の疑問に対して悪魔が答えると、クリスは迷い始めた。力と引き換えに休息を失うか、拒否でもして逃げてしまうか。しかし自分が逃げてしまえば全員が死ぬ。最早、猶予も選択肢も無かった。


「やってくれ」

「…確かに聞いたぞ…よかろう…力を宿し、世界の守護者となるがいい… !」


 意を決し、クリスは力を欲した。この状況をどうにかしたい、せめて今の自分に残っている物を守りたいという一心での決断だった。聞き届けた悪魔達は直後、数本の触手をクリスに突き刺す。激痛が全身に走り、内側から体が引き裂かれる様な感覚に見舞われたクリスは悲鳴を上げた。

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