第96話 背負うもの

 そんな束の間の蜜月は、突然に終わりを告げた。ある日の事、子供たちが集団で出掛けてはしばらく帰って来ないという不可思議な事態が頻繁に村で発生するようになり、怪しく思った人々はクリスに捜査を依頼した。彼らが人目につかない内に出かけたのを見計らい、クリスが後を追いかけていくと子供達…だった何かは人目につかない渓谷まで辿り着くとその正体を現した。


 ドッペルゲンガー。ジェル状の肉体を変形させて獲物を捕食し、その姿や簡単な特性を真似する魔物である。これを利用した擬態によって縄張りや群れに入り込み、食欲の向くままに全てを食い殺していくという狡猾な生物によって、子供達が殺害された事をクリスはこの時に悟った。さらに彼らのおぼつかない会話から、続々と仲間達を呼び寄せて村一つをまるごと食い殺すつもりであるという計画も耳にしてしまう。


 時折発生していた集団失踪の原因がドッペルゲンガーによるものではないかという一説も存在しており、このままでは村が危ないと判断したクリスは彼らの前へ躍り出る。突然現れたクリスの姿にたじろいだドッペルゲンガー達は、咄嗟に擬態をしてから攻撃を免れようとしたが後の祭りであった。間もなくその場にいた全ての個体がクリスによって始末され、話はそこで終わる筈だった。しかし不運が彼を襲う。


 付近に訪れていた狩人がその一部始終を目撃してしまったのである。そして間が悪い事に、彼が見た光景は「命乞いをする子供を無慈悲に魔法で殺害していくクリスの姿」であった。無愛想ではあるが、根は優しい人だと信じ込んでいた村の狩人にとっては彼のひた隠しにしていた本性を見せつけられたも同然であった。


 付近に気配を感じたクリスが見回した頃には、狩人は死に物狂いで村へと逃げ帰っていた。帰還した後に責め立ててくる村人へ必死に自身の正当性を主張するクリスだったが、証拠となり得る死体もなく、目撃者がいるという状況においては悪手以外の何物でも無かった。責め立てる村人の中にはルーシーもいたが、自分を見る彼女の目があまりにも侮蔑や失望、殺意に満ち溢れていたものだったことをクリスは今でも鮮明に覚えていた。


「なぜ…殺したの…!?」


 彼女の言葉を皮切りに村人たちは武器や石を持って自分へ迫る。襲い掛かろうとしないのは返り討ちにされる危険性を知っていたからであろう。


「違うんだ…あいつらは…ドッペルゲンガーだった」


 ドッペルゲンガーであり、村の子供たちは既に毒牙に掛かっていた。このままでは他の者達も狙われてしまうと思って先手を打った。クリスはそのように伝えようとするが、証拠も無いのに信じられる筈が無いと村人たちは口々に彼を罵る。


「どうせ私達じゃ殺せないのは知ってる… !だから…出て行って!!そして…二度と戻って来ないで… !」

「誤解だ !嘘じゃない…本当なんだ !ドッペルゲンガー達が擬態をしていたんだよ!!何で誰も信じてくれない… !」


 ルーシーに対して懇願する彼の必死な姿に疑問を覚えた村長の口添えもあって、夕刻までに無実を証明すれば今日の事は不問にするという約束を結び、クリスは一目散にドッペルゲンガー達がいた渓谷へ戻って行く。藁にもすがる思いであちこちを這いずり回る様に探し、証拠になりそうな白骨死体の数々を発見したのは今にも日が沈みそうな頃であった。


 ようやく見つけた手掛かりと共に村へ戻ったクリスだったが、彼を見た村人たちは驚いていた。それは好意や敵意といった意味合いではなく、ある種の憐れみに近いものである。小柄な白骨達を並べて自分の無実を確認させたクリスは、ルーシーと話がしたいと村人たちに告げる。しかし、彼らはなぜかそれを止めようとしていた。


 その様子に何かを察していたクリスだったが、受け止めきれない動転した気分を抱えたまま走り出し、彼女の家へと向かう。そこで彼が見たのは天井に吊るした縄へと首をかけ、宙づりになったまま虚ろな目をしている彼女の姿であった。教え子であった子供たちを失った事による喪失感と虚無感、親密な中であったクリスによってそれが成されたという裏切りのような絶望感が彼女を自殺へと追い詰めたのである。


「…嘘だ…そんな…!!」


 膝から崩れ落ちたクリスは呟き、打ちひしがれながら冷たくなった彼女の亡骸の前で叫んでいた。


 クリスが村を出ていこうとしたのは、その日の真夜中であった。今にしてみれば償いや禊をするという選択肢もあったのかもしれない。しかし当時のクリスは未熟であった。「自分が悪いわけじゃない」と言い聞かせながら村を出ていった彼は、再び一人になったのを肌寒い夜風で感じながら、後ろ髪を引かれる思いで当てのない孤独な旅を続ける日々を繰り返すようになっていた。


 そんな中でも彼は鎖に縛られていた。戦いの場で子供と対峙するたびにこの事件の記憶が蘇ってしまい、「子供を殺してしまう事によって何か取り返しのつかない事態になってしまうのではないか」という躊躇いが生じるようになる。やがてそれは強迫観念として確立され、この事件以降に彼が子供を殺す事はどんな状況であろうと一度も無かった。




 ――――墓の前で過去の悪夢や幻影に苛まれながら、クリスはただひたすらに墓を見つめ、時折愛おしそうに撫でる。もう自分を許してくれる相手もいない。仮にいたとしても自分の下したあの判断を許してくれるわけがないだろうと諦めていた。当事者たちと話す度胸も無く、これだけの時間を空けなければ訪れる気にもならなかった自分の臆病さをクリスは情けなく思い、積もっている雪を眺めながらため息をつく。


「…どうすれば良いんだろうな」


 ふと率直に思っていた事をクリスはボソッと口に出した。かつての記憶を恐れるあまりにミスを犯し、こうして違う立場で戦いに身を置くようになってしまった自分に対する困惑である。だが、自分が他の者達とは明らかに異質である事はとっくに勘付いていた。復讐心、国を守る兵士としての正義感…そのどれもが自分に欠けていた。気まぐれに彷徨い、目に付いたものを壊すだけの人生を終わらせたかった。しかし、すぐに今更過ぎる悩みだと一蹴してしまう。


「あ、こんな所にいたんだ !」 


 突然聞こえた女性の声に体を一瞬硬直させ、急いで振り返った先には墓地の入り口である門をくぐったメリッサが歩いて来ていた。


「少し遅いって思ったから、あちこち聞きまわってたら墓地の場所を知りたがっている騎士団の男の人がいるって聞いてさ…知り合いの墓 ?」


 雰囲気を読もうともせずに来るのが遅いと言いながら、メリッサはクリスに話しかけた。


「…いや、まあな…もう済んだ。行こう」


 そう言ってからクリスはそそくさと立ち上がり、先程まで項垂れていた墓の前を歩き去って行く。急すぎる彼の行動の切り替えに唖然としたまま固まっていたメリッサだったが、一度だけ墓に目をやってから彼に追い付こうと駆け出して行った。

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