第82話 罠

 彼らが目的地にしていた場所へ辿り着いたのは、それから二日後であった。ナクロス山脈と呼ばれるその山々は、古くからこの世とあの世を繋ぐ境目と例えられ、多くの創作や童話の題材にされて来た地である。


 その麓にある密林の中をクリス達は歩き続けていた。非常に湿気が多いせいか、服の下が汗によって気持ち悪い感触を作り上げたが、それさえも堪えて目的地である守り人達の拠点を目指す。しばしば沼地を歩く羽目になったがその都度、蛭や蚊に襲われ痛い目に遭っていた。


「うわっ…どうやって潜り込んだんだ!?」


 丁度いい開けた場所で休憩を取っていた時、ジョージが外套やらシャツを脱ぎ捨てながら叫んだ。見れば脇腹や腕といった箇所を巨大な蛭に噛みつかれており、ポツポツと血が滴っている。


「クリス、煙草か何かないか ?」

「いや、悪いな」

「うむ…かといって無理に取るわけにもいかんな」


 煙草が効能を当てにしていたレグルが尋ねてみるも、クリスは持ち合わせていない事を伝えた。


「仕方ない。ジョージ、絶対に暴れるんじゃないぞ」


 レグルはそう言ってから持ち合わせていたライターを点火して慎重に蛭へと近づける。ジョージが火の熱に耐えていると、蛭が先に音を上げて体から離れていった。


「応急処置をして傷口をちゃんと塞いでおけ」

「わ…分かりました」


 ひとまずどうにかなったと安心した事で、一同は気が緩み始めていた。


「ちょっと、用を足してこようかな」

「おう。のんびりして来い」


 先程からソワソワしていたグレッグが尿意を催してから立ち上がると、そのままどこか人目につかなそうな木陰へと向かい始める。クリスも咎めることなく彼を見送った。


 しばらくの間、腰ほどの高さにまで生い茂った雑草や木から垂れているツタを掻き分けていると、尿を引っ掛けるのに丁度良さそうな岩を見つけた。グレッグはズボンのジッパーを降ろし、イチモツを構えてから溜め込んでいたものを一気に放出する。この時だけは、大人しめの青年であろうと豪快な気分になれる数少ない瞬間であった。


「ふう…我慢しててよかった。なんせ駅のトイレ汚かったからな…」


 ようやく用が済んで、戻る準備をしながらグレッグが呟いていた時であった。背後で草が踏みつけられる音を彼は耳にする。音の大きさやその足音の間隔からして決して体格は大きくない。グレッグは腰に備えていた散弾銃を片手で握りしめ、覚悟を決めてから振り返った。


「って、あれ ?」

「……ギ ?」


 そこには、とぼけたような鳴き声を上げて首を傾げるゴブリンがいた。ラピメンド種と呼ばれる大人しい上に人懐っこい事で有名な種であり、広く分布しているだけでなく近年ではその知能の高さなどから、ペットとしての需要も徐々に増えつつある。警戒心が無いのか、つぶらな目でグレッグの構える得物に興味を示していた。


「…なんだ、びっくりした」


 グレッグが銃を降ろすと、ゴブリンは彼を敵ではないと判断したらしく細身の体でヨチヨチと近づいて来る。肉や木の実を主食としている事を知っていたグレッグは、ポーチに忍ばせていた干し肉を取り出してゴブリンの前にチラつかせた。はじめは警戒していたゴブリンだったが、肉からの香りや敵意の無さそうなグレッグの笑みに懐柔されて肉をもぎ取るとそれに齧りつく。


「ガ… !ギャギャ!ギャ !」


 どうやら味に感激しているらしく、肉を握りしめて鳴き声を上げながら軽快に跳ね回った。グレッグもその愛らしい姿に思わずほのぼのとしていたが、背後の気に巻き付いてた無数の蔓が突然動き出し、自分の方へ忍び寄っている事になど気づきもしていなかった。




 ――――その頃、レグルは自分の過去にあった笑い話をジョージに語っていた。


「だからよ、俺は言ってやったのさ…『次はこのユニコーンの角を、てめえのケツの穴にぶち込んでやる』ってよ。するとその野郎は『何でもするから許してくれえ~』なんて情けない声で泣き出したんだぜ !」

「それでどうしたんです ?」

「『何でもするか…じゃあ遠慮なく』って事で…マジで野郎の穴にぶっ刺してやったのよ !」

「ハハハハ !」

「ハハハハハ !」


 彼らはすっかり打ち解けていた。


「…グレッグ、少し遅いですね」

「糞でもしてるんだろ。まだ昼にもなって無いんだ…気長に待とう」


 心配そうにアンディは彼の帰りが遅い事に言及したが、クリスは酷く楽観的に答えながら拳銃を弄ったりして暇を潰していた。


「念のため見てきますよ」


 それでも気になって仕方ないのか、アンディは腰を上げてグレッグの向かった茂みの方を向いた。


「アンディ、僕も――」

「ダメですよジョージ。下手に動いて傷口から感染でもしたら大変です…私の事はどうかご心配なく」


 自分の恩師の件とあってか、ジョージも加勢しようとするがアンディは彼を止めて傷の事が心配だと諭した。その優し気な語り口調と、母性を感じる微笑みを見たレグルとジョージは、これで女性だったら文句のつけようも無かったのにとさえ思ってしまった。


「いや、待て…何か近くにいる」


 すぐさまクリスが全員を呼び止め、辺りに気を配りながら拳銃を構えた。一同がすぐさま警戒態勢に入った事で、和気藹々としたムードは鳴りを潜めて静寂に包まれる。直後、クリスは近くの高い場所にある木の枝へ一発だけ銃弾を放った。無数の枝がまとめて折れる音が聞こえ、何か大きな影が地面へ落下した。


「いてて…」


 立ち上がったのは灰色の胴着に身を包み、顔に特徴的な入れ墨をしている魔術師であった。起き上がった直後、目の前へ瞬間移動しているクリスに気づいた頃には胸倉を掴まれて頭突きをかまされてしまった。


 怯んで抵抗できない魔術師を仲間達のもとへ連れ帰ったクリスは、首を絞めながら彼のこめかみに銃口を突き付ける。その様子を見たレグルは一度だけクリスを見て頷くと、両手を上げて大声で喋り出した。


「私の名はレグル・モーフィアス !ホワイトレイヴンの者だ !手荒な真似をしたことについては申し訳ない !話に応じてくれるというのなら彼は解放する !約束しよう !」


  レグルの提案から間もなく、付近の木々から同じような胴着に身を包んだ魔術師達が腕に巻き付かせた蔓などを使って地面に降り立つ。ざっと数えただけでも十人以上はいた。


「穏健派がここへ何の用だ ?おまけに…エイジス騎士団まで連れて」


 隊長らしき魔術師が近づきながら強気に尋ねて来る。女性の声だった。


「守り人達の拠点へ行きたい。案内してもらえないか ?」


 クリスが話に割って入った時、一人の魔術師が女性の元へ近づいてクリスを見ながら耳打ちをした。話を聞き終わった女性は驚いたような表情でクリスに視線を送る。


「…無礼は承知の上だが、名前は ?」

「ガーランド…クリス・ガーランド」

「嘘だと思うかもしれんが、本物だ…”ホグドラムの怪物”だよ」


 クリスの自己紹介と、レグルの付け加えによってどよめきが辺りに巻き起こった。女性は顔を隠していたフードとマスクを取り外し、目の下にある模様が特徴的なその顔を露にする。どこか無骨な雰囲気があるが、幼さの残る端正な顔付きであった。


「すぐにでもお連れしましょう。こちらです」


 僅かに軟化させた態度で彼女は言いながら、部下達に護衛をするよう命令した後にそそくさと歩き出す。当然クリス達も後に続いて行った。

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