第78話 ハロー&グッバイ

 ギャッツの元へと辿り着いたアンディは、倒れている彼へ包み込むように腕を回してから上半身を抱きかかえた。


「…すまない。私は――」

「言わなくても結構です。こうして手を貸さなければ上半身すら起こせなくなっているあなたと…それを見下ろしている彼。結果は一目瞭然でしょう」


 ギャッツを遮ってアンディは見れば分かると彼に伝える。怒りや失望といった彼への落胆を感じるような物言いではなく、喧嘩に負けてしまった子供を慰めるかのような慈愛に満ちたものだった。


「敵討ちでもするか ?」

「あなたとの戦いは彼が望んだ事…結果がどう転んだにせよ、私があなたを恨む道理はありません。それに…殺して無い辺り、あなたも情けを掛けてくれたのでしょう ?」


 クリスが身構えそうになりながら問いかけたが、アンディは敵意を見せる事なく答えた。ギャッツはこの擁護をされている状況を気まずく思っているのか、こちらへ目を合わせようとはしない。クリスの方も小恥ずかしそうに舌打ちをしてから他所へと目をやっていた。本当はそこまでする余裕が無かったのだが。


「確かに負けてしまったのは残念ですが、決して恥じる事ではありません。十分にその強さを発揮してくれたと信じていますから。クリス・ガーランド…あなたもまた素晴らしい。兼ねてからその強さには一目置いてはいましたが…まさか倒せてしまうとは」


 ギャッツへ労いと共にアンディはクリスへの称賛も忘れずに述べる。心なしか、こちらへ刺さる視線が妙に色っぽかった。


「正直なことを言うと…愛人にしたい、もしくはされたいくらいです」

「お断りだ」


 告白じみた自分へのアプローチにクリスは嫌悪感を抱きながら返したが、ギャッツがこちらを睨んでいるのに気づくと、気まずそうに二人から背を向ける。背後からは「たった今、愛人候補は見つかったが出来る事ならあなたの傍にいたい」などと甘ったるい会話が聞こえ始めた。そのまま仲良くやっててほしいと内心では思っていたクリスだったが、ようやく本来の仕事を思い出してから二人へ向き直る。


「とりあえず続きは刑務所でやってくれ…ん ?」


 二人に抵抗の意思が無いか確認を行おうとした時だった。何かが近づいている気配をすぐにクリスは感じ取り、ギャッツ達へ近づこうとする足を止めてから周囲の警戒を始めようとする。しかし、直後に黒いもやが濁流のような勢いで三人の周りを囲い始めた。


 間違いなく奴だ。クリスが直感で悟った瞬間に黒い濁流の中から何かが飛来し、猛烈な勢いで何かが肩に突き刺さる。それは非常に鋭利に研がれた極太の氷柱つららであった。勢いのあまり奥の壁に激突したクリスだったが、立ち直ろうとする間もなく岩の破片が体のあちこちに連続で刺さる。古城のどこかにある素材を利用したらしい。


「久しぶり」


 背後からそんな声が聞こえたかと思うと、うつ伏せになっていたクリスの背中へ槍を深々と突き刺した。槍の切っ先は床にまで深く食い込み、容易く引っこ抜けそうにない。


「近くに飾られてた鎧が洒落たものを持ってたから…利用させてもらったよ。勝てないわけじゃないが、動かれると面倒だから…な」

「…ネロ !」


 ヘラヘラとした笑みを浮かべながら、刺さった槍をもう一度だけ深く沈めてネロは言った。クリスは驚きやら突然の仕打ちに対しての殺意が混ざった形相で彼を睨みつける。そんな彼への追撃として、ネロは火の魔法による拘束まで行った。


「なぜあなたがここに ?」


 アンディも突然の来訪に困惑していた一方で、タダならぬ雰囲気を感じ取ったのか服の裾から取り出した暗器でコッソリと手のひらを傷つける。戦い方の都合上、いつでも血を出せる状態にしておく必要があった。


「いやあ…お礼だよ、お礼。こっちの方も色々と上手く行ってね…最後にありがとうの一つでも言っておくのが礼儀ってもんだろう…”捨て駒”達にねえ」


 クリスへ話しかけていた時とは別人のようにしおらしくなり、どこか見下したような態度でネロは真意を語った。明らかに侮蔑が込められている言葉に対して、アンディやギャッツも次第に顔が強張っていく。


「…捨て駒 ?」

「ああ。利益や誇り、信条なんてものを崇拝している連中ってのは、とにかく動かしやすくて助かる。適当な餌をチラつかせれば、尻尾振る以外に能が無い間抜けな飼い犬みたいにはしゃぎ…騒いでくれるんでな。君たちがそれだよ」


 若干怒りが湧き上がり始めているのか、アンディは震えながら尋ねた。ネロはそれに対し、扱いやすくて助かったとホッとしたような仕草で彼らへ語り始める。


「『そんなことをわざわざ告白して何の意味があるのか』なんて思っているだろう ?…小説や劇は好きかい ?自分で言うのも何だが、今の俺はそれらでいう所の悪役と同じ立ち位置なんだろう…悪役が姿を現すシチュエーションってのは、大体決まってるんだ。追い詰められて引くに引けないか、勝利を確信している時だよ…因みに俺は後者」


 その場にいた者達の考えを汲み取ったのか、ネロは無理やり話を続ける。


「まず、ガーランドに関しては生かしておいても問題ないと判断した…理由はいつか分かるだろうがね。」


 クリスを見ながらネロは宣言する。その意図は不明だが、自分にまつわる何かをしっているというのは態度からして明らかであった。


「そして君たち二人に関しては…この場で殺せる。警戒していたギャッツの方がこのザマじゃ尚更だ。普段の気色悪いイチャつきからして、間違いなく相思相愛であり蜜月…例えばこの古城ごとぶっ壊し、一人が逃げられない状況に陥りでもしたらどうする ?断言できる…見捨てる事なんてできない。念には念を入れて…自分の手で殺しておきたいがね」


 ネロは続けてギャッツとアンディを始末させてもらうと高らかに語る。脅しや凄みとは違う確定的な予告を言い渡されたアンディだったが、俯いたまま反応を見せる事は無かった。


「もう一つ…あなたが予期していないシナリオがあったとしたらどうします ?」

「…例えば ?」


 含みがあるアンディの発言にネロは顔をしかめる。優しくギャッツを床へ寝かせた次の瞬間、アンディは目にも止まらない程の勢いで駆け出した。掌から出血していた血液は、彼の意思に呼応すると重力や風圧に逆らって前腕の側部へ纏わりつく。まるで腕から生えて来たかと思わせるザクロのような色をした刃が形成されると、拳を握りしめてそれを振り抜いた。


「『俺が返り討ちに遭う』ってとこだな…発想としては悪くない。だが、実力差を見誤っている」


 アンディの拳が虚しく空を切ると、クリスと同じ瞬間移動で背後へ回り込んでいたネロは彼に肘打ちをかます。そしてすかさず首を鷲掴みにしてからそう言った。自分の方へアンディの顔を向かせると、息をしようと必死に藻掻く彼が自分の腕にしがみ付いている光景に思わずほくそ笑んだ。


「何だこの手は ?」


 呆れた様にネロは呟いた。魔法を使ってあちこちから岩の破片を集めると、厳つい岩石の鎧を空いている片方の腕に纏わせる。そして一度だけアンディを見た後に、彼の腹部をそれで殴りつけた。


「ごぼぁっ…おぇっ…」

「覚えているか知らないが、君は以前に『お相手したければいつでも』とか言っていたね」


 揺さぶられる腹の中と、首の締め付けによって涙目になりながら苦しむアンディへ、ネロは思い出した様に過去の発言を掘り返しながら尋ねる。


「というわけで、愛する人やお気に入りの男がいる目の前で今から楽しもうじゃあないか…四肢切断、全身火傷、串刺し、氷結…選ばせてあげよう、どれがいい ?」


 耳を彼の顔へ近づけながらネロは聞くが、当然答えなど返ってくるはずがない。藻掻き続けるアンディの必死な呼吸音を聞きながら、笑って距離を離した。


「ほう、欲張りさんだな。つまり全部ってわけ――」


 最初から決めていた答えを伝えようとした時、横から巨拳が彼の頬へめり込んだ。満身創痍で会った筈のギャッツによる不意打ちが炸裂したのである。


「ぶち殺してやるゴミカスが…!!」


 自分が利用されていたという事に対してなのか、それともアンディへ危害を加えたからなのかは分からなかった。しかしハッキリと言えるのは、極限の憤怒が彼の体に奇跡を起こしたという点である。ネロの意識が外れたのか、火の魔法による拘束が解けたクリスも立ち上がろうとしたが、槍が邪魔になって思うように動けない。しかし、間もなく近づいて来たギャッツが力ずくで引っこ抜いて投げ捨てた。


「ガーランド、手を貸せ… !」

「…『貸してください』だろ ?」


 誘って来るギャッツにクリスは立場が違うと物申したが、ひとまず利害は一致していた。アンディも咳き込みながら臨戦態勢に入り直し、背中から血液で形成したと思われる蜘蛛の足のような触手が蠢いている。ひとまずは戦力としてカウントしても良さそうだった。


「…三人がかりでならば或いは――」

「倒せると思ったか ?のぼせ上がるなドブネズミ風情が」


 ギャッツが言いかけた直後、至近距離でネロの声が聞こえた。気が付けば彼は懐に入り込み、黒い靄に包まれた腕がギャッツの胸を貫通している。


「え」

「何っ…!?」


 何が起きたか分からないアンディと想定していたものとは違う事態が発生した事に困惑を見せたクリスは、抱き合うようにして密着している二人へ顔を向ける。


「不意打ちとはいえ、俺の顔面を殴れるだけの力と度胸がある事は素直に讃えよう…ご褒美にとして、あんたに隠していた秘密を一つ教えてやる」


 そう言って腕を抜いた直後、再び瞬間移動で三人から距離を取ったネロは背を向けた状態から振り返る。


「たぶん俺は…あんたより年上だ」


 殴られた際に出来た痣や血だらけの顔が修復され、飛び出た目玉が元に戻っていくのを見せつけながらネロは満面の笑みで言った。


「ほら、返すよ」


 続けざまに血に濡れた腕に持っていた物を放り投げる。絞っていない雑巾のように水気のある音を立てながら床へ叩きつけられたそれは、一定の間隔で脈を打っている心臓だった。


「忙しい身でね…そろそろ失礼するよ。さようなら」


 手の上で小さな火球を呼び起こしてからネロは言った。直後にそれを三人に向けて放つと、黒い靄に包まれ即座に姿を消す。間もなく火球が猛烈な勢いで破裂し、古城全体に影響を及ぼす大きな爆発が発生した。




 崩れ行く建物の中でアンディは涙を流す。


「そんな…ギャッツ……ごめんなさい…私は… !」


 彼の上には背中が焼け焦げた状態のギャッツが抱きしめるように覆い被さっていた。爆発の直前にアンディを庇う様にして、炎を一身に受けた彼の意識は既に無くなっている。そんな中でアンディはひたすらに自分を責めた。最初の不意打ちが成功していれば、ネロの攻撃を予測出来ていれば…後の祭りではあったが、悔やまずにはいられなかった。


 崩れ行く古城の中、やがて走馬灯までもが脳裏を駆け巡り始める。初めて会った時の事だけではない。衣食住の保証をされた事、興味を持ったことがキッカケで裏社会における知識を学ばせてくれた事、武術や武器への対処法を組手を交えて教えてくれた事、過去の吸血鬼達の戦い方を知るために膨大な資料を集めてくれた事、「こんな事でしか恩返しが出来ない」と体を捧げようとした自分を慰めて本当に愛してくれた事。キリが無かった。


「…楽しかったなあ…でも…怖いや…なんか」


 全てを諦めた様に言ってから、アンディは震えながら静かに目を閉じる、そしてあちこちで響き渡る瓦礫の崩落音に耳を澄まして静かに最期を待とうとした。その時だった。自分の体を包んでいた圧が消え、何か強い力によって引っ張られるのを感じる。


「っし…行くか」


 目を開けるとクリスが自分を引っ張り、ギャッツの亡骸を担いで崩れ落ちそうな出口を必死に目指していた。間一髪で古城が崩落する寸前に庭へ脱出できたクリスは、遺体やアンディと共に地面へ身を投げ出す。


「なぜ…助けてくれたんですか…」


 寝そべっているクリスの隣で、同じように空を仰ぎながらアンディは言った。


「そいつの頼みを聞いてやった。それだけの事だ…『俺はどうなっても構わん。お前だけは見逃してやってほしい』…そんなことを言っていたよ、確か」


 理由を説明しながらクリスは体を起こして、土煙で埋め尽くされている空気を邪魔そうに手で払う。


「ほら、行けよ」

「へ… ?」

「騎士団には俺がここにいる事を伝えてある。応援だって来るだろう…だが、抱えている問題が山積みでな。間違いなく到着は遅れる…今なら誰か逃げ出しても『気が付かなった』で済む。標的は抑えられた…文句も出ないさ」


 こちらとは一切目を合わせずにクリスは見逃してやると遠回しに言った。目を丸くしながらアンディは彼を凝視してしまう。


「…勘違いするなよ。必死にお前を守ろうとしたコイツの覚悟に免じて…一回きりだ。次に会った時は刑務所にぶち込んでやる」


 言い訳がましく説明しながら、クリスは立ち上がって首や肩の具合を確かめ始める。それが照れくささを隠すための演技である事は、素人目にも明らかであった。仕事を遂行するだけならば、どう足掻いても死ぬ筈だった自分を見殺しにする事だって出来た。しかし彼はそれをせずに、敵であったギャッツの頼みを優先した。「この人は良い人なんだ」、そんな認識がアンディの脳内に記録され、よりクリスへの強い好感度へと繋がり始める。逃げるのは勿論だが、せめて彼へお礼がしたかった。


「不器用ですが…すいません」

「ん――」


 アンディの声に反応したクリスが振り向いた直後、いきなり目を塞がれた。そこから間髪入れずにアンディによってキスをされた事を、クリスは唇の感触ですぐに悟る。慌てて振りほどいた頃にはギャッツの遺体を残して彼の姿は消えていた。


「…あいつに顔向けできねえな」


 困り果てた様にクリスは呟き、頭を掻きながらギャッツの遺体を再び抱える。正直な所、女性だったら良かったのにという下心も確かにあった。




 ―――日が昇り、騎士団によって構成された騎馬隊が古城付近の草原へと到着していた。


「信じられない… !城が崩落しています…」


 双眼鏡で様子を見ていた兵士は、応援部隊を指揮していたデルシンに伝える。直後、兵士は血相を変えて再び報告を更新した。


「だ、誰かがこちらへ来ます !」


 兵士から双眼鏡を渡されたデルシンが覗き込んでみると、とてつもない身の丈の大男とそれを担いで歩いて来るクリスの姿があった。やがて疲弊しきった表情で部隊の元へ着くと、クリスはギャッツの遺体を地面に置く。


「コイツで合ってるか、マーシェに確認を取ってくれ。それと少し寝たい」

「色々聞きたい事もあるが…お手柄だぜ。全員、すぐに準備をしろ !」


 クリスが念のため調べるように頼むと、デルシンは古城を困惑した様に見てから彼を労った。クリスは一言だけ礼を述べてから近くにあった馬車へ乗り込むと、アンディの消息やネロの持つ未知数な力について思いを馳せる。やがて睡魔に襲われて深く眠りについてしまった彼は、馬車に揺られながら騎士団本部へと帰投していった。

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