第42話 代償

 気が付けば夜は明けていた。再び雨が降ったせいで出来上がったらしいぬかるみが、朝日に照らされて白く光を放っている。椅子代わりの空き箱に座って仮眠を取っていたクリスの肩を、ジョンは指で出来る限り優しくつついた。強い衝撃に少し警戒しながらクリスが目を開けると、付近から人の声も聞こえてくる。中々の大所帯らしかった。


「ヒト…キタ」


 遠くを眺めながらジョンが伝えると、クリスは立ち上がって首を鳴らし、深呼吸ついでに背伸びをする。目覚めとしては悪くないコンディションであった。


「クリス!」


 グレッグ達が手を振りながら近づいて来ると、念のために待っておくようクリスはジョンに釘を刺して外に出た。生暖かく湿気の籠った空気が鼻を通るたびに何とも言えない気持ち悪さを感じていると、グレッグが適当に走り書きをしたメモを渡してくる。


「これは ?」

「作戦だよ。彼は殺さずに騎士団が保護をする事にした。準備に取り掛かって彼をレングートまで運ぼう」


 グレッグに渡されたメモによれば、今回の判断に関する本部からの言い分が記されている。”バネ足ジャック”を始めとしたキメラや、その裏で動いている犯罪の情報収集における重要な証人(人と呼べるかは謎だが)という部分、民間人に被害が出ていないなどといった無害さ、そして生物としての学術的な価値などを考慮した結果との事だった。クリスはメモをしまって後ろを振り返ってみる。ジョンは自分の運命に不安を抱えているのか、恐る恐る坑道からこちらを覗き込んでいた。


「運ぶとしてどうする ? 馬が何頭いれば済むなんて問題じゃないだろ」

「駅までは歩きだけど、そこからは鉄道を使う。貨物車両の最後尾に彼を乗せるための車両を用意してもらうよう手筈を整えたんだ。僕達や兵士の仕事は騎士団本部に連れて行くまでの間、彼の警護をする…まあ、狙う奴らがいるとは思わないけど」


 方法はどうするのかと首を傾げていたクリスだったが、グレッグはすぐさま手順について大まかに語った。ひとまずはジョンをここから動かさなければならないという事は分かったが、クリスは彼の親について疑問を抱えていた。


「この村にジョンの親はいたんだろう ?…調べて見たか ?」

「私もそこが気になって事情を聴いてみようと思ってたの。だけど、急にいなくなってて」

「いなくなった?」


 なぜジョンがマーシェの元まで連れて行かれたのかという点について、クリスは親であれば何かしらの心当たりがあると思っていたせいか、メリッサの報告には困惑を隠せなかった。


「ジョンって子がこの村にいて、最近行方不明になったっていうのは他の住民に聞いたから間違いないわ。案の定、襲われかけたって言ってたあの女が母親だった。で、話を聞こうとしたら…家は既にもぬけの殻ってわけ」

「こんなタイミングで逃げるって事は、よっぽど言いたくない何かがあったらしいな…まあいい。ひとまずはアイツを連れて行こう」


 とりあえずは事情が分かった後にクリス達はジョンのもとへ近づいた。状況がイマイチ呑み込めていなさそうな仕草と共にこちらを見ている彼に、クリスはどう説明すれば良いのかと頭を悩ませてしまう。


「ドウシタノ?」

「その…だな。ジョン、今からお前は俺達と一緒に来てもらう」

「エ ?…デモ、ママ…ハ ?」


 想定通りの質問がクリスに返ってきたが、「君を置いて逃げ出してしまったよ」などとは言う気になれず、どうしようかと項垂れてしまう。


「辛いことを言うけど、あなたのお母さんが村から居なくなったの。行方を探さないといけないし、そのためにも協力をしてくれないかしら ?」

「お、おい」

「…下手に嘘をついて後で悲しませたい ?」


 メリッサから思いもよらない言葉が飛び出て来た。訂正した方が良いんじゃないかというクリスに対して、手厳しく言い返したメリッサはジョンの方を静かに見た。


「ママ…イナイノ ?」

「今は頑張って探してるところ。見つけたら必ず教えるって約束する…だから一緒に来てくれるかな ?」

「ウウ…ママア…ウウウウ…」


 メリッサがどうにかフォローを入れては見るが、ジョンは激しく落ち込んでべそをかく様に項垂れ始めてしまう。クリスは言わんこっちゃないと溜息をついて、俺に任せろと言わんばかりに彼に話しかけ始めた。


「…ジョン、母さんが恋しい気持ちも分かる。だが肝心のお前に何かあればそれこそ君の母さんは悲しい思いをするぞ。いつまでもここにいたら君も危ない。お母さんが見つかるまでは安全な所で暮らそう、な ?」

「…ウン」


 クリスの話を聞いた途端、泣きわめいていたジョンは萎れた様子で返事をした。


「随分と懐いてるみたいだけど…何をしたの ?」

「懐柔だよ。見た目はどうあれ、中身は子供だ…にしても、思っていたよりデカいんだな、お前…」


 不思議そうにするグレッグに対して、クリスは彼と一緒に過ごしていた事が原因だと考えてながら適当にあしらった。だが、直後に坑道から姿を現したジョンを見るや否や、改めてその巨体に唖然としてしまう。暗所にしゃがんだまま潜り込んでいた事もあってか、イマイチ全貌が掴めていなかったのである。立ち上がったその姿は四メートルはあろうかという長身であった。恰幅も大変よろしい。ジョンが同行に応じたのを確認した一同は、周囲及び対象であるジョンの警戒に当たりながら、炭鉱を後にして村へと戻っていった。




 ――――話は前日の夕方に遡る。すっかり日も暮れ、雨が草木に叩きつけられる音しかしない林を、二人の男女が簡単な荷物を手に忍び歩いていた。


「おい、どうしたんだ ?」


 男の方が立ち止まった女性に対して言った。村の方角を未練がましく見つめる女性に近づくと、彼女の腕を掴んでから軽く引っ張ってみる。しかし彼女は、歩みを再開しようとはしなかった。


「…本気で思ってるのか ?あの化け物がお前のガキだって」

「でもアイツ、私の事をママって…」

「あるわけないだろ !大体どれも全てお前が決めた事じゃないか !今更何に後悔してる!?」

「そういう訳じゃないけど…でもやっぱり…」

「『お前の姿がそんな風になったのはぜーんぶ私のせいです』とでも言いに行くか ?今度こそ殺されるぜ。騎士団もいる…良くて刑務所行きだ。ようやくしがらみが無くなった。二人で新しい人生を送るって決めたじゃないか。だから――」


 どうしても化け物の事が忘れられない女性に対して、いい加減にしろと男性が怒鳴り始める。その時だった。雨や風に混じって何かが破裂するような音が響いたと女性が思った直後、男性が目の前で崩れ落ちた。見れば側頭部に風穴が空き、鮮血が流れている。女性は自体が呑み込めずに呆然とするが、やがて何かがマズいと悟って道を引き返すため、急いで後ろを振り向こうとした。振り返った瞬間、背後に雨具を羽織った何者かが忍び寄っていた事に気づいた。そしてその人物が手にしていた棍棒によって叩き伏せられてしまう。倒された女性はたちまち泥に濡れ、薄れていく視界をボンヤリと眺める事しか出来なかった。


 気が付けば辺りは暗闇に包まれている。そして自身の両腕を縛られた状態で気に括り付けられている事を女性は知った。彼女の視線の先では、小さな洞穴の中で焚かれた火を囲み、食事を取る小汚い姿の者達がいる。


「寒いからな…よく小便が出る」


 そんな声がしたかと思うと、背後の木々の間を縫ってスキンヘッドの男が戻って来た。周囲の者達の反応からしてリーダーなのかもしれないと女性は勘ぐる。


「ん、何だ目が覚めたか」


 スキンヘッドの男が近づいて女性の顔を掴んだ。怯えたような顔する彼女を暫し見つめた後で放してやると、粗末なシチューを仲間から譲り受けて再び近づく。


「食べるか ?なんてな…お前のはねえよ」


 そう言ってスプーンで流し込みながらスキンヘッドの男は笑う。気味が悪い目つきと声であった。


「こんな時間にカップルでお出かけなんかするからだよ。襲ってくれなんて言ってるようなもんだね…ウィル、そいつはどうすんだい ?」


 仲間と思われる若い女が火で手を温めながら続けて言った。ウィルと呼ばれたスキンヘッドの男は少し考えていたが、やがて再び笑みを浮かべる。


「使えそうな物はあらかた奪った。もう用も無い…お前ら、好きにしていいぞ」

「ヒャッホウ !そう来なくっちゃ !」


ウィルから放たれた「好きにしていい」という言葉の意味は、下賎な表情と共に近寄って来る男達の雰囲気によって嫌でも理解させられた。ある種の恐怖を感じた女性は、どうにか出来ないかと必死に頭を働かせる。服をはぎ取られそうになった直前、目を泳がせていた際に目に入った紙を見てハッとする。騎士団に所属しているある人物の事について記されている物だった。二丁拳銃の中年の男性…間違いなく日中に村を訪れた騎士である。


「ま、待って…!人を探しているんでしょ ?」

「ああん ?」

「私見たわ、そこの紙に書いてる男。私が歩いてた林を引き返した所にある村…そこに来たのよ」


 彼女から放たれた興味深い言葉に、その場にいた者達が少しざわついた。ウィルは神妙な顔つきで女性に近づいて来ると、紙に描かれている騎士の絵を指差した。


「本当に間違いないんだな ?例えば…この場をしのぐためにデタラメを言ってるとか…」

「ええ !それか…駅 !必ずどちらか !ここには本部から仕事で来てたらしいの。少なくとも確実に村から続いてる街道を通るわ…この辺りで駅に繋がってる道はそこしかないから」


 スキンヘッドの男は話を詳しく聞き出すと、面白そうだと目を輝かせる。


「成程ね…俺達が一足先に手柄を頂いちまうってのも悪くない」


 彼の機嫌が良くなっているのを見ていく内に、女性の中には僅かな希望が生まれつつあった。冷静に考えればこの後自身がどうなるかなど察しが付くにも拘らずである。


「予定変更だ。殺せ」


 その一言に女性が反応する暇もなく、一人がナイフを喉笛に突き立てた。血が滝の如く噴き出し、震える唇で何かを囁き続ける。そして必死に足をばたつかせていたが、ついに目を見開いたまま口から血を溢れさせて息絶えた。


「勿体ねえなあ…」

「生きて帰せば余計な事をバラすかもしれんからな。それより下見に出るぞ。この計画が上手く行けば金はタンマリ…好きな女も金で引っ叩いて抱き放題だ。ああ、そうだ。死体は焼くなりして土に埋めておけ」


 残念そうにする仲間をスキンヘッドの男は励まし、偵察についてこいと促す。残った仲間達は女性を憐れむわけでも無く、まるで生ごみを扱うかのように気怠そうな手つきで指示通りに処理を行い始めた。

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