青年が左近達を招き入れたのは、飯母呂一族の持ち家だという屋敷。桂川を渡り、山陰道を通る際の最初の宿場である樫原宿からほどよく離れた位置にあった。ここは洛外らくがいではあるものの、まだ十分に八咫烏の影響が直に及ぶ場所である。


 小太朗は左近が抱きかかえて運ぶうちに眠ってしまった。屋敷の中に入り、部屋の一室で用意された布団に寝かせ、左近と青年は部屋を出る。そのまま青年の私室へと向かった。


 本家の屋敷ということもあり、夜中でも人が起きている音が聞こえる。その音をそれとなく聞き、左近は人数をざっと計算した。おそらく、この屋敷にいる人数は軽く見積もって十名。それも、起きている者で。左近達がアドリアーノに連れて行かれる際に八咫烏の相手をしていたのは、この飯母呂一族の配下の者だろうから、実際にはもう少し多いだろう。



「じゃあ、そういうことで」

「……うん」



 彼の部屋で相談、というより彼にしてみれば遊びでしかない話を持ちかけられた。しかし、その遊びに勝ったあかつきの条件がいい。左近も完全に乗り気ではないものの、その遊びをすることを承諾した。





 夜が明け、小太朗が寝かされている部屋に太陽の光が差し込み始めた。


 小太朗の顔にもかかり、まぶしさに目蓋を震わせる。小太朗がゆるゆると目を開け、左右に顔を向けると、横で片腕を立てた左近が添い寝していた。


 左近は寝てはおらず、小太朗が起きたことが分かると、にこりと笑ってみせる。



「おはよう、小太朗」

「……おはよーございます」



 まだ寝ぼけ眼な小太朗は上半身を起こすと、きょろきょろと周囲を見渡す。自分が寝ている間に屋敷についたので、今の状況がよく分かっていないのだろう。この場に左近がおらず、一人きりの時に目が覚めていれば、不安で泣き出してしまっていたかもしれない。


 ひとしきり見渡した後、小太朗は左近の方を見下ろした。



「ここは?」

「昨日いたところから少し離れたところだよ。朝餉の用意ができているから食べなさい」

「せんせいは?」

「僕はもうすませたから」



 左近が指さす方に視線を辿たどらせると、一人分の膳が部屋の隅に用意されている。


 小太朗は布団から出て、膳を持ち上げ、日の当たる明るいところまで運んだ。左近も起きあがり、膳の前に座った小太朗の斜め前に座る。



「……あれ?」

「どうした?」

「これ、だれがよういしてくれたんですか?」

「僕だよ」

「……ありがとうございます」



 何か言いたげにしているものの、小太朗は小鉢を手に取り、もそもそと食べ始める。しかし、箸を進める速さは酷くゆっくりで、結局、小皿を一品残した。食べ終わると、ご馳走様と手を合わせた。姉代わり、母代わりであるお菊の教育の賜物たまものである。本当は残さず食べるようにとも言われているのだが、左近がそれに言及することはなかった。


 さらに、八咫烏では自分が食べ終わった膳は自分で水が張られたたらいの中にいれる。その習性があるからか、この膳はどうしたものかと小太朗はそわそわとしだした。それを見た左近が小さく笑い、元の場所に置いておけば大丈夫と言うと、そそくさと元あった場所へと持っていく。


 そして、てててっと小走りで左近の元に戻ってきて、真剣な表情で目の前に座った。



「せんせい、にげないと」

「駄目だよ。……油断している時をねらって行動する。鉄則でしょう?」

「そっか」

「時間もあるし、色々お話しようか」

「……はい」



 左近はにこりと微笑む。余裕そうな表情に、小太朗は戸惑いながらもこくりと頷いた。





 一方、青年は私室で配下の者から続々と報告を受けていた。ただ、ひっきりなしの報告も、今受けている男で最後だという。



「右近様。申しつかっておりました風魔の里周辺図の更新版となります」

「あぁ、ありがとう。……他に急ぎで確認しなければいけないものは?」

「例の南蛮商人ですが、どうされますか?」

「どうって?」

「あの場では連れてこられた子供がいるからと、あの御方に止められましたが。このまま放っておけば、いずれ我らの邪魔となるかと」

「そのまま放っておいて」

「しかし」

「放っておけというのが聞こえない?」

「いえ。申し訳ございません」

「話は以上? それなら、書き物をするから下がってくれる?」

「はい。失礼いたしました」



 男が襖を閉め、部屋から遠ざかっていく。

 

 青年――配下の者に右近と呼ばれた彼は、筆置きに筆を置いた。そのまま顔を上向け。



「……ふぅ」



 大きな溜息をついた。


 すると、再び襖が開かれ、左近が顔を出した。後ろ手で襖を閉めると、それまで飄々ひょうひょうとしていた表情を崩し、にこりと笑う。



「どう? 順調?」

「まぁね。でも、やっぱり僕の方が圧倒的に不利でしょ」

「左近も話にのったじゃない。後で文句を言うのはなしだよ」

「……約束は守ってもらうからね」

「もちろん。けにお前が勝ったらね」



 むすりとする青年――左近に、左近――青年はにんまりと笑う。お互いの近しい者は今だ気づいていないようだが、二人は昨晩、この屋敷についてから入れ替わっていた。


 本来、双子は生まれてすぐどちらか一方が殺されるか、余所へ売られていく。しかし、彼らの父親が左近の存在を一族の外には隠匿いんとくしながらも、あの日まで手元に置いておいた理由はここにあった。

 事実、ずっと一緒にいて、お互いのことを誰よりも知っているわけでもないというのに、小太朗ばかりか、一族配下の者まであざむくことができてしまっている。これぞ最強の影武者であろう。


 青年は左近と背中合わせに座り、左近の名を呼んだ。



「なに?」

「楽しいね」



 本当に楽しそうに笑うもう一人の自分に、左近は否定も肯定もしなかった。


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