主上からの申し出という名の命を受け、左近達は内裏にほぼ日参する毎日を送ることになった。そうなると、そう毎日片道三刻ほどの道のりを行ったり来たりできるものではない。同伴する左近や隼人は別として、子供達はまず無理である。


 そこで、この任務が終わるまで、左近達の住まいは八咫烏の縁者から翁が借り受けた町家となった。この町家は内裏から近くも遠くもなく、周囲は良く言えば静かな、悪く言えばうら寂しい感じがする。


 内裏に行くようになってから五日後。朝日が子供達の部屋に差し込み始める刻限のこと。



「みんな、顔洗った?」



 左近が子供達がまとめて寝泊まりしている部屋に行くと、一人だけこんもりと布団をかぶった状態のままでいる。



「せんせー、とうべえがさむいっておきないんです」

「え? 藤兵衛、熱はない? 三郎は早く着替えて」



 布団をめくり、手を藤兵衛の額にあててみる。本人から返事はなかったが、いつもより熱っぽい。見上げてきた藤兵衛の瞳も僅かにうるんでいるように見えた。

 布団をかけ直し、顔だけは布団から出ている状態にしておく。額に置いていた手を滑らせて手の甲で頬を撫でると、すりすりと顔を寄せてくる。熱で甘えたが出ているのかもしれない。



「少し熱があるね。この頃寒くなって来たし、そのせいかな」

「とうべえ、だいじょうぶ?」

「んー」

「少し待ってられる? 薬と何か食べられるものを持ってくるから」

「あい」



 膝立ちで腰を浮かしかけたまま、傍にいる他の子供達にも向き直る。



「皆は? 具合悪くはない?」

「はい」

「だいじょうぶです」

「そう。とりあえず、こっちの間にいて」



 ずっと一緒にいたのだからもう手遅れかもしれないが、一応藤兵衛のいる部屋とは続き部屋に子供達の背を押して行く。ふすまは閉めず、衝立ついたてを置いた。もし襖を閉めてしまえば、藤兵衛が不安になって起き上がり、結果、色々な所をべたべたと触ってしまうだろう。

 前に与一が言っていたが、風邪とは患者のつばが直接かからない限り、そうそううつるものではないそうだ。むしろ、唾が飛んだものを触って、その手で自分の口や鼻、目を触ってしまうから感染してしまうらしい。


 すると、丁度良い時に隼人も戻ってきた。



「おう。どうした?」

「藤兵衛が風邪をひいたみたい。薬と何か食べられるもの買ってくるから、この子達お願いしてもいい?」

「なんだ。何が欲しいか言ってくれれば、俺が行ってくるぞ?」

「そう? じゃあ」



 これまた与一に教えてもらった風邪の時の対処法で、今、入用なものを隼人に伝えていく。隼人は藤兵衛の様子を衝立の上からちらりと覗いた後、すぐに家を出ていった。


 それからしばらくして、ごそごそと布団が揺れる音がしたかと思えば、藤兵衛のか細い声が聞こえてきた。



「せんせぇ?」

「ここにいるよ」

「あたまがずきんずきんする」



 藤兵衛の傍に行き、もう一度額に手をあててみると、段々熱が上がってきているのが分かる。予備として準備しておいてくれた布団を押し入れから取り出し、藤兵衛が苦しくないくらいに重ねた。



「少し熱が上がってきたみたいだから、もう少し温かくしておこうね」

「せんせー」

「どうした?」



 三郎が衝立の向こうからひょいっと顔を覗かせる。



「とうべえ、だいじょうぶ?」

「大丈夫だよ。でも、うつるといけないから、こっちに来ちゃだめだよ?」

「はーい」



 またひょいっと頭をひっこめた三郎は、気のせいじゃなければまだ夜着のままであった。着替えるよう言ったのにと、ふぅっと溜息をつく。


 水甕みずがめから水をんできて、布を浸してしぼり、藤兵衛の身体の汗を拭っていく。別の濡れた布を絞ったものを、額の上にも置いておいた。きもちぃと呟いた藤兵衛に、それは良かったと返す。


 急いでくれたのか、隼人が半刻もしないうちに荷物を持って帰ってきた。



霞屋かすみやに与一が来てたんだ。丁度いいから薬をせんじてもらってきたぞ」

「ほんと? 助かる」

「あと、ほら、かゆの材料も。お前ら、作るの手伝うか?」

「「はい!」」

「みやも! みやもやる!」

「よぉーし。ならお前達、くりやにいくぞー」

「「おー!」」



 隼人が子供達を連れ、部屋を出て行った。正直、子供達を連れ出してくれてありがたかった。この半刻、入れ替わり立ち代わり衝立の向こうから覗き込んでくるのだ。藤兵衛が心配なのは左近ももちろん分かるが、これでは気になって仕方がない。



「良かったね、藤兵衛。皆で作ってきてくれるって」



 左近の言葉に、藤兵衛はほのかに口角を上げた。


 子供達が盆に載った粥と湯呑ゆのみを多少危なっかしく持ってきたのは、それからまた半刻経つか経たないかくらいの時であった。



「お待たせ」

「せんせー。とうべえ、おきてる?」

「起きてるよ」



 衝立のところで受け取り、布団の傍に盆を置く。そして、藤兵衛の背中の下に手を差し込み、上半身を起こすのを手伝ってやる。

 

 子供達はその様子を衝立の左右に分かれて見ていた。



「とうべえ、おかゆつくったよー」

「しっかりたべて、はやくげんきになってね?」

「さぶろうのおもりがいないとたいへんなんだ」

「りすけ! おもりってなんだよ!」



 衝立の左側で上下に連なる利助と三郎が言い争いをし始めそうになるのを、隼人が二人の頭を掴んで止めさせる。

 その隙をつき、宮彦が藤兵衛の元へ行きそうになったのを、慌てて小太朗が引き留めた。左近は藤兵衛の傍にいるのに、自分はどうして駄目なのか、宮彦はどうしてもに落ちないらしい。何とも言えない顔で左近の方を見てくる。



「藤兵衛、薬飲まなきゃいけないから、少しでも食べようか」

「ん」



 豆腐と小ねぎさじすくい、息を吹きかけて冷ましてやる。すると、鼻に鰹出汁かつおだしの良い匂いが届いた。これならば、多少食欲が落ちていても食指が動きそうである。

 匙を藤兵衛の口に運ぶと、まだ嗅覚は残っているらしく、藤兵衛もほぅっと息を吐いた。そして、小さく口を開け、匙を口の中に入れ、飲み込んだ。


 一口、二口、と、順調に食べ進めていくと、見ていた子供達は我慢ができなくなったのか、口々に自分の頑張りを主張し始めた。



「みや、おこめあらったの」

「おれ、ねぎきった!」

「道理で。葱が上手く切れてなくて、つながってるよ」

「えっ!?」



 その問題作を匙に乗せ、三郎にも見えるように僅かに傾けてやる。すると、三郎はそれを見て目を見開き、そろーっと衝立の後ろに隠れていった。いやいや、藤兵衛を笑わせてやるためなんだよな?と、隼人がニッと笑ってやると、僅かな間の後、そう!っと元気な声が衝立の後ろから聞こえてくる。


 もしそれが本当ならば、三郎の策は十分成功したと言えよう。藤兵衛もくふくふと笑っている。



「ぼくたちは、そのゆのみのやつです」



 宗右衛門に言われて湯呑の中を見ると、中に入っていたのは少しドロッとした何かだった。匂いを嗅いでみると、甘酒と、仄かに蜂蜜の香り、そして後もう一つなにか。



(そういえば、隼人は与一に会ったと言っていたっけ)



 まさかと思い、一応聞いてみることにした。



「これは?」

「あまざけとはちみつとだいこんでつくったんです」

「そう。藤兵衛、これも飲めそう?」

「ん」



 思っていたようなものではなかったので、その湯呑も藤兵衛に手渡した。


 こくりこくりと藤兵衛の喉が鳴る。



「とうべえ、どう?」

「……おいしい」



 にっこりと笑う藤兵衛に、皆も顔を見合わせて笑顔を見せた。


 与一印の薬を飲ませた後、再び藤兵衛の背中に手をあて、今度はゆっくりと布団に寝かせる。空になった器は盆の上に乗せ、隼人へと戻した。



「じゃあ、後はゆっくり寝て」

「せんせぇ」

「大丈夫。何かあるといけないから、ここにいるよ」



 左近は枕元に座り、水桶みずおけに入った布で再び汗を拭ってやり始めた。


 一方、子供達と隼人はというと。



「ほら、お前達。今日は三略の暗記だぞ」

「うぅっ」

「うげぇーっ」

「おれ、とうべえといっしょにおぼえるー」

「何言ってんだ。ほら、早く準備しろ」

「あたまいたくなるよぉー」



 あと二月もしないうちに呂の年に上がることになるのだから、こんな時でも勉学に励げむための手は抜けない。学び舎から運んでもらった振り仮名つき兵法書を、隼人が机の上にざっと並べる。


 ぶつぶつと文句を言う子供達も、観念して声を揃えて一説ずつ読み始めた。



「ほら、目を閉じて。ゆっくりお休み」



 子守唄にしてはいささか硬い三略の朗読に、藤兵衛の目蓋も段々と落ちてくる。直に少し乱れてはいるものの、穏やかな寝息が聞こえてきた。


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