数日後、左近は榊と共に、翁から話があると屋敷へ呼び出された。


 なんでも、主上の一ノ皇子である親王に、信長が自分の屋敷を新邸として提供する準備が水面下で進められているらしい。

 おそらく、信長は親王、女房衆、自分の猶子ゆうしである五ノ宮をその邸に移し、現在の朝廷と分断するつもりであろうというのが、話を集めてきた八咫烏の見立てである。邸を提供といえば聞こえはいいが、要は譲位なき朝廷の主の交代が真の目的ではないかと、貴族の間でもまことしやかに噂になっているそうだ。


 しかし、そうなると、親王の一ノ宮や二ノ宮、三ノ宮の三人は、祖父である主上と共に今の内裏に残されることになる。主だった貴族は全て新邸の方へ伺候しこうするため、遊び相手も親の意向でめっきり減ってしまうだろう。さりとて、身元が不確かな者は内裏にはいれられない。


 そこへ、翁が各地の報告も兼ねてご機嫌伺いに非公式で訪れた際、話を切り出されたそうだ。

 ‟護衛もできる八咫烏の者達ならば宮達のことも安心して任せられる。年の頃が同じ者達と遊ばせてやってはくれぬだろうか”と。


 翁の口から語られた話に、左近は眉を僅かに潜めた。不快感を露にしないのは、翁の前であることと、その話をもってきたのが他ならぬ八咫烏の主――主上であったからである。



「今、あの子達を里の外へ連れだすのは危険です」

「それは、例の一族が関係しているからか?」

「……はい」



 以之梅の子供達が厳太夫達と共に、洛中での一族の青年と出会ったことは、既に翁の耳にも入っている。もちろん、榊の耳にも。


 そして、十数年前、左近がこの里へ連れてこられた際、左近や連れてきた八咫烏から話を聞き、彼の生い立ちは二人も理解していた。

 鉢屋も風魔も、伊賀や甲賀と並び称される忍び里。その元となる一族の忍びの腕は、確かに十分脅威といえる。


 普通ならば、翁も榊も、普段以上に見回りを強化し、徹底的に接触を断とうとするだろう。


 ――だが。



「これは主上のたってのご要望。口調こそ柔らかくあそばしたが、我らにとってはめいと変わらぬということはお前もよく分かっているだろう?」

「……それは、もちろん」



 翁の冷静かつ威厳のある声に、左近は視線を落とした。


 八咫烏は主あっての忍び里である。そして、その主は皇家。それも、皇家の長からの命ならば、自分達が否と言うことは決して許されない。


 とはいえ、二人にも左近の気持ちはよく分かる。


 翁は手を伸ばし、左近の肩に軽く触れた。



「主上もそう長い間は留め置かぬとおっしゃっておいでだ。その間、お前と、他にも八咫烏を何人かつける。都にもちょうど数人逗留とうりゅうしておるしな」

「はい」


 

 返事はするものの、左近の表情はまだ浮かないままである。


 斜め前に座る榊が、左近の顔をひょいっと覗き込んだ。



「まだ何か心配が?」

「……先日、都で厳太夫達が会った私そっくりの男。やはり、私の片割れでございました。その男が別れ際に言い残したのです。私が自分の意思で帰ってくる、と。それがずっと気になって」

「以之梅の連中がかどわかされる、と?」

「分かりません。ただ、無意味な言葉は残さないはず。何かしらの意図があってのことだと思うのです」



 自分の意思で帰ってくるなど、よっぽどの事がない限り左近にその気はない。


 そのよっぽどのことというのが、他でもない子供達に関することである。彼らに何かあれば、それこそ翁の命を待たず飛び出してしまうかもしれないという自覚が左近にはあった。そして、あの片割れは確実に左近の弱みを知り得ている。



「もし、その男がお前のフリをして連れて行けば、見張り役も見逃してしまう。そういうことか?」

「その可能性はあります。……とても、とてもよく似ていますから」 

「ならば、左近は学び舎に残し、隼人を行かせますか?」

「……いえ。私も行かせてください。子供達の傍を離れないようにし、万が一の時は私がおとりになります。その隙に、子供達を」

「なに?」



 左近のその捨て身の言葉に、今度は榊の眉が中央に寄せられた。


 もし、自分に何かあっても、あの子達さえ里に戻すことができればそれでいい。その気持ちばかりがいて、そう口をついて出てしまった。 



「左近、分かっていような?」

「はい。もしそうなった場合、八咫烏の情報を吐かされそうになったその時は、自害も……」

「違う。どのような手を使っても、必ずここまで帰ってくるように」

「翁のおっしゃる通りだ。お前はもう、あの一族ではなく、我らの同胞なのだからな」



 二人から向けられる温かい眼差しに、左近はまぶしいものを見るように目を細めた。


 彼らは父母の愛情を受けられなかった左近の父代わりであり、母代わりでもある。雛の時分より随分と目をかけてくれた。そんな二人からかけられた言葉は、先日の以之梅の子供達からの言葉同様、彼の心をじんわりと温めた。



「……承知しました」



 為政者に使われるにすぎない同じこまでも、こちらはなんと居心地の良い駒であろうか。


 左近は頭を下げ、今一度、二人の言葉を胸に刻みこんだ。


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