アレは一体何だったのだろうか。


 その正体を唯一知る団次は、翁と榊のみにその正体を告げ、都へと戻っていった。その後、翁より部之年全員を対象として箝口令かんこうれいが敷かれたのは言うまでもない。


 下の年の雛達は予定よりだいぶ早く戻ってきた部之年の面々に不思議そうにしつつ、いつものように笑顔でお帰りなさいと接してくる。その様子に、実際にアレに遭遇してしまった三人が、心の底からほっとしているのが見て取れた。



 それからまた数日。


 肝試しや怪談などの一切を当面自粛するように命じられ、蒸し暑さを持て余していた左近達は山中の沢に来ていた。



「やっぱり、暑い時には水場に限るよね」

「……最初からここに来れば良かったのでは?」

「あー聞こえない、聞こえない」



 都合の悪いことは聞こえなくなる賢い耳を持っているのだと、左近はそううそぶく。


 それを言われた主水は思わず半眼になった。しかし、どうしようもないので、はぁっとため息をつき、辺りを見渡す。


 滝壺から続く沢の河原には、雛達がほぼ勢揃いしていた。以之年の雛達はまだ来たことがなかったため、辺りを落ち着き無く見渡している。


 今回は水練のついでという大義名分を引っ提げているため、雛達の見張り役もそれぞれの師に加え、主水達非番の八咫烏も含まれている。


 非番といっても、特にこれといってやりたい事があるわけでもないので別に構わないのだが、左近達が関わると毎回酷い目に遭わされる。

 今回もまた、嫌な予感がふつふつと主水達の中でくすぶっていた。


 今にも飛び込んでいきそうな子供達に、左近は以之梅の子供達と宮彦の前に立ち、自ら屈伸したりして見せた。



「ほらほら、まずは準備運動。水に浸かる前はしっかり身体を動かすんだよ」

「はい!」

「はい、三郎」

「ぜんしんがつかってしまうほどのところにいかなければ、じゅんびうんどうっていらないですか!?」

「え? あぁ、昔々、その昔。その暇も惜しいと、あそこの滝壺に飛び込んだ奴がいてね」



 左近は一度体を動かすのを止め、奥の滝壺の方へ目をやった。細められた目には懐かしさも含まれている。


 すると、先程から何かを採取している与一が顔を上げ、同じ方を向いた。



「あーあったねー。足がって、滑っておぼれてー」

「ね。……足を浸けておくだけでも、意外と足って攣るもんなんだよ。そうなられたら困るから、皆はきちんと準備運動をするんだよ?」

「は、はいっ」

「ちゃんとしますっ」



 大変だったーと、そうは思っていないようにしか見えない口調で振り返る与一。


 だが、運動神経に優れているはずの者が溺れるなんて、心底穏やかではない。


 子供達はその二の舞にはならぬようにと、せっせと準備運動に励み出した。



 しばらくすると、滝壺で水練に精を出す仁之年以上の雛達の見張りに、主水達も続々と駆り出されることになった。



 準備運動を終え、次々と水の中へ足をつけて遊びだす子供達。それをよそに、ただ一人。宗右衛門だけは準備運動はしていたものの、友たちの輪へ入ろうとしない。いつもであれば、彼もその輪に加わっているというのにである。



「宗右衛門、どうしたの?」

「あ、えっと、みやひこがいるので、ぼくはかわらであいてをしてます」

「試験がある所以外は雛達も皆来てるから、そうずっと一緒にいなきゃいけないってわけじゃないと思うけど。ま、いいや。罠の講義の時は呼んであげるね」

「はい。おねがいします」



 宗右衛門は宮彦の手を引き、ごつごつとした岩場の影で宮彦と一緒に隙間に隠れている魚達を見だした。


 その姿を、左近がしばしじっと見つめていると、三郎達に呼ばれ、自らも水場へと入っていった。


 遊んでばかりだと一緒に来ている上の代の師に怒られるからと、左近はきりのいいところまで遊ばせ、以之梅を一旦水場から上がらせる。平たく全員が座れるような岩がある所まで彼らを連れて行き、そこで水中における罠の説明を始めた。


 他の雛達の中でも興味がある者が徐々に集まってきて、皆で左近の説明に耳を傾けている。


 まだ水中に潜ったままの雛がいるところの師は、妙なことを教えないように見張っていろと顎で後輩の八咫烏達に指示を出した。


 左近達にすら敵わない後輩達が、彼らよりもさらに上の代の指示を聞かずにいれるはずもなく。厳太夫達を筆頭に左近の周りに集まった。



「水中に仕掛ける罠において、基本的には地上の罠を流用することもあります。ただ、鉄でできたものは錆びてしまい、そうなると使えない物は当然ながら使いません。まぁ、錆びたものが体に突き刺さると、できた傷が膿んでそこから悪化することもあるので、一概には言えませんが。……何より水中で注意すべきなのは」



 左近が背後にいた与一へと手を伸ばした。


 ここに来てからずっとしゃがみ込んでいた与一が、持っていた蓋つきの桶を左近に差し出す。


 左近はその中を確認し、中身が零れ落ちない程度に傾けた。



「これです」

「……ひいぃっ!」



 うぞうぞとうごめく小さな物体達。それらが桶の中で所狭しとひしめき合っている。


 傍にいた厳太夫はその光景を至近距離で覗いてしまい、短く金切り声を上げた。


 左近と与一はというと、何故かよしよしと頷いて見せる。大方、今回もよい反応をありがとうといったところなのだろうが、見せられた方としてはたまらない。


 すぐさま二人の周りを厳太夫と勘助、そして倫太郎が囲んだ。


 にこにこと笑っているのは二人だけ。後輩三人は苦笑いすら浮かべられない。



「あんっ、あなた、これ一体どこで集めたんですか!」

「ここでー今朝から今までずっとー。頑張った頑張ったぁー」

「……そうですかぁっ」

「それ、どうなさる気です?」

「どうするって……こう」

「うわあぁぁぁっ!」

「あかん、あかん、あかんってぇっ!」



 桶を完全にひっくり返そうとする左近に、倫太郎が飛びかかる。その隙に厳太夫と勘助が両側からその桶を奪おうと手を伸ばした。

 しかし、左近はひょいひょいっと軽い身のこなしで、その包囲網を避けていく。


 すぐさま三人の脳裏に、最悪の事態が過ぎった。


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