第七章―梅雨時のたはむれ



 左近達が学び舎へ戻ってきて、今日で十日目。

 じきに梅雨が始まりそうな湿った空気が、このところじわじわと範囲を広げつつ辺りを漂っている。


 とはいえ、そんな空気など子供達には関係ない。彼らは毎日元気に宝探しの続きに励んでいるところだ。それも、雨さえ続かなければここ数日で終わりを迎えるだろう。団次もこの宝探しが終わるまでは付き合うと、未だ学び舎に残っていた。


 そして、今日、子供達と師の三人は八咫烏の館に問題の回収兼金瘡膏の効果の程を聞きに来ていた。だが、色々と聞きかじっているうちに日が落ちてしまったため、全員でここに泊っていくことになったのである。


 日がすっかり落ちてしまって久しい戌の刻。

 夜の哨戒任務の当番でない者は、食事を終えて湯を浴び、それぞれの部屋へと戻っている。


 そんな折、長屋のさる一室では何やら内密の話をする準備が設けられていた。


 部屋の中には全部で三人。背格好を見るに、いずれも左近達の代の四つ下のようだ。齢十四。元服を数ヶ月後に控えた若き八咫烏達である。


 そんな彼らの背後に、音もなく忍び寄る影一つ。その影は、並ぶ頭の間から己の首だけを突っ込み、彼らが何やら熱心に見ている手元を覗き込んだ。



「……何してるの?」

「「ぎゃああぁっ!」」



 声をかけられただけで忍びにあるまじき悲鳴をあげ、三人は広げていた物を慌てて引っ掴み、勢いよく飛び退っていく。


 耳元でうるさいなぁと文句を垂れつつ、わずかに湿る髪をかき上げたのは、湯上がりの左近であった。普段は後ろで高く括られている髪も、今はまとめずに流れるに任せている。


 だからであろう。顔が隠れていたせいで、妖物の類とつい見間違えてしまった三人は、暴走している脈をなんとかなだめすかそうと深呼吸を数回重ねた。



「さ、左近先輩っ。脅かさないでくださいよ!」

「脅かしてなんかないよ。背後を取られる方が悪いだけ」

「そ、んな身も蓋もないことを」



 左近に淡々と言い返され、完全なる正論に三人もそれ以上言い返すことができず、ぐぬぬと押し黙った。


 すると、ちょいちょいと左近に手招きをされ、元いた位置に座らされる三人。右から右京、新之丞、主水。もちろん左近に対しての警戒は解かない、解けない。



「……先輩の方こそ、こんな所で油を売って。以之梅の連中はいいんですか?」

「今は隼人と団次先輩が見てくれてるから大丈夫。で? 何してるの?」



 なんとか話題を逸らしたい。

 その一心で、新之丞が精一杯の笑顔を浮かべ、以之梅を巻き込んで話の流れをそちらへ持っていく。が、残念ながらそんな手が通用する相手ではない。


 好奇心においては彼の代で一、二を争うほどの持ち主。そんな左近がこんな風にこそこそと行われる何かに興味を持たないはずがあろうか。いや、ない。


 万事休すかと、三人は互いに視線を交わす。

 いい案がある奴いるか、あるならとっとと出せ、と視線だけで会話するが、そんなものあるならとっくに出している。



「え……えーっとぉ、ですねぇ」

「何? 言えないようなやましい事でもしてたの?」

「いえ! 決してそういうわけじゃ」

「というか、貴方、俺達をそういう目で見てるんですか?」

「別に。そういうわけじゃないけど……あ」

「「え?」」



 左近が部屋の入口の方へ目を向け、何かに気づいたような声を上げる。すると、三人もそれにつられ、そちらへと顔を向ける。


 その隙に、左近は三人が机の下に隠した物をかすめ取った。



「あ゛ーっ!」

「お前達ねぇー。仮にも八咫烏なんだから、こんな子供だましに引っかかっちゃ駄目でしょうに」

「ちくしょーぉっ!」

「普段もっとどぎつい引っ掛けにあってるから、完璧に油断したっ!」

「というか、三人とも同じ手に引っかかるなんて……っ。阿呆すぎるっ!」



 それぞれがあまりの恥ずかしさに身もだえしながら悔しがっていると、部屋の入り口から本当に顔を覗かせる者が現れた。



「なになにー? 皆でなにしてんのー?」

「ひいぃっ!」

「出たあっ! 二人目っ!」



 以之梅の子供達が金瘡膏を瀧右衛門と一緒に作ったという話を聞きつけ、出来具合を見にきた与一である。


 そういえば、今日はこの二人がここに揃っていたと、今更になって三人は思い出す。


 左近も与一も普段は学び舎の方の長屋か、はたまた外へ任務に出ているため、この館の長屋では皆、比較的平穏に過ごせているのだ。


 天敵のいない動物さながら、緊張の糸が緩んでいたために引き起こされた末路に、三人は己の間の悪さを呪った。



「えー。なぁに? その、ごきかぶりが出たみたいな言い方。傷ついちゃうなぁー」

「……んな、繊細な神経してるかよ」

「なぁんか言ったぁー?」

「いえ! なんにも!」



 主水が小声で垂れた悪態も、きっちりと耳に入れているところは、さすが与一の地獄耳。そんな笑顔でたもとに手を入れられれば、大抵作ったばかりの新薬が出てくる。もちろん、その行先は相手の口の中だ。


 速攻で自分の意見を翻し、というより、なかったことにして、主水は隣に座る二人にも同意を求めた。



「ふぅーん。で? 左近は何持ってんの?」

「え? あぁ、この子達が持ってたんだけど」

「何の冊子? ……え? えぇー? なぁーんだ。春画じゃないんだぁー」

「「え゛!?」」



 部屋に入ってくるなり左近が持つ冊子を覗いた与一は、実に残念そうに肩をすくめた。


 すると、とんでもない誤解だと、主水達三人の中でも一番真面目な新之丞がさっと顔を赤らめた。



「な、なにを言ってるんですか!」

「だって、君達も年が明けたら元服でー」

「なあぁーっ! なんもきこえなーいっ! 三禁三禁!」

「新之丞!」



 与一の言葉の先を聞くことに堪えられなかったらしく、新之丞は脱兎の勢いで部屋から逃げ去ってしまった。


 一方の与一と左近はけろりとしている。もちろん、与一は自分が悪いことをしたなど微塵も思っていない。



「ちょっと、先輩。うちの代一の真面目さを誇ってるやつを虐めるの、やめてくださいよ」

「虐めてなんかないよー。だって、事実じゃなーい。都に下りてって筆下ろししてもらうの」

「……もうちょっと言い方を……」

「考えたってくださいよ」



 興味しかない自分達と違い、あいつはまだまだ初心うぶなんです、純粋なんです、忍びの三禁である酒・金・色を犯すまいと必死なんです、と口々に友を擁護する。


 しかし、その配慮を求める気持ちが与一達に届いた様子は残念ながらない。



「考えろって言われても、ねぇー?」

「そうそう。房術修行の一環でもあるし。もし任務で必要に迫られた時、ある程度身につけとかなきゃまずいと思うけど。……ま、いいや」

「いや、よくねぇんです。あいつが中心になって考えてたのに」



 右京がついぽろりと口を滑らせ、しまったと口をふさぐも時遅し。


 左近の関心は逃げた後輩から冊子へと戻った。



「そうそう。これって、都の菓子処の地図と品名にその値だよね? これ見てどうすんの? お前達だけで行くの?」

「え、えぇーっと」

「そうです……よ?」

「はっはっは。最近ほら、天気悪いから、甘いもんでも食べて気分を切り替えたいなぁなんて」



 右京の空笑いが部屋の中に響くのが、なんと虚しく聞こえることか。


 他の代ならば、ここらで勘弁もとい諦めてくれるところだが、そうではないのが左近達の代である。



「ふぅーん。……僕も行こうかな。あの子達にも食べさせてあげたいし」

「「え゛?」」

「あ、いいなぁー。僕も行きたいなー」

「「え゛っ!?」」



 立て続けにやって来る望まぬ同行宣言に、主水達の口から低い声が漏れる。


 その間にも、何の不都合もないとばかりに話はとんとん拍子に進められていく。



「ならさ、非番の時にしようよ。皆は無理だろうから、その時に空いてる奴だけ連れて」

「あのー」

「んーっと、僕、いつ任務入ってたかなぁー?」

「すみませーん」

「もし雨だった時のためにみのと編笠も用意しておかなきゃね」

「そうそう。あ、でも、もしずぶ濡れになって風邪引いたら、僕の実験に協力してねー?」

「あははー。大丈夫。こんなに人数揃ってるから僕は普通の薬で十分だよ」

「売った! この人、今、満面の笑みで後輩売った! しかも、本人達いる前で!」




 合間合間に声をかける主水と右京だが、当然先輩二人には無視される。


 だが、さすがに自分達の提供宣言いけにえつうこくへの抗議を聞き流されては困る。主水はそれまで以上に声を張った。



「あの。本当にごめんなさい。話を、話を聞いてください」

「「聞いてるよ?」」

「「……」」



 右京が土下座で懇願してようやくこう言われるのだ。


 聞いてたなら応えろよ!と言いたくなる気持ちをぐっと堪え、くしゃくしゃに丸めてちり箱に放り込み、にっこりと笑ってみせるしかない。こういう時ほど、この人達よりも早く生まれたかったと強く、ひたすら強く思う。


 早く話せとばかりに圧もかけられ、納得がいかないながらもここは年功序列。主水と右京はそれについては骨身に染みてるので、もはやこれまでと覚悟を決め、大人しく今回この部屋で三人が話合っていた理由を二人にも話した。



「なんだ。そういうこと。だったら最初からそう言えばいいのに」

「……はい。もうそれでいいです。すんません」



 主水は目を固く瞑り、床に両手をついて顔を伏せた。その隣に膝をついた右京が、彼の両肩にそっと手をあてる。



「元気だせ、主水。お前も俺も、新之丞亡き後、よく頑張った。頑張ったよ」

「だよな? 俺ら、頑張ったよな?」

「あぁ。大丈夫。いつもどおり、相手が悪かっただけだ」

「……あぁ。そうだよなぁ。そうなんだよなぁっ」



 先の襲撃時のように味方にいればとても頼りになるが、それ以外は自分達にも被害が及ぶなんとも傍迷惑な先輩達。


 頼むから大人しくしていてくれと思わない日はない。


 すると、左近がまたもや何か思いついたようで、手をぽんと打ち付けた。



「それ、以之梅でやってる宝探しも一枚噛まさせてもらってもいいかな?」

「へ? 宝探し?」

「そう。あのね」



 左近は自分が思いついたことを主水達にも聞かせた。


 もちろん、彼らに拒否権などあろうはずもない。語って聞かせた時点で彼らへのお伺いではなく、どうぞという承認ありきの確認に他ならぬ。


 主水達は己が不運を天の神相手に嘆く他なかった。


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