左近と与一が出立した翌日。

 学び舎の管理を任されている榊は、少し遅めの昼餉をとっていた。


 もう少しで全て食べ終わるという頃に、翁から屋敷まで来るようにと伝令が届けられた。急いで昼餉を済ませ、榊は山の麓にある屋敷まで急いだ。



「翁、お呼びでしょうか」

「うむ。入るがよい」



 すっとふすまを開け閉めし、翁の待つ部屋の中へと入る。とこの間を背にして座る翁の向かいに腰を下ろすと、軽く頭を下げて翁からの言葉を待った。



「……御子をな、預かることとなった」

「御子ですか? 私をお呼びということは、学び舎で?」

「いや。そうだが、そうではない」



 どこか歯に物が挟まったような言い方である。


 榊が頭を上げて翁の方を見てみると、程よく伸びたひげ手慰てなぐさみにいじりながら、どこか思案げな顔つきをしている。


 どうやら新しく受け入れた子供を雛として学び舎に入れるだけという、そう簡単な話ではないらしい。



「……おっしゃる意味が」



 榊が恐る恐る口にすると、翁は自らの小袖の袖内から一通の書状を取り出した。それを榊にも目を通すよう差し出してくる。



「実はな」



 書状を両手で受け取った榊が、はらりはらりと続く書状の端を折り曲げながら目を通していく。それと同時に、翁も言葉をつむいだ。



「少々訳ありで、まだ五つなのだそうだが、その御子が大人に世話をされるのを酷く恐れるようになられたのだそうだ。そこで、子供が多く、安全も確保できる場所で過ごさせて欲しいとのことでな。主上からこの地でと下知げちがあった」

「……なるほど。では、部之竹の瀧右衛門のところに」



 目を通し終えた書状を翁に返すと、榊はそう案を出した。


 瀧右衛門はいまだ雛ながら、先の襲撃時の治療班として十分な働きを見せた。万一、御子が怪我を負ってしまった時でもある程度の対応はできよう。その上、世話に関しても、年をまたぐまではまだ元服前。ゆえに大人でないという条件にも合致する。



「いや、部の年ともなれば外での鍛錬が主であろう。山中での夜間耐久の鍛錬もある。その間のことを考えると、座学と半々である波の年までがよいだろうて」



 それではどこに預けたものかと榊が思案していると、襖の向こうに誰かが忍んで来た気配がする。そちらに目を向けると、翁を呼ばう声が襖を挟んでくぐもって聞こえて来た。



「ご報告が」

「伊織か。うむ、入ってよいぞ」



 襖を開けた伊織が部屋の中にいる榊を見て、寸の間目を瞬かせる。しかし、時間を取らせてはならないとさっと部屋の中へ入ってきて、榊の少し後ろの位置で腰を落とした。



「榊先生もおいででしたか」

「あぁ。……席を外しましょうか?」



 任務の内容は翁と命じられた者以外、なるべく知らされないのが暗黙の了解。それにならって榊も腰を上げようとしたが、構わぬと翁に手で制された。それではと、榊は体ごと脇にずれ、伊織を翁の正面に座らせた。



「首尾は?」

「はい。例の任務において、正蔵、吾妻、左近、与一の先遣隊が昨夜から本日にかけて出立。先に出立した左近と与一から織田の所領を抜け、領内へ入ったとの報を先刻隼人の鷹が届けてまいりました」

「そうか。引き続き、よろしく頼むぞ」

「はっ」



 例の任務とやらの内容は、榊にも容易に理解ができた。

 先遣隊の面子からして、今回は久方振りの全員での任務とあって、伊織が指揮をとる策のうちでも定石を取ることにしたのかと、その後の動向に考えを寄せる余裕すらある。


 確かにこれは八咫烏全体であたる任務。ゆえに、伊織達の代が出向いて学び舎を不在にする間、雛達の座学や鍛錬に支障が出ないよう上手く調整しなければならない。そして、それを采配するのは他でもない榊の役目だ。この場に残ることを許されたことにも合点がいく。



「時に伊織」



 報告を終え、腰を上げかけた伊織に翁が声をかけた。話はまだ終わりではなかったかと、伊織はもう一度腰を据え直した。



「そなた、左近に頼まれて以之梅の鍛錬を手伝っているそうじゃな」

「はい。他の者と交代でですので、そう頻繁にではありませんが」

「ふむ。そなたから見て以之梅の子らはどうじゃ?」

「どう、とは?」

「あぁ、そう難しい顔をせずともよい。実はな、おって皆には知らせるが、とある御方の御子をお預かりすることになってな。さる事情で、大人がお世話をできず、子供達に頼もうと思っておるのだが」

「それでしたら。以之梅の子らは明るく元気よく、素直な良い子達でございます。担当の左近や隼人の方が彼らのことを理解しているとは思いますが、互いを助け合い、まとまりのあるよい組かと」

「ほぅ。そうかそうか」



 代の大将を務める程信頼のおける伊織の言葉に、翁も満足そうに目を細める。

 折につけ、雛達の顔を見に学び舎へやって来る翁だが、ここ最近は多忙ゆえに、そういう機会もめっきり減っていた。子供達の近況が聞けるのは、それも良い評価を聞けるのは、八咫烏の長として、また孫や曾孫のような存在を慈しむ者として、随分と喜ばしいことでもあった。


 伊織の言葉に、黙って話を聞くだけに留めていた榊も口を開いた。



「以之梅であれば、団次もおります。実技もほぼ庭内でですので、問題ないかと。……しっかり者の宗右衛門もおりますし、お世話ができぬということはないでしょう」

「そうかそうか。では、御子は以之梅に任せるとしよう」



 決定事項は速やかに下に下ろすに限る。



「今日の鍛錬が終わり次第、団次と隼人をここへ来るように伝えておいてくれ」

「承知しました」



 頭を下げた伊織に、翁は下がってよしと言葉をかける。


 部屋を後にした伊織に遅れること数瞬、再び襖の外から声がかけられた。入室の許可を出すと、襖が開かれ、八咫烏の一人が部屋へ入ってきた。



「榊のことは気にせず、報告をして構わん」

「はい。伊織の代が動いている任務ですが、前右府様、右近衛権少将様より“仔細承知”とのことでございます。書状はご両名ともこちらに」

「うむ。ご苦労であった。さがってよいぞ」

「はっ」



 渡された書状にはそれぞれ正式な文書であることを示す印も押してある。


 前右府――昨年右大臣の座を退いた、今現在天下取りに一番近いと言われる尾張・美濃の織田信長。そして、右近衛権少将――織田と同盟関係にある三河・遠江の徳川家康。


 今回の件には両者の協力、というより、両者から八咫烏への不干渉かつ不可侵であることが必要不可欠であると、翁はすでに行動を起こさせていた。


 天の時、地の利はまだ分からぬが、少なくとも人の和はこちら側にあると言えよう。そして、古人いわく、人の和こそ最も大切にすることとある。捕虜として捕らえていた老将の無言の抵抗も、こうなれば最早無意味なことであった。



「……伊織から話が?」

「いや。団次からの報告後、真っ先に動こうとするのは目に見えていたからのぉ。先に根回しをしておいてやったのじゃ。既に両者に話をつける算段をとったこと、今回の策を練った上で実行の許可をとりにきた時に伊織には伝えておる」

「そうですか」



 さすがは八咫烏のおさ

 任務の第一線からは遠く離れたとはいえ、張り巡らせる策謀や要人への根回しの的確さと迅速さは、まだまだ追随を許さない。



「先手を打たれたと苦笑しておったわ」

「それはそれは。まだまだあれらも我々にとっては雛も同然。ことがことだけに、いつもは出し抜かれている他の代も躍起になるのは明らかでしょうに。……爪の甘い」

「ほっほっほっ。よいよい。何事も経験じゃ」



 翁は榊のかつての教え子達に対する評価の手厳しさに、好々爺然として笑ってみせた。そのまま立ち上がり、格子窓から覗き見える外の景色を眺めだす。



「経験を積み重ねる。良いことも、悪いことも。そうやって人は成長してゆくのじゃ。老いも若きも、それこそ死ぬまで、な」

「……私も成長途中、ということですか?」

「ほっほっほ。そなたなど、まだまだこれからじゃろうて」



 どこか不服そうな響きを含ませた言葉に、翁は榊の方を振り返ってまた笑う。

 まだ壮年の域に達したばかりの榊の歳など、このご時世でなくとも老齢の翁からしてみれば、ようやく折り返し地点に立ったようなものである。

 

 やはりまだまだ敵わぬか、と、榊が息を吐いた。


 それと時をほぼ同じくして、ぼーん、と、里の外れにある寺の鐘が鳴った。



「そろそろ戻らねば」

「もうそんな時間か。……久々にお菊の飯が食べたくなってきた。たまには里にも顔を出して、料理を振舞ってくれるように伝えてくれ」

「承知しました。それでは」



 頭を下げ、榊も部屋を退出していった。


 残るは翁、ただ一人。



「秀で過ぎていても……困りものじゃがな」



 ぽつりと呟やかれた言葉は、誰にも聞かれることはなかった。


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