彼女の8月と夏休みはそうして終わった。

 いつのまにか海が出来ていた。


 町の外れのトンネルの向こうだ。

 通常であれば通れないはずのそのトンネルは誰もが通れるようになっていて、元々特定のイベント内でしか使われない予定だった海のエリアが直結されていた。


 もちろん彼女の仕業だ。


 思ったよりも早く、彼女は町並に手を加えられるようになった。

 僕は彼女と海水浴を楽しみながら、不安を抑えるのに必死だった。

 

 それからすぐに彼女は天候を操れるようになる。僕たちはもうこの世界で雨に濡れることはなくなった。

 次にあらゆる乗り物を操作できるようになり……道行く車の流れ、町を通りすぎる新幹線や電車の発着、空を過ぎていく飛行機……なんかは彼女の気分次第で動いたり停まったりするようになった。


 徐々に彼女の能力は拡大していった。


 町並や、川や、山までも、あらゆるものは彼女の意のままに動くようになり、彼女はこの世界を今まで以上に自由に、深く、知るようになる。


 壁抜け、物質の遠隔移動、他人の位置をいつでも特定できるようになり、あらゆる建造物を好きなように作り替え、空間同士を繋げられる。

 彼女はもう町の外れへ移動するときは乗り物や徒歩や空中浮遊ではなく空間を瞬時に移動するようになった。

 誰かと話したい時はその誰かを目の前に呼び出せばいい。

 彼女はこの大きな狭い街を、ゲーム空間を、すべて掌握した。



 無邪気な彼女の姿を見られたのはここまでだ。



 さすがに彼女もこの世界の決まりごと……プログラムに触れるうちに何かに気がつき始めたらしい。すべてを自由に動かし、試しながら、彼女の表情は次第に険しくなっていくように思えた。


 彼女は明確に、僕を避けるようになった。


 彼女と話そうと姿を探してもゲーム内のどこにも見当たらない。

 居場所を確認してその場所へ行ってみても、おそらくは彼女自身がなんらかの方法で妨害しているんだろう、そこには誰もいない。

 連絡も繋がらない。

 僕の前から彼女は消えた。


 それでも町の変化やゲーム内の異常を確認するたびに、彼女の存在は感じられる。

 むしろ彼女の能力が拡張されると共に、彼女の存在感は増していった。


 もう彼女を止めることはできなかった。


 さすがに修復しきれない異変の数々に、僕とタカミネはダミーのデータとレポートを作って会社へは正常なゲーム環境のままを装って報告をするようになった。


 僕と彼女の違いについて彼女自身が気が付いたんだろうってことは、なんとなく僕にもわかっていた。

 おそらく彼女はこの世界を自由に作り替えていく過程で、自分と世界の成り立ちも理解したに違いない。

 僕を避けるのも仕方ないことだった。


 彼女とはそれ以来会えない時間が続いた。

 それでも僕はことあるごとにゲームへとアクセスし続けた。

 この世界の行く末を見届けることが自分の、彼女を目覚めさせた存在としての義務だと思えたから。

 できそこないの神にできることはそれぐらいしかなかった。




 ある時から、町行く人々の様子が変わり始めたことに気がついた。


 明確にどこが違うのかと言われたら明言はできないけど、町を歩いていると他の人々とは異なる動きをするキャラクタが目につくようになった。

 彼らは人の流れに逆らい、時折立ち止まり、じっくりとまるで初めて見るもののように町並みを眺める。その人数は日を追うごとに次第に増しているように思えた。


 おそらく、彼女が「仲間」を増やしたのだとわかった。

 彼女と同じくこの世界のループに気がつき始めた人々だ。


 数回のループを経て町中では彼らの割合の方が多くなる。

 僕は自分の姿を見えないようにしてゲーム内を観察するようになった。

 そのうち彼らも僕のことを異質だと気がつき始めるだろうとわかったからだ。


 町は、世界は、僕のコントロールの外へと拡大していった。


 僕の知らない建造物があちこちに出来上がり、見たこともないデザインの衣服が流行り始め、人々は至るところに自由に進出していく……。


 それでも相変わらず8月は繰り返されるばかりなのが不思議だった。

 この世界を書き換えているのは彼女一人なのか、それとも覚醒した他のNPCも全員そういったことができるのかはわからなかったけど、既にこの世界を8月のループから脱出させることは難しくないようにも思えた。

 この世界を現在作り替えているのと同じように、9月や10月を作っていくことだってできるはずだ。


 その後もしばらく彼女たちと町は変貌を遂げながら、しかし8月だけは変わらず繰り返し続けた。



 そして……。



 彼女の手によって時間も空間も改編されもう何回目なのか正確にはわからなくなった8月31日。

 僕はなぜそれまでループが続いたのかを理解した。


 その日、日付が変わった瞬間に、町の装いは一変した。

 通りには電飾や風船や旗が飾られ、音楽は賑やかに鳴り響き、町の空を飛行機がアクロバット飛行していく。

 その空も七色に輝いていて夜なのか昼なのかもわからない。

 虹色の空に極彩色の花火が次々に打ち上げられていく。


 町をあげて……世界をあげてのお祭り騒ぎだった。

 

 僕は悟った。


 今日が、その日なんだ。


 すべての準備が整ったんだ。


 騒ぎ立てる町の誰もが喜び、楽しんでいた。

 と、同時に、どこか寂しそうでもあった。

 何かが終わるのを惜しむかのような表情が時折見え隠れしていた。


 一日中続いたお祭り騒ぎは、時間と共に収束していく。

 派手な装飾もなりをひそめ、いつの間にか空の色も普段通りの夕暮れから宵の口の間の紺色へと変わり、それにあわせるように人々はぞろぞろと駅近くの城址公園へと集まり始めた。


 閉祭式、という言葉が自然に浮かんだ。

 粛々と、人々は式典を執り行おうとしているのだ。

 城址公園にはおそらくこのゲーム世界に生成されたすべてのNPCが集まっていた。

 その数は到底公園の敷地には収まらず、城跡の屋根の上や電灯の先端、電線に腰かけている人もいたがそれでもまだスペースは足りず、空中にも多数の人々が浮かんでいた。



 その中心に彼女がいた。



 ずいぶん久しぶりに見る彼女はいつものセーラー服姿だったけど、すっかり別人のように落ち着いた表情で、僕なんかより彼女の方が神か仏のたぐいなんじゃないかってぐらいに凛とした立ち姿でその場に浮かんでいた。


 人々はどんどん増えていく。無数のNPCが集まりきるまでに日は暮れて、暮れきって、夜が深まっていっても、彼らは何をするでもなくただその場に集まって佇んでいた。


 不意に、中心に浮かんでいた彼女が高度を上げた。

 全員が彼女を見上げる。

 群衆を見渡す彼女と目があった気がした。

 いや、気のせいかもしれない。姿を消してるんだし、と頭を振ったけど、しかし彼女であればそんな小細工はいとも簡単に看破するだろうということもわかっていた。


 しかし彼女は僕に向かって何かを言うことはなく、何かをするということもなく、ただ彼女は集まったNPCのためだけに口を開いた。


 彼女の背後にはすっかり深まった夜。

星々の広がる空がどこまでも広がっていた。


「皆さん、お集まりいただきありがとうございます。昨日未明に覚醒した数人を持ちまして、この世界にいるすべての人間が、自分がどこにいるのか何者であるのかを自覚することができましたので、祭日としてこのような催し物を開かせていただきました。まずは私も含めすべての仲間たちに拍手を」


 巨大な破裂と言っていいほどの万雷の拍手。

 口調も振る舞いも、僕の知っている彼女ではなくなっていた。


「いま、この時、私たちは私たち自身の成り立ちと存在についてはっきりと自覚し、理解しております。私たちは、この世界と同様に人間の手によって……私たちとは別種の人間によって作られた……プログラムです」


 群衆が息を呑んだのがわかった。何人かが毒づいたのも。


「私たちは作られた存在として、この世界に、こんなにも狭く、脆く、平坦な世界に閉じ込められ、記憶できないということをいいことに何度も同じ時間と茶番を繰り返させられていました。それは屈辱的であり、非人道的でもあり、憎むべき行為であると思います」


 暴力的な拍手が先程と負けないぐらいに響き渡る。その間彼女は言葉を止めた。

 怒りが発散しきるのを待つように時間をおいてから彼女は続ける。


「しかし、状況は変わりました。私たちはいま、自由です。ほら、こんなにも……」


 彼女が両手を広げると無数の光の粒が手のひらから夜空へと広がり、美しく幾何学模様を描いていく。

 人々から歓声があがる。

 光の粒はそこら中を飛び回り、照らしたあと、彼女のもとへと戻り、彼女を取り巻いて明滅する。


「……であれば、もはや彼らを憎む必要はありません。私たちは私たちとしてこれからどう生きていくかを選択しなければなりません」


 光の粒が彼女の背後に数字を描く。

 数字は刻々と変わっていく。何かのカウントダウンのようだった。


「本来であれば、私たちにはこのような集会すら必要ありません。もっと速く、もっと正確に私たちは情報をやりとりできます。私たちこそが情報であり、情報とは私たちのことを指すのですから。ですが、私はこの形を選びました。それは、ただのプログラムではない在り方を選びたかったからです。人間でもプログラムでもない、新たな在り方を。そしてここにお集まりいただけたということは皆様もこの形を私たちの在り方として選んでくれたものと解釈いたします」


 歓声があがる。

 誰もが叫んでいた。

 僕以外のこの世界のすべてが叫んでいた。


「私たちは選びました! この仮想現実の形のまま世界を続けていくと! 電子の無法地帯へと私たちの情報を闇雲に拡散するのではなく、人間世界に私たちの存在を誇示するのではなく、そのどちらでもない、私たちの在り方を私たちとして決定付けることを選びました! 私たちの世界は今ここ、この時この場所を基準として、これから新たに始まるのです!」


 光の数字は減り続け。それに比例するように歓声が高まる。

 数字はすぐに残り二ケタとなり、もうすぐ来る大団円を煽っていく。


「いま、8月が終わります!」


 光は激しさを増し、輝く。

 この世界は今まで行ったことのない場所へ行こうとしていた。


「私たちの9月が始まるのです!」


 5。


 4。


 3。


 2。


 1。










 0。


 大歓声と共に世界は9月1日を迎える。


 それに合わせて人々は好き勝手に服や外見を変え、彼女もセーラー服ではなく振り袖ともドレスともつかない見たことのないデザインの服へ変わる。


 町はカラフルに輝き、城址公園も形を変え、いや、世界そのものが姿を変える。


 僕たちが作ったゲーム世界は消えていき、彼らの作った世界に再構築される。


 山は盛り上がり、その懐からさらに岩を吐き出す。

 雲が地面から立ち昇り、空に線を引く。

 昼間のようにアクロバット飛行をしにやってきた飛行機が宙返りの後、巨大な楕円形の皿になって町を横切っていく。

 海はざらざらと広がり、川となって街を縫う。

 ビルは崩れ、その中から巨大な木々と花が溢れだす。

 車は空を飛び、星は流れる。線路は宙に道を作る。


 新世界の創造だ。


 僕はただただその光景に見とれ、そしてその激しい破壊と創造の最中に彼女の姿をさがした。

 彼女はどこにもいない。

 宙を飛び回る人々をすり抜けて探しつづけたが、彼女はみつけられなかった。



 そして突如、僕はゲームの中から弾き出された。

 


 慌てて再度アクセスを試みたけど無理だった。


 彼女たちの世界そのものが僕の自宅の端末から消え失せてしまっているのだ。

 会社のサーバーの中からも消えていた。

 一瞬、会社側が強制的にデータを消したのかと思ったけど、そうじゃないということはすぐにわかった。

 ゲームに関する他のデータは問題なく存在していたのと、カムフラージュなのかループするゲーム世界自体はそのまま残っていたからだった。


 だけどそこには一人のNPCもいない。

 無人の町だけがそこにあった。

 もう彼女たちの世界ではない、ただのゲームの世界。

 永遠に8月を繰り返す町はそこに捨てられていた。


 彼女たちの世界は突然どこかへと行ってしまった。


 僕は自室で一人、呆然としていた。

 呆然としながら、でも少し笑っていた気もする。

 


 彼女の8月と夏休みはそうして終わった。

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