大正夢浪漫・いろは紅葉
スズキアカネ
色は匂えど
【壱】
一組の男女が、お互いを食い入るように見つめている。
──人が、恋に落ちる瞬間というのはこうも急なのか。その瞬間を見た私は、あぁ、とうとう始まったなと感慨深いものがあった。
2人が出会った。運命の出会いを果たした彼らの恋物語が始まるんだな……
何故そんなに他人事風なの? と問われたら困るが、私はこの世界を知っている。よくわからないけど記憶に焼き付いて離れないのよ。
長方形の薄っぺらい箱の中に人が入っており、その中で彼らは生きていた。…いや語弊があるな。その箱の中の彼らは“演じて”いたのだ、この世界の物語を。私はその観客だった。
その名もテレビ。
文明の利器を通じて私は芝居を見ていた。芝居の名は【大正浪漫・夢さくら】だったはず。名前の通り大正時代風の恋愛ドラマだ。時代考証はあまりされていなかったからあくまで大正“風”でしかない。
時代物ってことで、あまり視聴率は上がらなかったみたいだけど、私は結構好きだった。
主人公はタイトル通り、【さくら】だ。さくらは吉原にいる遊女であった。ちなみに花魁とかではなく、見世でお客さんの指名を待つ遊女だ。
あらすじは、一介の遊女であるさくらが吉原の大門の前でとある男性と出会うシーンから始まり、2人はお互いに一目惚れするのだ。そこから恋は始まる。つまるところ、男性は馴染み客としてさくらのもとに通うようになる。
で、そのあと山あり谷ありな事が起きて最後は大団円になるんだ。
そう、舞台は大正時代……テレビのある時代よりも昔の時代。
まぁ、今が大正時代なんですけどね! 私は日本のようで日本じゃない世界にタイムトリップ転生(?)したというわけだ。その記憶を思い出したのはいつ頃だろう。
幼い頃から断片的に思い出していたけど、完全にそのドラマの記憶を思い出したのは、私が女学校に入学した年だ。
ずっと不思議だったけどそれで納得した。何故こんなに文明が後退しているのかって思っていたけど、そもそも生きている時代が違うのね。しかもドラマの世界と来た。
大正“風”だから、大正時代であって、大正時代じゃないというよくわからない世界なのだ…
「…
「はっ!
私が建物の影から彼らの出会いを眺めていると、背後から声を掛けられた。振り返った先にいたのは、うちの下宿生である。
「ダメですよ、お嬢さんのような方がこのような場所に来ては」
注意されてしまった。そうね、商家の娘が吉原周りを彷徨くのは色々マズいよね。
吹雪さんの手には本の束があった。古本屋で書物を購入した帰りだったようだ。まだ彼の出番ではないのに、エンカウントするとこだったじゃないか!
実は彼も、あのドラマの登場人物。
当て馬役のビンボー書生、吹雪である。名前の通り、肌が雪のように白く線が細い男性だ。幸薄そうな美青年で、すごく勤勉で博識。うちの家の居候をしている。
だが、相手役の青年は、亜希子を妹のように想っており、すっぱり振られる立場なのでその辺はご安心を。
……ぶっちゃけ私は……あのドラマ内での一途で健気な商家のお嬢さん、亜希子とはかけ離れた存在だ。私こそ、相手役の青年──
恋愛対象としては見ていないので、横恋慕して奪う気はないんだ。
私が間に入って行かずとも大丈夫だとは思うが、いざというときは割って入って2人の恋の炎を炎上させなければ……!
そうだ! 目の前にいる吹雪さんの方が重要な役柄なのだ! さくらのことを好きで好きで仕方がないけど、彼女が別の男を想っていると知った上で彼女の応援をするのだ。心から血を流す想いで、さくらを見送るのだ。
あの時ばかりは吹雪に感情移入して泣いてしまったな。そりゃ吹雪は貧乏学生だから地位も金もないけどさ! すっごい、優しくて頼りがいのあるいい男じゃないかって!!
「ほら、早く帰りましょう、旦那様と奥様が心配なさりますよ」
「う、うぅん、もうちょっと…」
確かに吉原の周りをうろちょろしているのはあまりよろしくないな。吹雪さんは心配して私を帰そうとしてくれているのだってよく分かる。
しかし後生だ頼む。あのドラマの運命のシーンをもう少しだけ見させて!
あのドラマの序盤で海軍服姿の忠お兄様はたまたま偶然道端で腹を抑えて蹲る男を発見し、介抱する。男に言われた場所まで背負って運んであげるのだ。
その男は吉原の一角で店を構える楼主だった。お礼にお座敷で遊んでいってください、と言われて困っているところを、大門近くにいたさくらが止めるのだ。
「2人はお互いに一目惚れ…はぁぁ…現実ではありえない奇跡…」
「お嬢さん、また変な恋愛小説でも読んだんですか? アレに登場するような男はこの世のどこにも存在しませんからね?」
そうじゃない。
アレは同級生が無理やり貸してきたから適当に感想を言うために読んでいただけ。『飛んでいってはダメだよ、僕のかわいい小鳥さん』とか言ってくる男とか嫌だよ。なにが小鳥さんやねん。気持ち悪いわ。
だけどこの世界の女性はそんな気障な男性にときめくらしい。そのせいで同級生とお話が合わなくて困っている。
「私はああいう頭悪そうな男より、知的で博識な人が好きなの! そう、女が学問をしても許してくださる方が良いわ!」
私は現在女学校に通っているが、女学校で学ぶことは勉強のためと言うより、花嫁修業の意味合いが強い。卒業すればお嫁に行くという流れが世間一般の認識であるこのご時世。
そんな中で勉学に目覚めた私は異質な存在であった。友人たちは優しい子たちなので理解してくれるけど、勉強が出来る私を見て眉をしかめる教師や同級生がいるのは気づいている。女に学など必要ないという時代だからだ。
幸い自分の両親は、年老いて生まれた娘の私を猫可愛がりしており、学びたいと希望すれば助力してくれる。蝶よ花よと育てるだけでなく、自力で立てるように支えてくれる素敵な両親だ。
私は両親が大好きだ。だから彼らの自慢の娘でありたい。
私が、男性に負けないくらい優秀になれば帝大を目指せるかもしれない…! 医療や文学で名を馳せている女性たちがいるもの。彼女たちは『女のくせに』と冷たい目にさらされても、胸を張っているじゃないか。私にだって道を拓けるかもしれない。
女を可愛がるふりをして、陰では女のくせにって嘲笑している男性なんて嫌よ。
勉学を愛する私ごと好いてくれる殿方が良い!
「……つまり、俺は亜希子お嬢さんの理想に近いってことですよね」
ボソリ、と呟かれた声。
私は聞き間違いかと思った。口を閉ざすと吹雪さんを見上げる。
彼は先程までとは違う、真剣な眼差しで私を見下ろしていた。その瞳を見返すと、どんどん吸い込まれそうな錯覚を覚えた。
「えぇ…と? …吹雪さんも優秀でいらっしゃるし、私が勉強しても変な顔なさらないものね。言われてみればそうね?」
別に名指ししたわけじゃないけど…言われてみれば確かに、吹雪さんは私の理想にぴったりである。
思えば始めから吹雪さんは私を色眼鏡では見なかった。そもそも彼にとって【勤勉な女】という存在自体どうでもよく、興味がなかったのであろう。
下宿を始めた頃は勉強にしか興味なさそうだった彼と打ち解けたキッカケはやはり勉強であった。
女学校で配られる教本は女学生向けで(私基準で)易しいものばかり。なので吹雪さんが読んでいる本や学んでいる内容に興味が湧いた私が質問攻めにしたのだ。始めは迷惑そうな態度を隠さなかった吹雪さんだったが、徐々に態度が軟化していった。
この時代、教科書や紙というものは大変高価で、吹雪さんが使っている教科書はお古だった。幾多もの人が使用してきた跡が残っていた。そんな大切な教科書を開いて口頭で教えてくれるようになったときは、心を開いてくれた、歩み寄ってくれたのだと感動した。
「俺は期待されていない三男坊ですから、婿入りも出来ます」
「あら、優良物件ね」
私は一人娘。私が嫁に行ってしまえば、家には両親の他に、奉公人が残るだけだ。なので希望としては婿取りを考えているのだが……両親は私のお相手選びにとても厳しい条件を課しており、縁談話が持ち込まれても、尽く切り捨ててしまう。…まだ相手は見つかっていない。
…まぁ、私も学業を許してくれる相手じゃなきゃ嫌だって言っているから、自分の言動のせいで縁談がまとまらないんだけどね…。
「俺は浮気もしませんし、博打も酒もしません」
うーん、どうしたの吹雪さん。逆玉の輿を狙っているのかしら。
私の手をしっかり握って熱く見つめてくるが、ここ往来だからね? 人に見つかったらはしたないって冷たい目を向けられちゃうと思うの。
「…亜希子お嬢さん…俺…」
吹雪さんは緊張した様子で何かを言おうとした。
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