第232話 ファイター&ブレイダー

「――アンジー?」


 ふと、死屍累々の廊下を走り抜けるフォンが、少しだけ振り向いた。

 遠すぎる気配の中、アンジェラに呼ばれたような気がしたのだ。声が届く距離ではないのに、どうにも耳元で、無事を祈ってくれたと思えてならなかったのだ。


「どうしたの、フォン?」


 並走するクロエに声をかけられ、フォンは迷いを振り払う。


「……いや、何でもない。それよりも、この先の通路を右に曲がった先が屋根への通路だね」


 既に何度も忍者兵団を退けた彼らは、もうハンゾーの足元まで迫っていたからだ。ここで余計な感傷に捉われていては、倒せる相手も倒せなくなってしまう。


「アンジーに教えてもらった道順が正しければ、『金楼の間』から『玉座の間』を通って、階段を上れば屋根に着くけど……恐らく、一筋縄じゃいかないな」


 事前にアンジェラから、宮殿全体の地図を借りていたのが幸いだった。

 頭の中にそれら全てを叩き込んでいたフォンは、後幾つかの大きな広間を抜ければ、屋根へと続く階段があると知っていた。だが、同時に妙な違和感も去来していた。


「敵、もう追ってこない。諦めた?」


 さっきの忍者兵団襲撃を最後に、敵の攻撃がぴたりと止んだのだ。

 遮る者も、妨害する者もいないなど、ハンゾーが率いる軍団においてはありえない。


「宮殿の入り口に戦力を割いているのでござるな。とはいえ、こちらを無視するとは思えないし、この先に誰かが待っていると考えるのが妥当でござろう」

「待ってるって、誰が?」

「向こうの戦力的に、兵団の奥はアンジーと王子のところに行ってる。こっちには少数精鋭になりえる面子を用意しているはずだ。控えているのはリヴォルか、若しくは――」


 話しながら眼前の大きな扉を蹴破ったフォンの前に、果たして答えは待っていた。


「――やっぱり、か」


 広い、広い豪奢な空間の中央で立ちはだかっていたのは、サラとジャスミンだった。

 かつての面影が残っているのは、顔つきとジャスミンの二刀流の剣だけ。漆黒の纏と醸し出す雰囲気、強烈な敵意は以前の二人ではない。


「待ってたよ、クソ忍者ども」

「ここから先は誰も通すなって、マスター・ハンゾーの命令だよっ!」


 早々に構える二人は、クラークでも、自分でもなく、ハンゾーの意志に従っていた。

 これまでは自分が強いと証明する為に、或いは自分が誰よりも可愛らしいと証明する為に戦いと悪事を重ねてきた二人だが、今はその面影すらない。どこかの誰かの命令に従うなど、絶対にありえなかったはずだ。

 瞳をぎらぎらと輝かせたサラも、ジャスミンも、自我は残っていないようである。


「サラ、ジャスミン……二人とも、やっぱり洗脳を……」

「間違いないね。『王来の間』でもそうだったけど、ハンゾーの忍術の影響で完全に命令を遂行するだけの人形にされてるようだ。説得なんて、聞かないだろうね」


 仕方ない、と言いたげにフォンが苦無を抜き、敵を見据える。


「やるしかない、か。だったら僕が――」


 彼としては、なるべく早く決着をつけるつもりだった。ここで二人を相手にすることそのものがタイムロスに繋がるとしても、相手をしなければ上の階に行けないと思ったからだ。

 しかし、ゆらりと前に出ようとしたフォンより先に、一歩進み出た者達がいた。


「――お前達、そんな余裕ない。上に行くのが、一番大事」

「師匠、ここは拙者達にお任せを! クロエ、師匠を頼んだでござる!」


 サーシャとカレン。

 一対の『ドラゴンメイス』と長い爪を携えた彼女達が、フォンの前に出たのだ。


「サーシャ!」

「カレンまで!?」


 驚くフォン、クロエの前で、比較的好戦的な二人は鼻を鳴らす。


「幸い、奴らには……特にあのチビ剣士は拙者に恨みがあるようでござるからな! 今度こそ、ここで引導をきっちりを渡してやるでござる!」

「決着を望む、サーシャ、歓迎! 叩き潰して、終わらせる!」


 自分達が留まる代わりに、フォンとクロエを先に進ませると言っているようだった。

 フォンは正直なところ、ここで仲間を留めさせるのには一抹の不安があった。忍者によって強化された敵の力は未知数で、まず間違いなく忍者兵団の雑兵よりも強い。何よりハンゾーに洗脳された者は、いかなる手段を用いてでも役目を果たすと知っているのだ。

 だが、ここで間誤付いていることもまた、ハンゾーの思惑通りでもある。

 迷っている暇はない。フォンは刹那、刹那の狭間でだけ考え、結論を出した。


「……頼んだ! 行こう、クロエ!」


 彼はサーシャとカレンの肩を叩くと、クロエの手を引いて走り出した。


「うん! 二人とも、絶対に死んじゃ駄目だよ、絶対だよっ!」


 二人に激励の言葉を飛ばすクロエと、もう後ろを振り向かないフォンが向かう先は、サラ達の方角ではない。上の階に繋がる階段がある扉は、彼女達から見て右側にある。


「だーかーら、行かせないって言ってるでしょッ!」


 当然、ハンゾーの部下は逃走行為など許さない。特にジャスミンはサラよりも好戦的な面があったのか、握りしめた剣を携えて突進してきた。

 狂気の笑みを浮かべてフォンを切り刻もうとした彼女だったが、それこそ、フォンやクロエの仲間に対する蛮行を許さない者がいるのを忘れているようだ。


「させないとも言ったでござるよ! 忍者体術『花蓮殺法カレンさっぽう』!」


 瞬時に双方の間に割って入ったカレンが、ジャスミンの剣を爪で弾いた。

 フォンの予想通り体は強化されているようで、攻撃を防いだカレンの腕が痺れる。その隙を逃さず、今度はサラのかかと落としが猫の脳天を狙う。


「邪魔してんじゃないよ、このガキッ!」

「邪魔はお前ら! サーシャ、仲間を傷つける奴、許さないッ!」


 サラの強靭な足の一撃を、今度はサーシャのメイスが防いだ。二人の攻撃が不発に終わった時には、もうフォン達は扉を開き、別の部屋へと向かっていた。


「ちぃッ、このぉ……!」


 距離を取りつつ、殺意の視線をぶつけるサラとジャスミン。

 この程度で怯むほど、やわな忍者パーティではない。視線を潜り抜けた数と修行の日々は、洗脳程度で強くなった元勇者の仲間に負けるような軟弱なものではない。

 戦士と猫が並び立ち、顔を敵に向けたまま、拳をぶつけ合う。


「さて、と! さっさと倒して、師匠達に追いつくでござるよ、サーシャ!」

「サーシャ、承知! カレンと一緒に、直ぐにぶっ潰す!」


 そして、広間を揺るがすほどの雄叫びと共に、戦いの幕が上がった。

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