第195話 ニンジャ・シン③

 彼らの激突は、もう人知では及ばないほどの力と速度のぶつかり合いとなっていた。


「うおおおぉぉッ!」

「はあああぁぁッ!」


 刃は既に個体を形取ってはおらず、彼らに纏う白と黒の風に変貌していた。触れれば腸を、肌を引き裂く危険極まりない攻撃の具現は、しかしどちらも傷つけない。

 カン、と鍔迫り合う音が重なり、蟲の絶叫の如く狂騒曲を奏でる。瞳が忙しなく動き、消えた敵を追い、前方であろうと背後であろうと斬撃を弾く。

 それだけに留まらず、衝突する隙間を縫うように、双方が空いた手で服の裾から赤い布を取り出す。空気に触れてちりちりと嫌な音を立てる布を互いにぶつけ合い、叫んだ。


「「忍法・火遁『爆炎布』ばくえんふ!」」


 次の瞬間、布を中心として発生した炎が炸裂し、二人とも弾き飛ばされた。

 どちらも同じ火遁忍術を使うのは当然だ。すかさず起き上がった二人は、今度はそれぞれが持つ武器を中心に高速回転し、旋風を発生させる。


「「風遁『鋼凩』はがねこがらしッ!」」


 今度は風が激突する。頬を、壁すら裂きかねない剛風が晴れると、再び刃同士がぶつかり合う。目に見えない速度が、戦いを極限へと昇華させる。


「ちぃ……!」

「くっ……!」


 超高速の世界で、フォンとフォンが瞬き一つ許されない死合を繰り広げる。

 刃が欠け、地面や壁が抉れ、雄叫びすらも殺意を孕む。

 だが、無限に刀と苦無、忍術が激突し合う戦いにも、変化が起き始める。今のフォンが振るう苦無が、過去のフォンに掠り始めたのだ。確実な殺傷には至っていないし、傷も見えないが、確かに優勢を保ちつつある。

 強い力で弾かれ、距離を取らざるを得なくなった過去のフォンが、ぎろりと睨んで吼える。


「ぐッ……俺を殺すか! 人を殺める道しかないと、覚悟したか!」


 死を与えるつもりかと怒鳴りつけるフォンに対し、今のフォンは苦無を構えながら、首を横に振る。瞳に宿っているのは怒りではなく、慈愛と模索だ。


「いいや、違う! 僕が選んだのは『人不殺』の道だ! 先代が望み、叶わなかった願いを僕が継ぐ! 君も殺さない、僕は僕を殺めない!」

「甘ったれた考えをいつまで言っているつもりだ!」


 そんな彼の心情が怒りを煽っているかのように、彼はもう一度襲い掛かる。

 今度は、さっきよりもずっと強い斬撃だ。油断すれば防御した腕そのものを持って行かれそうな感覚を浴びせられ、今度はフォンが影を斬り払う。


「先代の願いが無意味であると、死でしか忍者は繋がれないと悟ったはずだぞ! 俺が進む道は、フォンが進む道は一つしかない! 忍者の在り方に従う未来だ!」

「諦めることこそ、忍者の道に反している! そんな未来を、先代は望んでいない!」


 フォンが蹴りを叩き込もうとすると、過去のフォンは彼から離れ、刀を逆手に持ち替えた。

 忍者の本来の刀の持ち方は、逆手に持ち替えるのが正しい。一瞬で敵を仕留める手法だ。

 ――つまり、決着をつけるつもりだ。

 その姿を見たフォンも、確実に腹を括った。苦無をこちらも逆手に持ち替えると、姿勢を低く屈め、眼前の闇全てを見据える。


「見解の相違だな……どちらかが斃れるしかない、そして斃れるのはお前だ!」

「希望はある……僕は、僕の道を貫く!」


 どちらにも逃げ場はない。

 どちらも逃げる気はない。

 少しの間。完全なる無音。狂気と冷徹に満ちた静寂は――。


「「おおおおおぉぉぉ――ッ!」」


 二人の突進によって、裂かれた。

 全てがスローモーションに見える。敵の動きも、己の動きも、苦無が煌めく鈍い光ですらも静かな闇に吸い込まれる最中、迫り来る敵を見据え、フォンは思った。


(――ここで僕が僕を殺して、それで終わるのか?)


 仲間のもとに戻る為に、自分はこれから過去を滅する。

 そうしなければ自分が死に、仲間達の気持ちを裏切ることになるが、仮に過去のフォンを殺めれば、今度は師匠が受け継いだ過去を殺すことになる。


(生まれた想いすら踏みにじって、仲間の元に戻り、ただそれだけで終わるのか? 師匠、僕はどうすれば――)


 どうすればいいのか。

 何を成すべきなのか。

 これまで全てを自分で判断してきたつもりであるフォンは、初めて他者に願いを委ねた。為すべきことを見出せないでいる彼に募るのは、今と夢の狭間。

 視界が移り替わり、想起するのは思い出の最中。

 ――木陰の下にもたれかかり、直立不動のフォンに語り掛ける、先代フォンだ。

 曖昧な記憶の在り方とは違い、明確に彼は話しかけてきた。激突によって生み出され、流し込まれてきた記憶ではない。フォンの中にあった、確かな残滓だ。

 そんな中で、先代はからからと笑いながら、フォンに言った。


『――フォン、『人不殺』よりも、俺がお前に教えておきたいことがある』


 何気ない会話のつもりだろうが、フォンは相変わらず仏頂面だ。


『掟なら全て学びました。表と裏の掟、併せて百八十七を体得しました』

『いや、俺が教えたいのは掟とはまた別の、人生で大事なことだ。お前だっていずれ向き合う、大きな苦しみだ』


 彼を諭すように話し始めた先代は、少し顔つきが険しくなった。

 まるで、彼が辛い宿命を背負うのを知っているかのようだった。


『お前は確かに、任務で素晴らしい成果を上げている。けどな、いつか大きな痛みと喪失、或いは罪の意識に苛まれる。それは人を殺めたりだとか、人道に背いたりだとか……そうだな、生まれ持った血の邪悪さだったり、とかな』

『……? 言っている意味が分かりませんが』

『今はな。分かる日が来る』


 先代は少しだけ、その話をするのを迷っているようにも見えた。しかし、自分を納得させるかのように小さく頷くと、木陰から出て、フォンと向き合った。

 明るく暖かな陽の光を背に受ける彼の目には、涙が浮かんでいるように錯覚した。


『いつかの為に、覚えておいて欲しい――罪と向き合うのに一番大事なのは、許すことだ』

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