第179話 ニンジャ・マウンテン

 さて、時はクラーク達の大脱走から数日程前に遡る。

 霞が纏う山麓の中を、人影が歩いていた。

 木が生い茂り、滝が轟轟と流れ落ちるこの世界は、人どころか獣の姿すら見えない。それはつまり、幾つも連なる山々が、まともな生物が住まうのに適していない環境である証拠だ。

 少しの先も見えない視界、食べられるかどうかも分からない草木の繁茂、真昼なのに薄暗い空間。物理的な恐怖よりも、精神を蝕む山々の在り方が生活を阻むのだろう。

 だから、もしもここに来るのだとすれば、自殺志願者か、何かを探し求める者だ。


「――つまり、忍者になるには五十の拷問に耐え抜かないといけないってこと?」


 そして今回の場合は、後者である。

 道ですらない道を歩く四人組は、ギルディアの街から遠く離れたここまで自らの記憶の手がかりを探しに来た忍者、フォンとその仲間達だ。

 彼らは一週間ほど前に街を出て、幾つかの村を経て山に来た。そうして三つの山を越え、時折野宿を繰り返し、今に至るのだ。最初は恐ろしく感じた霧中の山麓も、仲間のクロエ、サーシャ、カレンにとって身近にすら思えてくるほど、道中は長かった。

 それこそ、フォンが忍者について語れるほどの余裕が生まれるくらいにだ。

 どれほどかの話を重ねてきたが、今日はマスター・ニンジャと呼ばれる忍者の上位格に昇格する為の試練の詳細だ。フォンは普通に語るが、三人からすれば恐ろしい内容だ。


「本来ならね。マスター・ニンジャに選ばれる為にはそこから更に何種類かを組み合わせた拷問に丸三日耐えないといけない。大体の志願者はそこで死ぬんだ」

「そんなやり方で、よく里が保ったでござるな……」

「保ったというよりは、無理矢理保たせたと言った方が正しいかな。人材が足らなければ他の村から攫ってきて、忍者として仕立て上げる。昔からずっと続いてきた繁栄の手段だ」

「拙者が思っている以上に、忍者とは凄絶でござる……」


 猫耳を震わせるカレンとは対照的に、サーシャは何故か納得した様子でもあった。


「忍者の考え、トレイル一族と似てる」

「かもしれないね。サーシャの故郷を侮辱するつもりじゃないけど、恐ろしい風習さ」


 トレイル一族と忍者の妙な接点を覚えていると、顎を擦りながらクロエが聞いた。


「ところで、フォン。『忍者の里』には、もうじき着くの?」


 言われてみれば確かにと、カレンも同調する。


「進んでも進んでも、草木ばっかりで人里なんて見えてこないでござるよ……」


 薄暗い山々に入ってから、同じような光景ばかりが続いているのだ。

 このまま進み続けていれば永遠に戻って来られないのではないかと思えるほど、風景が変わらない。大きな荷物を背負って歩く三人にとっては、自分達が修行僧になったかのような錯覚にすら捉われてしまう。

 ただ、フォンにだけは道筋が見えているようで、さも当然のように歩いていく。


「当然だよ。忍者の里が人目につくところにあるなんて、意味がないだろう? 里は魔物すらも近寄らない、隔絶されたところにあるんだ」

「サーシャ、納得。魔物の気配、ない」

「里があった頃は魔物対策の忌避剤を撒いていたからね。その名残だと思うよ」

「ということは、そろそろ里が――」


 クロエがフォンに問いかけると、僅かに霧が晴れてきたような気がした。

 だが、彼がぴたりと足を止めた時、三人はそれが気のせいではないと分かった。さっきまでの鬱屈した雰囲気が、眼前から差し込む光と共に掻き消えていくのを感じたからだ。

 曇り空のような闇が去り、陽光が現れると、フォンは小さく呟いた。


「――見えたよ。ほら、あれが忍者の里だ」


 彼の視界のすぐ真下には、人里のような場所が広がっていた。

 人里のようだと言った理由は、それが既に人里の様相を成していなかったからだ。

 家屋や訓練場らしい区画、施設だった建物などは点在しているが、何れも黒焦げで、一部に至っては蔦やその他の植物に侵食されていた。忍者の里というよりは、古代文明の遺跡か名残だと説明された方が納得できるだろう。


「……滅んだって言うから予想はしてたけど……殆ど廃墟だね」

「何もかも焼け焦げて、自然と一体化しているでござる……師匠を疑うわけではござらんが、本当にこんなところに記憶の手がかりがあるのでござるか?」

「分からない。けど、里以外に僕の手がかりがありそうなところはないんだ……行こう」


 フォンは静かに坂道を下り降りる。何かに引き寄せられるかの如く、仲間達もバランスを取りながら坂を滑っていった。

 忍者の里と呼ばれているのであれば、罠の一つでも用意されているものかと思い込んでいたが、地面に足を付けても何も起こらなかった。フォンを除いた三人は警戒しながら彼について行くが、槍が飛んでくる様子も、落とし穴が用意されている様子もない。

 気味が悪いくらい、何もないのだ。里から人だけが欠落したような、奇怪な空間なのだ。


「本当に、何にも残ってないね……家の中も、炭と草木ばかりだよ」

「魔物どころか、獣の一匹も見当たらないでござる! 師匠、もしかするとリヴォルのような輩がここに来て、もう目ぼしいものを回収していったのでは?」


 崩れ落ちた廃屋の間を通り過ぎるフォンにカレンが聞くが、彼は首を横に振る。


「書物や資料が残っていないのは、僕がここを発つ日に焼いたからだよ。亡骸が残ってないのは埋めたからだ……僕が忍者を皆殺しにした記憶が正しいのなら、だけどね」


 彼自身、自分の記憶が曖昧である以上、明言は出来なかった。

 しかし、こびりついた泥の如き悍ましさが、死に関する記憶だけを正しいと告げている。忍者を皆殺しにして埋めた覚えがあるのなら、これは間違いないのだ。そして残った傷みが、口にする度に彼の心臓をじくじくと傷めつけるのだ。

 フォンの目が微かに曇ったのを、クロエは見逃さなかった。


「フォン……」


 幾つも立ち並んだ漆黒の家屋と、木製の人形が積まれた訓練場をぐるりと見まわしたフォンは、どこか懐かしげな顔つきでもあった。ノスタルジックな感傷が、普段よりもずっと思い出す痛みを強めているようでもあった。

 鬱屈した感情を取り払おうとする彼は、三人に振り返って提案した。


「……手分けして、手掛かりを探そう。気になるもの、おかしなもの、不審なもの、何でもいいから情報を集めてくれ。僕が南側を探索するから、君達は残りの方角を頼む」


 自分一人でどうにかしよう、こうしようと考える彼はもういない。

 作った仮初であるとしても、フォンの変化は嬉しかった。だからこそ、クロエ達は拒みもしなかったし、寧ろ彼とは真逆の笑顔さえ見せたのだ。


「うん、分かったよ」

「承知!」

「サーシャも承知」


 三人が三人とも、別の方角へと歩いていく。

 残されたフォンは、もう一度破壊された里の残骸を見回す。

 ここに、かつて自分がいたのか。どのような罪を犯し、どのような過ちを辿ってきたのか。或いは、どのような痛みを覚えてきたのか。心に刻まれていない何かがある保証もないし、何も見つからず帰る羽目になる可能性も十分にある。

 それでも、だとしても、やらねばならないのだ。


 郷愁の想いを掻き消すべく、フォンは三人と違う方角――森の中へと歩いていった。

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