第172話 邪悪と忍者②

 これまでの攻撃など、今の波動に比べれば何でもなかった。

 そう言っても過言ではないほど、クラークの拡散する一撃は凄まじい威力を誇っていた。


「ウウゥ……アアゥ……」


 彼を中心として、広場の殆どが消し飛んでいた。

 石畳どころか広場そのものが消失したかのようだった。まるでその場に隕石が落ちてきたかのような惨害が広がり、診療所に集まっていた人々も、広場の外から事態を眺めていた人達にも被害が及んでいた。

 砂埃と煙だけが蔓延する戦場のような風景だけが広がる中、クロエはどうにか無事だった。アンジェラもまた死には至っていなかったが、代わりに足に尖った石の破片が突き刺さったようで、右の脛を必死に抑えている。


「ぐ、畜生……!」

「アンジェラ、足が!」


 駆け寄ってきたクロエに対して強がるアンジェラだが、どう見ても動けないほどの怪我を負っている。それでも周囲をの安否を優先するのは、偏に騎士だからだろう。


「私ならどうってことないわよ……それよりも、診療所が……」

「そうだ、フォン、フォンは!? 攻撃がぶつかった時、あたし達を庇って……!」


 診療所もそうだが、クロエは姿の見えないフォンを必死に探していた。

 恐るべき衝撃波を超至近距離で受けて、二人とも生存しているのは、直前にフォンが盾のように庇ってくれたからだ。おかげで二人は無事だったが、波動が直撃した彼がどこに行ってしまったのか、まだ生きているのか、まるで分からない。

 最悪の事態を想定したくないクロエは、とにかくフォンと、診療所にいた仲間達を探したかった。しかし、それよりも先に、アンジェラの引き攣った顔を見てしまった。


「……どうやら、診療所の心配も、フォンを探す余裕もなさそうよ」

「え? それって……」


 まさかと思い、振り返ったクロエの目の前にいたのは、クラークだ。


「ウゥ……フォン、ナカマ……」


 既に剣を携え、怒りに満ちた目で彼女達を見下ろしている怪物は、金色の波動で二人を諸共消し去るつもりでいるようだ。

 この距離で、『覚醒蝕薬』を呑んだ勇者相手に、彼女達が逃げ切れる保証はない。


「ヤバいわね、これ。クロエ、貴女だけでも一旦退いて、助けを呼んできなさい」

「そんな猶予をこいつが与えてくれると思う? やるしかないよ、ここで、あたしが!」


 それでもと言わんばかりにクロエが剣を握り締めたが、足の震えは止まらなかった。この先にあるのが生存ではなく、大前提として立ち塞がる死であると理解できたからだ。


(そうは言ったけど、倒せる気なんてしないね……あたしがどれだけ時間稼ぎできるか、そもそも相手になるかすら怪しいけど……!)


 これまで戦ってきた敵の中で、恐らく最悪の力の持ち主。何十秒、いや、何秒か足止めできれば幸運といっても過言ではないほど、双方の間には実力の差がある。

 それを知っているからか否か、クラークは即座に剣を振らず、高らかに吼えた。


「……ウバッテヤル……フォン、オレカラゼンブウバッタ、フォンカラ、ナカマヲ!」


 彼の復讐の意を。

 立場を奪った代わりに、仲間を奪ってやると決意していた。


「ウバッテヤルウウウゥゥゥ――ッ!」


 絶叫したクラークの振るう刃に、もう躊躇いはなかった。

 波動が炸裂し、クロエとアンジェラの二人を粉微塵にするその刹那。

 不意に、空間が歪んだ。


「――ッ!」


 いや、違う。歪んだのはクラークの顔だけだ。

 辺りの空気が変わったとすら錯覚させるほどの蹴りが、クラークの顔に直撃していた。剛体を曲げるくらい強烈な襲撃は波動を押しのけ、怪物を吹き飛ばした。

 地面を削る勢いで転がされる彼に蹴りを叩き込んだのは、他でもない、彼だ。


「――奪わせない」


 フォンだ。

 衝撃の影響で口から血を流し、体中傷だらけでバンダナも無くなっているが、確かにフォンだ。彼の後ろ姿を知っているからこそ、クロエは安堵して、声をかけた。


「フォン! 無事、だった……」


 だが、直ぐに押し黙った。


「……フォン?」


 彼の背後から放たれる覇気のようなものが、クロエの全身に警鐘を鳴らしたからだ。

 フォンは仲間で、誰よりも信頼できる。なのに、今の彼は存在そのものが彼の手にした苦無と鎖鎌のようで、誰も近づけさせない、触れれば斬れる鋭さを放っていた。


「『俺』からは何も奪わせない。お前が誰だか知らないが、絶対にだ」


 しかも、口調が普段と違う。まるで、別人であるかのようだ。


「ウ、ウウゥ……!」


 背中ですらそれほどの威圧感があるのだから、起き上がり、顔を向けたクラークの怪物じみた形相が不安と怖れに染まるのも、致し方ないと言えた。彼の顔には感情がなく、目のハイライトは消え、ただただ闇だけが広がっていたからだ。

 最早今のフォンは、人間ではない――彼そのものが、道具である。


「クラークが怯えてる、フォンと向き合っただけで……それに、また『俺』って……!」

「なんでもいいけど、一先ず私を助けてもらっていいかしら?」

「そ、そうだった! ごめん、ちょっと待ってて!」


 思い出したように、慌ててアンジェラに手を貸すクロエには一瞥もせず、フォンはゆっくりとクラークに近づいてゆく。一歩、また一歩と距離が縮まる度に、クラークの尖った歯が震え、とうとう彼は狂ったようにフォン目掛けて突撃した。


「……ウウァァアアアッ!」


 クロエ達を殺すとすれば何ら問題ない速度だが、今のフォン相手には遅すぎる。

 距離を取る二人の眼前で、クラークの剣と波動は確かに地面に直撃したが、そこにフォンはいなかった。直ぐ隣に、当たり前のように立つ彼にもう一度攻撃を仕掛けるが、まるで当たる様子はない。瞬きの間に、彼は移動を完了しているのだ。


「避けた!? あの衝撃波を、掠めもせずに!?」

(速い、速すぎる! もう目でなんて絶対に追えないくらい!)


 二人の前で、クラークは地面をただ爆砕する。何度も金色が煌めくが、フォンには掠りすらしない。無駄な攻撃が続く中、アンジェラが気づいた。


「鎖鎌を回して、まさか、風を……!?」


 フォンは、鎖鎌を回している。右手でただ延々と、しかし回避を続けながら回す鎖が、次第に勢いを増し、とうとう耳鳴りすら聞こえるほどの速度に達する。

 風が巻き起こり、礫が宙に浮く。まだフォンを斬り刻もうとするクラークの動きが豪風で制されるようにまでなった時、ようやくクロエは忍者の思惑を悟った。


(魔法でもないのに、風圧だけでクラークを浮かそうっての!?)


 彼は――フォンは、人力で竜巻を造り上げていた。

 仮にクラークが人知を超越した力を手に入れたとはいえ、今のフォンの真似など出来るはずがない。彼が操れるのは波動だけで、大気に触れることすら能わない。

 だが、フォンはそれを可能とした。気づくと、クラークの体は宙に浮き、体の自由が奪われているようだった。内臓をかき回すかのような突風に身を包まれ、体中を斬り刻まれたクラークの体は物凄い勢いで空へと登って行き、やがて。


「忍法・風遁『晴嵐の術』――潰れろ」


 とてつもない轟音と共に、クラークを頭から地面へと突き刺した。


「ガギャアアアア!?」


 皮膚を刻まれ、首の骨が奇怪な方向に曲がった彼を見下ろし、鎖鎌を止めたフォン。


「俺から奪う前に……俺が全部、奪ってやる」


 彼の言葉は、無機質で、冷徹で、既に彼ではなかった。

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