第159話 剣士と猫③

 その頃、決闘の舞台となっている広場から少し離れた二階建ての家屋。

 屋上がある、店舗と一体型となったこの家は、広場の中央から目を凝らすと、他の家屋の隙間からちょうど見えるようになっている。意図してそうしたのではないが、広場から一階の肉屋に来る者も少なくない。

 夫を早いうちに亡くした女性と幼い息子の二人暮らしで、特に子供はまだ5歳か6歳くらいだというのに、遊ぶよりも母の手伝いに心力を注いでいた。親を愛する息子を母は誇らしく、申し訳なく思っていて、いつか裕福な暮らしをさせたいとも願っていた。

 それがまさか、こんな形で終わりを迎えようとしているとは。


「ママ、ママぁ……」


 さめざめと泣く子供を抱える母親は、今、屋上にへたり込んでいた。

 朝、目を覚ますと、忍び込んでいた何者かによっていきなり屋上へと引きずり出された。犯人が持っていた木製の大きな杖で母子諸共何度も殴られ、逃げず、動かず、ただひたすらここに居るよう指示された。

 決闘のせいで、辺りには誰もいない。助けも求められない。


「お願いします、帰してください……私が駄目なら、この子だけでも……ここで貴女がやったことは誰にも言いません、だから……!」


 母は必死に抱きかかえた息子を解放してもらうよう懇願するが、彼女は首を横に振った。


「駄目よ。決闘が終わるまでは居てもらうわ」


 彼女とは勿論、勇者パーティの一員にして魔法使い、マリィだ。

 人質を取り、フォン達の動きを制限するべく仮病を使って広場から離れた彼女は、人目に触れないように命を盾にする卑劣な作戦の実行者となったのだ。


「そんな……どうして、私達がこんな目に……」

「ついていなかったと諦めなさい。自分と無関係な命であればあるほど、フォン達が攻撃を躊躇うような連中だったのが、運の尽きだったのよ」


 母子の震え怯える顔などまるで関心を持たず、彼女は一人で作戦の成功を確信する。


「少し距離があるけど、広場から見えるか試した甲斐があったわ。街中の人間が広場に集まっているからこそ、ここには誰も来ないし、邪魔もされない……我ながら、素敵な作戦ね」


 このままいけば、敵は二度と逆らえず、自分の操り人形であるクラークの復権が確定する。

 マリィはそう信じて疑わなかったが、あらゆる悪事とは、往々にして障害が入るものだ。


「――あら、そうかしら? 私には、陳腐な手段にしか見えないわ」


 特に、突然背後から聞こえてきた自分の計画を全否定する声などは。


「ッ!?」


 フードを被ったマリィが振り向くと、屋上にはいつの間にかアンジェラが立っていた。

 両腕にはいつも通り蛇腹剣を携え、飄々とした表情でマリィを見つめている。しかし、表情は決して優しくなく、擁護できない悪役を見据えているかのようだ。


「フォンとミハエルが、私に何かを伝えようとしてるって気づいた時には何を言ってるんだかって思ったけど、こんなトラブルが起きてたなんて予想外だわ」

「ミハエルって、いったい……あっ!」


 マリィは、どうして自分達の作戦が、よりによって何の関連もないアンジェラにばれてしまったのかと戸惑っていたが、アンジェラがさらりと彼女の真上を指差すのにつられて空を見上げたので、ようやく状況を理解した。

 白い鷹、バトルホークと呼ばれる魔物が頭上を旋回しているのだ。あんな大きさの鳥をこの辺りでは見たことがないし、まず来るはずもない。ならば、この場にアンジェラを連れてきた人間――人質を見抜いた人間が呼んだと考えた方がいいだろう。

 つまり、フォンだ。仲間に口外も許していないのに、彼は看破したのだ。


「そ、貴女の真上を飛んでる鷹よ。フォンが飼ってるって、知らなかったみたいね」


 再びアンジェラに視線を向けると、彼女は大袈裟に手を振っている。


「勇者達に一切情けをかけないようなカレンが一方的にやられるのも、おかしいと感じてはいたのよ。でもまさか、欠席したパーティの一員が民間人の命を盾にして、敗北を促しているとまでは予想しなかったわ」

「私達の計画を見抜ける人間なんて、そうそういないわよ」


 少しだけ顔を下げ、もう一度マリィを睨んだアンジェラの顔に、彼女は思わずぞっとした。


「そういう意味じゃないわ。ここまで下衆な人間がいるってことと、私の前でよりによって家族を人質に取る命知らずがいるってことに驚いてるの」


 家族を人の悪意で喪ったアンジェラに対し、母子を人質に取るなど、悪手の極みである。

 じゃらりと蛇腹剣をしならせる彼女は、もうマリィに遠慮する気などさらさらなかった。寧ろ、自分達のくだらない権力の為に無関係の家族を殺そうとしている輩など、フォン達が絡んでいなくても殺してやりたいくらいだ。

 一方、王国最強の騎士に睨まれていても、マリィは冷や汗を一筋流す程度には落ち着き払っていた。杖の先に赤い炎を灯し、彼女は腹の奥から響くような声で告げる。


「……だったら、どうするつもり? 言っておくけど、状況は私の方が有利よ」


 めらめらと燃える火の先端を子供に近づけると、二人揃って慄き、身をよじらせる。


「事前に調べて、この辺りに人がいないのは把握済み。親子に関係者がいないのも、私の姿を誰にも見られていないのも有利に働くわ。何より、貴女が少し武器を持った手を動かせば、私の魔法が、二人を……」


 炎がいよいよ子供の肌に触れ、火傷の痕を作ろうとしたのを見て、アンジェラが吼えた。


「やめなさい、死にたくないならね」


 アンジェラの警告は必要な手段ではあったが、マリィに余計な情報を与えてしまった。つまり、彼女は人命を優先し、現状のままでは主犯に手出しができないと、当の本人に教えてしまったのだ。

 子供が傷つくことすら許せないと言ったの同然であり、要するにアンジェラは武器こそ構えているが、人を犠牲にしてマリィを倒すことはできない。有益な情報を知った彼女は、いつになく嬉しそうな笑顔を浮かべて、アンジェラに言い放った。


「まだ、命令ができる立場だと思っているの? この場において命令するのは私よ。二人の命が惜しいのなら、まずは両手の武器を捨てなさい。なるべく遠くに投げ捨てるのよ」


 できるならこの場で、超高速で振るった刃をマリィの喉に突き刺してやりたかったが、万が一、が起きる可能性は否定できない。

 だから、彼女は大人しく従った。刃を元に戻し、腕のアタッチメントを外すと、蛇腹剣はアンジェラの足元に落ちた。彼女はそれを足で蹴り、屋上の端へと追いやった。


「いいわね、後はそこで佇んでいて。決闘が終わって、フォン達が死ぬまでね。そうすれば二人も、貴女も解放してあげるわ――私達が、街の権力者になってからね」


 マリィは炎を消さないまま、これまた小さく笑った。

 物事が終われば助かると、恐怖の中に僅かな安堵を見出した母子だったが、アンジェラだけは見抜いていた。せっかく手に入れた人質を、彼女が容易く手放すはずがないと。


(……人質を殺すつもりね。こいつの目には、嘘と自己愛しかない)


 フードの奥の、マリィの目は母子を見逃すはずなどないと言っていた。

 躊躇いなく人を殺す。無関係だろうと、子供であろうと、己の欲望の為なら躊躇なく人を殺す。ある意味では同族嫌悪に近い感情を、アンジェラは抱いていた。


(はっきり言って――私の一番嫌いなタイプよ)


 同時に、絶対に許してはいけない人種であるとも。

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