第131話 ニンジャ・フォーセイク

 フォンは、正直なところ、アンジェラの加勢を快く思っていないようだった。

 今やこの戦いは、彼の中では彼自身の戦いとなっていた。仲間達を傷つけられ、過去の因縁を引きずる敵を、何としてでも滅さなければならない。いくらアンジェラと因縁のある相手だとしても、これ以上他者を巻き込むのには抵抗感がある。

 何より、彼女の協力を許せば、フォンが怖れている事態が起きるのは明白だ。反面、その可能性を持ち出す者がこの場におらず、隣の部屋で寝ているのも、事実ではある。


「どうする、フォン? 首を横に振るなら、半殺しにしてでも同行させるわよ」


 加えて、アンジェラを無視してこの部屋を出るのは、随分苦労しそうだ。

 一度だけ目を閉じ、冷たい瞳で少しだけ睨みながら、彼は告げた。


「……僕の指示に従えるのなら」

「ふぅん。じゃあ、とどめは私がさしてもいいってことよね?」

「好きにしてくれ。けど、さっきも言った通りだ。作戦自体は僕が指揮する」

「交渉成立ね。私も細かい命令を下すなんてのは苦手だし、その辺りは任せるわ」


 フォンの表情や態度など意に介せず、アンジェラはにっこりと歯を見せて笑った。

 協力者が一人ならば、作戦を大幅に変更する必要はなくなる。とどめを任せればいいだけだと考え、三度作業に戻ろうとしたフォンだったが、予想した通り、カレンが口を開いた。


「では師匠、拙者もお供するでござる!」

「駄目だ」


 何としてでも役に立つと言いたげに協力を申し出たカレンだったが、彼女の顔をじっと睨むフォンに射竦められたうえにぴしゃりと断られ、思わず委縮してしまった。


「だ、だけど、拙者は師匠の弟子でござる! 師匠の危機には、必ず……」

「自分の体を見て言ってるのか? 傷だらけで起きるのにも背中が痛む、そんな奴に何ができる? 君の為すべきことは一つ、僕がリヴォルを殺し終えるまで、ここでじっとしていることだ。それ以外は、何もしないでくれ」

「奴は言っていたでござる、師匠だけでなく仲間も狙えと言われていると! 拙者達が殺されない保証がない今は、皆が運命共同体でござるよ!」

「僕が表に出れば、リヴォルは僕だけに標的を定める。余計な心配はしなくていい」

「しかし……」

「――黙ってろって言わないと、黙らないのか!?」


 とうとう、フォンの堪忍袋の緒が切れた。

 初めて見る彼の純粋な怒りに、カレンは尻尾と体を大きく震わせた。

 澱んだ目の中に、放ちたくもない怒りが垣間見えた。歯を食いしばり、カレンに向かって怒鳴り散らすその顔は、フォンではない他の誰かのようにすら感じられた。


「これは忍者と忍者の殺し合いなんだ、気を抜けば一瞬で死ぬんだ! 言いたくはないけど、未熟な僕には、そんな状況で誰かを守りながら戦う余裕なんてない!」


 今まで彼は、人生で何度怒りを露にしただろうか。この様子を見る限り、二度も、三度もありはしないのだろう。それくらい不安定な表情と声で、彼は感情を発露しているのだ。


「弟子だから共に戦うというなら、師弟関係は破棄だ! 同じパーティだから守るというなら、パーティも解散だ! 僕の言っている意味が分かるな!?」


 ぜいぜいと、肩で息をするくらい怒鳴り散らしたフォン。

 大事な人を何としてでも傷つけさせない。度を越えているともいえる意志の爆発は、カレンの大きな瞳から、はらはらと涙を流させるには十分過ぎた。


「……師匠、そんな、そんなことを……拙者は……」


 大粒の滴が、カレンの頬を濡らす。アンジェラはただ眺めるだけで、何も言わない。


「……声を荒げたのは、済まない。けど、もう決めたんだ」


 彼の決意は固まっていた。孤独の道に身をやつすとしても、もう誰も傷つけさせないと。

 カレンを泣かせてでも犠牲にしないと腹を括ったフォンだったが、彼の考えに苦言を呈する者が、アンジェラをどかして部屋の中に入ってきた。


「――その話、待った。あたし達の意見を、聞いてくれてもいいんじゃないかな」


 クロエとサーシャだ。

 腹を貫かれたクロエは腹部に、体中に怪我を負ったサーシャはカレン同様全身に包帯を巻いている。水色のパジャマを羽織る二人はカレンより体力が回復しているようだが、顔色や足の震えから、まだ完治とはいかないようだ。

 そして彼女達は、どうやらフォンとカレンのやり取りを聞いていたらしい。


「……君達も、まだ動かない方がいい。傷が開く」


 つっけんどんな態度を取るフォンに対して、クロエはともすれば呆れたような態度だ。


「自分の体は、自分が一番よく分かってるよ。それよりも、フォン、一人であの忍者と戦いに行くんだってね」

「そうだ、僕とアンジーで行く。君達には絶対に行かせない」

「パーティなのに?」

「そんな理由なら、さっきカレンにも言ったが、僕は抜ける。これは僕の、忍者の問題だ」

「……そっか」


 どこまでも冷めた返答をするフォンだが、クロエは果たして、彼の真意を見抜いていた。


「……勝てる見込みがないんだね」


 ぴたりと、フォンの作業をする手が止まった。

 薄暗い瞳に、微かな明るみが戻ってきたような気がした。口を開くクロエも、無言で腕を組んでいるだけのサーシャも、彼がどうして一人になるのかを理解していた。

 手を下ろし、目を逸らす彼を囲むように、二人はしゃがみ込む。


「気づいてるよ、一人で決着を付けようとしてるってことくらい。復讐の覚悟が固まってるアンジェラ以外は、とても連れて行けない……彼女も失敗して、万が一の時は、リヴォルを道連れにして自分も死のうなんて考えてるんでしょ」

「……君達が邪魔なだけだ。僕の過去も知らないで、勝手なこと……」

「サーシャ、お前の過去、知らない。けど、今のお前、分かる。お前、死のうとしてる」


 黙りこくったフォンの態度が、答えだった。

 彼の作戦など一つも聞かなくても、フォンが自己犠牲精神の塊であるのはクロエが一番よく知っていた。仲間を守り切れないほどの実力を持つ相手を止めるならば、彼はきっと己の身を滅ぼしてでも敵を倒そうとするだろう。

カレンも、アンジェラすらも、フォンの真意を全く察せなかった。ただ二人、クロエとサーシャに腹の底を見透かされ、忍者としての冷たい人格はゆっくりと瓦解していった。

肯定も否定もしないフォンの肩を、クロエが優しく叩いた。


「ねえ、フォン。あたしの両親はね、十五の時に死んだの。地元の人は誰も助けてくれなかったから、あたしは一人で旅に出て、ギルディアに着いてからも一人で冒険者稼業を続けてきた。誰も信じなかったし、フォンだって最初は利用するつもりで雇ったの」


 彼女にとって、フォンはもう、パーティではない。単なる一員ではない。


「サーシャとは戦ったね。カレンとは色々ありすぎるくらい、あたしも含めて沢山の蟠りがあったね。けど、今は違う。あたし達は友達じゃない、もう仲間でもない」


 瞳を少しだけ潤ませたクロエの声は、震えてすらいた。


「あたし達は、家族だよ。家族なら、どんな困難も一緒に乗り越えるんじゃないかな」


 自分達は家族である。クロエ達が伝えたいメッセージの、一つ。


「あとね、フォン。あたし達は絶対に、フォンを人殺しにはさせない。『人不殺』の掟は、破らせたくないんだ――その為に、あたしは協力したいの」


 これが、もう一つのメッセージだ。

 フォンの誓いを、願いを破らせたくないと、クロエの潤んだ瞳が確かに言っていた。

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