第112話 暗殺と勇者

 その日の夜、とある宿の一室。

 勇者パーティがいつも泊っている高級な宿のその部屋は、異質な空気に包まれていた。


「クソ、クソッ! 思い出すだけでムカつくぜ、フォンの野郎!」


 隣の部屋まで響きそうな喚き声と共に、クラークは部屋のテーブルを蹴り飛ばした。

 広い一室の中にいるのは、クラークとマリィ、そしてパトリス。つまりは勇者パーティだ。

 普段はクラークとマリィ、その他という区分で使っている宿の部屋だが、今回は違った。現状活動できる勇者パーティの面々は、今はこれだけだ。


「ひっ……」

「……騒がないで。パトリスが怯えてるじゃない」

「んだとォ!?」


 恋人の静かな制止に対しても、クラークは我儘な子供の如く喚き返す。


「……もういいわ」


 マリィは宥めようとはせず、大きなため息をついた。

 勇者一行が受けた今回のダメージは、肉体的にも精神的にも、黄金獅子の件での負傷の比ではなかった。

 椅子に座ってずっと俯いているマリィと、トラウマが拭えないのかクラークがテーブルを蹴る音にすら怯えているパトリス。二人とも目立った怪我はないが、問題なのは心的外傷だ。魔物に襲われるのではなく、人間の、しかも狂った集団の生贄にされかけたのだから、ショックを受けるのは当然でもある。

 クラークは幸いにも、体中を包帯塗れにされる程度で済んだ。それでも相当なダメージを負っていて、本当ならば杖をついていてもおかしくない。そうしていないのは、偏に彼のプライドが高いからだ。

 だが、前衛二人――サラとジャスミンはそんな余裕もないほど酷い怪我だった。

 勇者よりも鍛え方が甘い二人は、狂信者達からの容赦ない殴打攻撃を受けて、自警団に助けてもらった時には呼吸すら弱弱しくなっていた。この場に二人がいないのは、未だに療養所で治療を受けているからだ。冒険者としての復帰どころか、パーティに復帰するのも当分先だろう。

 正直なところ、薄情ではあるがそれだけならまだよかった。


「街の奴らの俺達を見る目……どうなってんだ、オイ……!」


 問題は、ギルディアに戻ってきてからだ。

 あの一件の後、クラーク達は街に運び込まれる様を冒険者達に見られていた。つまり、カルト集団に半殺しにされて傷だらけで、動くことすら能わない惨めな様を。

 クラークの肥大化したプライドが許すはずもないが、パーティ全体で言うならば、それもまだ許容できる範囲の問題だ。自分達の愚かな行いでこうなってしまった、次は気を付けると表向きだけでも言っておけばいいのだから。


「どうなってるも何も、依頼をドタキャンすればこうなるわよ……」

「仕方ねえだろ! 俺もまさか、依頼主の大本があんな豪商だなんて知らなかったんだよ!」


 しかし、依頼を強制的にキャンセルされ、結果として大損をしたある男――クラーク達が依頼を受けていた男の怒りだけは、どうにもならなかった。なんと彼は、この辺りでも比較的力を持つ商人だったのだ。

 そんな男の依頼を無下にすればどうなるか、火を見るよりも明らかだ。親に叱られる子供の如く、男は案内所に入ってきたクラーク達を怒鳴り散らした。説教される勇者を見つめる受付嬢、ウォンディ、周りの冒険者の視線は、今でも忘れられない。

 結局、案内所から一定のペナルティを与えられる形で話は纏まった。


「ど、どうしましょう……私達、このままじゃ仕事が……」


 恥ずかしいやら苛立つやらで、一行は宿へと戻ってきた。帰り道ですら指をさされる現状からして、最早勇者パーティの復権はこのままでは望めないだろう。


「……んなこたもう、どうでもいいんだよ。大事なのは、フォン達の破滅だ」


 そんな彼らの怒りの矛先は、フォン達に向いていた。

 滅茶苦茶にもほどがある怒りの理論だが、案内所にその旨を伝えに行こうとした彼らを待っていたのが、賞賛されるフォン達の姿だったなら、性根の歪んだ彼らはどう思うだろうか。

 あいつらだけが持て囃されるのは許せない。特にフォンが笑っているのが許せない。彼らさえいなくなれば、必ず勇者パーティの復権の時がやって来る。支離滅裂な思考を、今やパトリス以外の誰もが信じ込んでいた。


「……だったら、もう手段は決まったわね、クラーク」

「……ああ、もう決めたぜ」


 マリィの問いかけに、クラークは大きく頷いた。

 彼らの願いを叶える機会は、存外遠くなかった。失意に沈む彼らに、ある話が転がり込んできたのだ。

 窓をすっかり開いた部屋で、よく見れば三人は、いきなり現れた客を囲んでいた。

 とある来客者は、疑念的なクラーク達にとても素晴らしい話を持ち掛けてきた。彼らは今さっきまで悩んでいたが、フォン達への怒りが沸々と腹の底から煮えたぎってくるのを思い出していると、最早選択肢などは残されていなかった。

 クラークとマリィは来たるべき未来に顔に笑みを浮かべたが、パトリスだけは不安そうだ。


「皆、やっぱりこんなの……」


 彼女の制止は、月の光が差し込む部屋でクラーク達に掻き消される。


「何言ってやがる、フォンの奴がいる限り、俺達はこれから落ちぶれていくばかりだ! あいつらを消さない限り、勇者の復権は有り得ねえんだよ!」

「分かってちょうだい、パトリス。偶然転がり込んできた話だとしても、乗らない手はないわ。これ以上私達の邪魔をされると困るのよ……もう懐柔も望めないなら、障害は消すだけよ」

「うう……」


 唯一の良心が黙ったところで、勇者は来客を睨んで、確かめるように聞いた。


「それで、確実にやれるんだな?」


 二人の客人は、失意に沈むクラーク達を見て、頬まで裂けた口で笑っていた。

 その笑顔こそが肯定だと受け取り、クラークの顔にも、勇者などとは到底呼べないほど下劣な笑みが浮かんでいた。マリィもまた、フォンに対して残っていた利用の精神すら消えていた。


「安心しろよ、金ならいくらでも出してやる。仕事を終えた後の、フォンの仲間達の処理もお前らに一任する。俺の、俺達の望みはただ一つだからな」


 勇者の目に、まともで正しい思考は残っていなかった。

 それもまあ、無理もないだろう。


「――フォンを殺せるってお前らの話、乗ってやるぜ」


 ――二人の少女が、フォンの暗殺を持ち掛けに来たのだから。

 一人につき金貨五十枚。残酷な殺し方をすれば追加で五枚。首を持ち帰れば追加で三枚。

 勇者達が拒む理由は、なかった。

 そしてクラーク達の望みを叶えるべく殺しを提案した客は、はだけた白い服の肩から胸にかけて龍の刺青を彫った、双子の少女達だった。


 月明かりの下、狂人達が雇った最悪の殺人鬼による、恐ろしい計画が始まろうとしていた。

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