第90話 魔法陣と忍者

 正直なところ、見つかったのが殺された翌日で良かったと、フォンは思っていた。

 もしも翌々日、或いはもっと日数が経っていれば、小屋の中を調べられないほどの悪臭を放っていただろう。さも当然のように死体を近くで見つめるフォンの姿を、アンジェラは予想していたらしく、彼に微笑みかける。


「これだけの血の匂いに動じないなんて、貴方を選んだ甲斐があったわ、フォン」


 褒められても、彼はアンジェラに振り向かず、じっと死体を観察していた。

 すっかり掘り返された遺体の腹から、撒き散らされた臓物へと視線を移す。壁を塗り潰す乾いた血液、正面の壁には血文字。そうして魔法陣に視線を戻し、フォンは言った。


「血の匂いには慣れてるから……それにしても、死体、魔法陣、血文字。全て噂で聞いた通りだね。足跡の数も十人じゃすまない、間違いなく例のカルト集団の犯行だ」

「おまけに犯人は忍者の知識もあるわね。魔法陣の文字、全部忍者の暗号よ」


 アンジェラが指差したのは、二重の円で記された魔法陣の、大小の円の間に刻まれた血文字。どこの言語にも当てはまらないような簡素に構成された文字――ともすれば線の羅列だが、彼女とフォンは、その正体を知っている。

 これらはすべて、忍者が暗号として使う文字だ。何も知らなければ、奇怪な儀式に使う文字として用いると言っても信じられるだろうが、忍者の立派な技術と秘密である。


「読めるのかい?」

「ちょっとは勉強させてもらったわ。忍者は文字をバラバラにして暗号にするみたいだけど、これは順番も変えてる可能性があるわね。ええと――」


 一定のパターンしか読み解けない様子のアンジェラに代わって、フォンが読み上げた。


「――『自由にして猛き者の血肉、生贄、英雄カゲトラを現世に蘇らせん』」


 共有言語であるかのように、さらりと解読したフォンを、アンジェラはしげしげと眺めた。今度は興味からではなく、尊敬やその他の念が詰まった表情をしていた。


「……読めるの?」

「君と同じで、僕も忍者についてはかじってる。それだけだよ」


 そんなはずはないと気づいていながら、アンジェラはあえて言及しなかった。


「ふーん……まあいいわ」


 立ち上がったアンジェラの態度を察して、フォンは少しやり過ぎたかと思った。読み解かなければ話が進まないと判断したのだが、少々能力をひけらかしてしまったようだ。


「とにかく、これでカルト集団が忍者としてのシャドウ・タイガーを復活させようとしているのは確定ね。そんな技術が忍者にあるのかはさっぱりだけど、どう? 人を生き返らせる秘術なんて聞いたことはあるかしら?」


 同じく立ち上がり、フォンは首を横に振りながら答えた。


「有り得ない。人の生き死にを操れるほど、忍者は万能じゃないよ」


 フォンも相応の数の禁術、それも口に出すのも憚られるような恐るべき術の存在を覚えている。だが、そんな術を操る忍者の力を以てしても、人の生を支配し、死の定めから逃れられる力など持っているはずがないのだ。

 はっきりと断言したフォンの言葉を聞いて、アンジェラはどこか安心したようだった。


「それを聞いて、安心したわ。闇の魔法に精通した黒魔術師ですら、人を蘇らせるなんて不可能なのに……もしもあったなら、ずっと昔に知っておきたかったわ」

「……?」


 その瞬間だけ、フォンはアンジェラの瞳の奥に、悲しさや虚しさを見出した。

 失ったものへの痛みだけが、僅かだが彼女の表側に浮き上がった。フォンが数少ない彼女の感情の変化について聞くより先に、取り繕うようにアンジェラが口を開いた。


「それはそうと、この状況から察するに、連中は自分達の儀式を見せる為に、わざと冒険者のうち一人を逃がしたと思ってもいいんじゃないかしら?」

「ふむ、警戒されれば生贄も集まりにくくなるはずなのに、随分大胆だ……」


 咄嗟に問いかけられて考えるフォンだったが、答えは以外にも容易く出てきた。


「……警戒されずに、生贄を集める手段があるのか? 依頼を受けた時点でどこを通るのか知っていて、小屋に拉致する為に張り込んでいたと?」


 自分達から脅威と思わせるような行動を取っておきながら、後のリスクなど構いもしないような犯行。考えなしでないとするのであれば、常に一定数の犠牲者を獲得できるシステムを形成していると考えるべきだ。

 つまり、最も疑うべきは、依頼の詳細を知っている人物である。


「だとするなら、一番怪しいのは依頼人ね。どこに生息する魔物か、採取できるアイテムかを事前に把握できていれば、冒険者が来る時間帯も調節できるし、張り込みだって簡単にできる。粗雑に見えて、敵は案外計算高いみたいね」


 フォンも、アンジェラも同じ考えだった。カルト集団は依頼人に成りすまして――というより自ら依頼を出して、引っかかった相手を捕え、殺しているのだ。

 だとすれば、事情をしっかり聞くべき対象は決まった。依頼人が見つかれば一番いいのだが、今手軽に情報を得られるのは、小屋の外で仲間の死を悼んでいる冒険者だ。


「一度ここを出ましょう。冒険者の生き残りに、話を聞かなくちゃ」

「ああ、そうしよう」


 二人は遺体に背を向け、小屋を出て行った。

 彼らが出るのを待っていたかのように、自警団の面々が死体を処理するべく中へと入っていった。そのうち二人ほどが、耐え切れず吐く音が聞こえた。

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