第88話 調査と忍者

 課題とも言えるほどの評価を貰っておきながら、フォンは渋い顔をしていた。


「僕のどこを見てそう思ったのかはさっぱりだけど、それは重荷だね」


 彼としては、爪をできるだけ隠しておきたかった。ましてや相手が潜ませた刃に気付くほどの手練れであれば、対面し、いざという時には情報の差で生死が分かれる。

 おまけにアンジェラは、フォンの内面を異常なほどに詮索してきた。今もそうで、まるでフォンの闇を掬い取り、表側に引きずり出そうとしているかのようだ。


「いいえ、私の目に狂いはないわ。貴方は人間性を捨ててでも目的を成し遂げる。べっとりと手についた血の匂いをいつも気にしてる。元居た場所は闇の奥かしら?」


 だが、顔を寄せようとするアンジェラの横暴は、いつまでも許されなかった。


「……あのさ、フォンが事件解決に協力するのは賛成だし、あたし達だって助力する」


 アンジェラとフォンの間に割って入ったのは、クロエだ。


「けど、フォンの心を土足で踏み荒らすなら、あたし達は絶対に許さない。誰だって聞かれたくないことがあるの、ずかずか入り込まれたくないところも――分かる?」


 彼女は、明らかに怒っていた。

 ぎろりと睨みつける彼女の、魔物を射殺しかねないほどの視線を直に受けても、アンジェラは飄々とした調子を崩さなかった。


「……こわーい保護者さんね」


 アンジェラはそう言うが、フォンを庇うのは怖い保護者だけではない。彼の弟子も、彼の命を狙う者も、等しくフォンを大事に思い、こんな場合には彼を守る。


「警告するでござるが、拙者達はいつでも師匠の敵を討つ気満々でござるよ」

「お前、ここで闘るか」


 三対一の状況ではあるが、アンジェラは手をひらひらと振り、余裕を見せる。


「まさか。それに貴女達が纏めてかかってきても、私には絶対に敵わないわ。この場で一番私に勝てる可能性があるとすれば、本気を出したフォンくらいね」

「試してみる? あたしはいつでもいいよ、いつだって殺れるから……」


 険悪な空気に耐えかねたのは、店を壊されかねない店主ではなく、フォンだった。


「……もういいだろう、一旦外の空気でも吸おうよ」


 うんざりした表情の彼を放ってまで、クロエ達はアンジェラを殴り飛ばそうとはしなかった。彼が言うならば、といった様子で、拳と弓を収めた彼女達をにやにやと笑って見つめながら、フォンについて万屋の外に出て行った。

 クロエ達も渋々ながら、結局何も買わずに、万屋の外に出た。

 どうにも調子を狂わされる彼女の存在に悩まされる一行が大通りに出ると、パーカーのポケットをごそごそと漁りながら、フォンはアンジェラに聞いた。


「……アンジー、それで、事件の調査はいつから始めるんだい?」

「こちらからは動かないわ。待っていれば、明日にでも必ずまた死体が上がる。そしたら新鮮な現場に出向いて、手掛かりを探せばいいのよ。簡単でしょう?」


 そうか、と軽い相槌を打ちつつ、フォンは彼女の本性を垣間見たような気がした。


(事件の解決よりも、敵を捕らえる情報を優先するのか。見かけによらず、冷徹な人だ)


 アンジェラを除き、この場で唯一冷静であるフォンには、彼女の本質は表向きのあっけらかんとした女性ではないと確信できた。彼女について思案するフォンと、彼女に未だに怒りを伴っている三人の表情など関心がないかのように、女騎士は振り向いて言った。


「暫くは暇になるわね。ねえ、この辺りで一番酒の美味しい酒場を教えてくれない?」

「仕事中に酒なんて、飲んでいいわけ?」

「いいのよ、誰も見てなければね! ほらほら、案内して、フォン!」


 じとりと白い目で詰るクロエなど意に介せず、アンジェラはフォンの手を引いて走り出す。当然こうなれば、仲間達もついて行かざるをえない。

 まだ陽が真上にあるうちから、一行は突飛な騎士の我儘に付き合う羽目になった。


 ◇◇◇◇◇◇


 フォン達がアンジェラと初めて出会った日、悍ましい闇はゆっくりと広がっていた。


「リンピョートーシャーカイジンレツザイゼン……」

「リンピョートーシャーカイジンレツザイゼン……」


 ギルディアからそう遠くない、とある森の奥の小屋。

 夜の暗さに染まった森の中には、こういった小屋が点在する。狩猟者が使うこともあれば、冒険者の休憩所として用いられることもある。

 しかし、今のように、臓物と血が飛び散り、何人もの血液で描かれた魔法陣が床に鎮座することは、これまで一度もなかった。魔法陣の中央には四つの全裸の死体が並び、その前には祈りを捧げる黒づくめの人間が数人。

 そして、がたいの良い男が一人。額に三日月の刺青を彫った男は、フードの中から垣間見える悲しげな表情を隠しもせず、彼らのしもべにして同胞に告げた。


「……やはり、この程度の冒険者ではシャドウ・タイガーを呼び出せなかったか。もっと強く、もっと高名な者でなければ彼は呼びかけには応じない」


 死が足りないと、この程度では足りないと。


「お前達、よりよい生贄を探し出し、おびき出せ。そして儀式を完成させるのだ!」

「ハイ、マスター!」


 指導者の声に従い、彼らは魔法陣を完成させる作業に取り掛かった。

 カゲトラを蘇らせるべく、より完全な血の誓約を創り上げる為に。

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